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「歴史フェス」という、ざわめきに賭ける——歴史研究者・藤野裕子に訊く

「歴史を知る」というと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。人によっては、漫画やアニメ、ゲーム、ドラマや映画といったコンテンツから歴史に触れる場面が頭に浮かぶかもしれない。他方で、学校の勉強を思い出す人もいるだろうし、コツコツと文献などにあたりながら、いまだ明かされぬ細部を紐解こうとする歴史家たちの姿を想像する人もいるだろう。一言で「歴史を知る」といっても、そこにはあまりに多くのアクターが存在する。

いや、「歴史を知る」のみならず、誰もが生きているだけで「歴史する」主体なのだ。だからみんなで集まろうぜ!──そんな勢いを感じさせるイベント「歴史フェス」が、2024年3月17日に名古屋大学およびオンラインで開催され、申込が殺到した。漫画・アニメにおける歴史創作、生成AIや3Dデータの活用など幅広いテーマのセッションが並ぶフェス、その実行委員長を務めたのが歴史研究者・藤野裕子だ。『民衆暴力』といった著作で一般読者にも知られ、日本近代史の「暗がり」を見つめる藤野が、なぜ多くの参加者と交流するフェスの立ち上げに携わったのか。インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第14回の取材当日はあいにくの天候となったが、降りしきる雨、吹き荒れる風のざわめきは、歴史フェスの話を聞くにはふさわしいBGMだったのかもしれない。

TEXT BY FUMIHISA MIYATA
PHOTO BY KAORI NISHIDA

──会場での対面参加もオンライン参加も、あっという間に申込定員に達するほどの注目度だった「歴史フェス」を終えられて、どんなご心境ですか。

藤野 あまりにすごい経験で、正直にいいますとまだ整理ができていません。各セッションの内容が充実していたということはもちろんのこと、あの場自体に、本当にいろんな方々が参加してくださっていたということが印象的でした。私たち歴史研究者だけの集まりでは考えられないことですが、ご家族連れもいれば高校生の方もご年配の方もいる、男女比も大きく偏ることなくジェンダーバランスもとれているという、奇跡的な場だったのです。

──インタビュアーはオンライン参加でしたが、異様な盛り上がり方であるということは画面を通じても伝わってきました。

藤野 参加くださった方々のご関心もさまざまなんですよ。西洋古代史が好きという方もいれば、私の専門である日本近代史に興味をもっている人もいる。歴史に興味はなかったけれど、友だちが行くというから一緒に来てみたら楽しかったとアンケートの回答をいただいた方もいました。ご友人のことがあったとしてもなぜわざわざ足を運んでくださったのか、もっとうかがいたいくらいです(笑)。
初対面の方が会場のセッティングを手伝ってくださる場面もありましたし、大きなトラブルが起きることもなく、皆さんがそれぞれに気持ちよく、みんなで楽しく過ごせるようご協力いただいたことに胸打たれて、ちょっと言葉にならなかったですね……。

──オープニングを飾った全体シンポジウムの時点で、高校の教員、歴史好きの会社員、著名な歴史小説家といった方々がフラットに、そして積極的にフロアから発言されていて、感動を覚えました。

藤野 SNSでの皆さんの反応を見ていても、何か面白いムーブメントが起きている、と多くの方に感じていただけたのは間違いありません。さらなる歴史への関心につながると嬉しいですし、それがフェスというものがもつ可能性だとも感じています。

──先ほど歴史研究者としてのお立場にすこし言及がありましたが、そもそもなぜ実行委員会を組織した研究者の皆さんは、「歴史フェス」を開催しようと思われたのでしょうか。歴史を「みんなで楽しく」語り合う場を築こうとした思いには、どんな背景があるのですか。

上:歴史フェスのホームページより。ロゴはアートディレクター・グラフィックデザイナーの剣持章生氏が手がけた。 下:当日の会場の様子。オンラインを合わせ、400人を超える参加者による賑わいを見せた(写真提供=歴史フェス実行委員会)

藤野 まず大前提として、歴史研究者の私たちと、歴史が好きだったり、歴史ファンであったりという方々が、一緒になる場や機会がなかったのです。はっきりと分かれてしまっている現状を変えたい、というのが第一の目的としてありました。

ここで重要なのは、歴史研究者は歴史を研究することが面白く、その楽しさを伝えたいと常日頃思っているわけですが、そんなことを教わるまでもなく、歴史好きの皆さんは歴史を楽しんでいらっしゃる、ということなんです。

──必要なのは、歴史の楽しさを教える場ではない、と。

藤野 そもそもの楽しみ方が違うかもしれない、ということもありますね。そして歴史研究者は学会やシンポジウムといった集まり方しか知らず、内容に関心がある歴史ファンの方であっても敷居が高いという状況がある。一方で歴史好きの方々の集まりに歴史研究者が参加するかというと、なかなか足が向かない。

そうしたなかで、講演会や書籍というかたちで研究者が発信し、歴史好きの方々が受け取るというこれまでの図式とはまた別に、既に皆さんが「歴史する」主体であるというように考え、集う場を設定できないだろうか、と私たちは考えていったんです。そのような意味において、フェスがいいのではないか、と。当初のアイデアは壮大で、各地域の歴史的な料理を提供する屋台を並べてはどうだろうなどと想像を膨らませていたのですが、いきなりはなかなかハードルが高く……(笑)。ひとまず実現できるところからはじめていった、という次第です。

──「歴史する」という動詞が印象的ですが、どのようなニュアンスが込められているのでしょうか。

藤野裕子|Yuko Fujino 1976年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。博士(文学)。専門は日本近現代史、ジェンダー・セクシュアリティ史。東京女子大学准教授などを経て現職。著書に『民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代』、『都市と暴動の民衆史 東京・1905-1923年』(第42回藤田賞受賞)などがある。

藤野 歴史学や歴史教育の分野において、「歴史実践(historical practice)」という概念があります。プラクティス=日常的な振る舞い、すなわち「する」ということだとすれば、「歴史実践」は「歴史する」と言い換えることができますし、まさに「doing history」というような表現を用いることもありますね。

歴史研究の範囲だけでなく、私たちはみんな、もっと日常的に歴史をしているのです。友人同士、過去に付き合っていたパートナーについてお喋りしていたとしたら、それは意識せずとも歴史しているんですね。ある特殊な条件がないと「歴史する」ことができないわけではなく、みんな自然と、それこそ歴史フェスに参加せずとも歴史しているんです。

──無意識に、みんな「歴史する」日々を送っているわけですね。

藤野 「パブリック・ヒストリー」という、学術的な場の外で、みんなで歴史をしていこうという議論も進んできています。外を目指すわけですから、パブリック・ヒストリーは学界の内部における最新の動向ととらえるべきものではなく、歴史研究のあり方自体を転換させ、場と担い手を公共へと開き、共有していくものだと考えるべきでしょう。

──実際に今回の歴史フェスでは、一般参加者たちが能動的に参加し、手を動かすセッションもありました。

藤野 たとえば、「地震資料の利活用を考える in 東海 みんなで翻刻と減災古文書研究会の取り組み」や、「いま、考古学3Dが熱い その概要と実践」といったセッションが組まれました。前者では、一般の方々に協力いただきながら、くずし字史料の翻刻をしていくプロジェクトの紹介に加え、地震や風水害にまつわる古文書解読という取り組みの一環として、江戸期の幕末に起きた地震にかんする史料である「かわら版すごろく」を一緒に遊ぶ、というコーナーがありました。後者は、縄文時代の「石棒」の3Dデータ活用をめぐるセッションでした。

「デジタルアーカイブを使いこなそう! アジア歴史資料センターの魅力と活用法」というセッションもありましたね。これらの取り組みは、史料・資料を公共に向けて開く、という考え方に基づいています。歴史を考えるうえで大事な史料やデータのアクセスが難しければ、「みんなで歴史する」なんていうことはできるわけがありません。けれどもいまは、インターネットを介して多くの人が、「歴史する」のに必要な情報にアクセスできる、そんな環境の構築が可能になってきています。紙に書かれた歴史的史料や発掘された考古学資料のデジタル化、アーカイブ化といった動きは、「みんなで歴史する」状況をつくっていくためのひとつの有効な条件なんです。

──「歴史する」主体であるひとりひとりが集い、「みんなで歴史する」状況へ、ということですね。

藤野 これも前提としてお伝えしておきたいのは、今回の歴史フェスのようなアイデアを考えたのは実行委員会の私たちだけではないということです。そもそも開かれた歴史学というものを考える土壌は既にできあがってきており、だからこそ我々研究者が、飲み会のような場で「フェスやろうよ」なんて盛り上がることになるわけです(笑)

一般の歴史好きの方々のなかにも、ご自身でフェスを開催してきている人がいらっしゃいます。そうした流れのなかで私たちも「歴史フェス」を開いたということなんですね。

──なるほど。藤野さん個人としては、どのようなモチベーションがありましたか。

藤野 あまりに個人的な話にはなってしまうのですが……私自身、歴史学をもっと開かなければだめだと感じたのは、大学院生の頃なんです。これは最初の単著である『都市と暴動の民衆史』のあとがきにも記したことなのですが、院生時代に交通事故に遭い、後遺症として脳の機能に乱れが生じてしまったんですね。文字を読むことも論文を書くことも、一時期は厳しかった。しかし、論文というアウトプットの仕方ではなく、たとえばオーラルで、しかも講義ではなくフランクにラジオのようなかたちで歴史について話したら、受け取ってくださる方がいるんじゃないかとも感じました。

その後、体調が戻って論文を書けるようにはなったのですが、歴史学を開くことへの意識は持ち続けました。やがてそれが、いまに至るまで続けている、学術書の著者インタビューや研究教育の雑感をお伝えする「真夜中の補講」というツイキャス配信へとつながっていったんです。

──歴史をめぐる、楽しい、そしてときにシリアスな“お喋り”を配信されていますね。

藤野 とはいえ、当初はやはり、研究者側からの発信という側面が強かったように思います。それでもしばらく「真夜中の補講」を続けていくと、見えてくるものがありました。コメント欄に書き込みをしてくださる方々は、もちろん研究者の方もいる一方で、大学院を出て会社員として仕事をされている方など、本当にいろんな背景をもっていらっしゃる。ツイキャスの配信時間を延長するための「コイン」というアイテムをプレゼントしてくださる方もいます(笑)。そのようにして、不特定多数の皆さんと一緒に何事かを進めていくことの大切さというものを、実感できるようになっていったのです。

──「みんなで歴史する」の端緒につかれた、ということですね。

藤野 もう一点、これはやや話が飛躍するかもしれないのですが……。私はこれまでに、近代日本社会における民衆の暴力というものを考えてきました。その暴力という力は、権力にばかり向けられたわけではなく、たとえば関東大震災時の朝鮮人虐殺にもつながっていったわけです。この出来事にかんしては、地域の人たちによる入念な聞き取りによって事実が解明されていった、という側面が非常に大きい。私自身も、そうした地域の方々が聞き取った証言をもとに、研究を進めてきました。ある意味において、開かれた歴史のありようは、既に存在していたともいえると思うのです。

──その点にかんしては、実は不思議でもありました。歴史の「暗がり」を考えてきた藤野さんが、歴史フェスというお祭りにおいて、中心のおひとりとして活動されているということはどうとらえればいいのでしょうか。

藤野 いわれてみれば不思議ですよね、『民衆暴力』のような本を書く人間が、どうしてフェスを手がけるのか……自分でもなかなか端的には説明できないんですけれども(笑)。ただ、『民衆暴力』のような歴史の語り方をするには、フェスが必要だとは直感的に思っています。これはあくまで、実行委員会のなかでも私個人の問題としてお話しするのですけれども。

──歴史の暗がりを考えるには、フェスが必要、ですか?

藤野 うまくお答えできるかわからないのですが、すこし具体的にお話ししてみたいと思います。この度の歴史フェスのなかで、私は「真夜中の補講・特別編 ネガティブな歴史を、地域の力に変える⁈」というセッションを担当しました。そこでゲストにお招きしたのが、大気汚染という公害を経験した岡山県倉敷市の水島地区で「みずしま資料交流館」をつくり、地域の人々と共に歴史を紡ぎ継承する活動を行なっている、みずしま財団研究員(当時)・林美帆さんでした。

私はかねてから林さんの活動に感銘を受けていて、今回じっくりお話をうかがったわけですが、まさにパブリック・ヒストリーの成功例だと感じています。地域の人びとで歴史を話し合い、そこに専門家として介入しつつ、共に編み上げていく。たとえば『みずしまメモリーズ』という刊行物は、地域のデザイナーさんに入ってもらいながら、とてもスタイリッシュなものに仕上げていらっしゃる。それはまた多くの人に、水島の歴史を手に取ってもらえるということでもあり、歴史をめぐる取り組みの未来を考えるうえでも、希望を抱かせてくれるものだと思うのです。

──オーディエンスとしても、深く感銘を受けたセッションでした。

藤野 人は、知らないことは怖がってしまうものです。公害だけではなく、人は知らない対象や相手のことは怖いし、なおさら踏み込まなくなっていってしまう。しかし林さんのご活動は、歴史を知っていくプロセスは楽しいのだということを、地域の方々と一緒に体感していく、素晴らしいものだと考えています。

と同時に、私は歴史フェスのセッションのなかで林さんのお話を聞きながら、その「楽しさ」自体を幅広く考えられるのではないか、とも感じていました。

──歴史を知る楽しさを広くとらえるとは、どういうことでしょうか。

藤野 それこそ虐殺も含めて、深刻で、見るにも聞くにも堪えないような歴史的な出来事というものは存在する。しかし、それでもなぜか人は、知ろうとするのです。そのプロセスは、普段私たちが使っている意味での「楽しい」という言葉では、どうも収まりきらないような気がするのです。「知ることは楽しい」というときの、「楽しい」という部分を、もうすこし豊かに捉え返すことはできないだろうか。『民衆暴力』のようなことを考えるときにフェスが必要だというのは、この直感に基づいているのです。まだ、まったくはっきりとは説明できないのですが。

──歴史とフェスは、むしろ根本的にセットであるべきものなのではないか、と。

藤野 歴史をテーマにフェスを開催する、ということの危うさは、もちろんあるんです。今回も全体シンポジウムですこし話題に上がりましたが、参加者の門戸を開け放っていったとき、歴史修正主義・否定論や陰謀論といったものにどのように対応するのか、という問題はあるわけです。

今回は「歴史フェスをすべての人が安全に楽しめる場にするため」の「歴史フェス・ガイドライン」を提示し、参加者の申込時にも、各セッションの冒頭でも確認するという手段をとりました。また初回だったこともあり、セッションの担い手は見知った研究者や民間企業の方々に限っています。

──そのあたりは入念に準備されていましたね。

藤野 歴史研究者と一般の参加者の皆さんがまったく協働できていないじゃないか、というご意見はもちろんあると思います。また実際、一般参加者同士の交流の時間がほとんどもてなかったというお声も頂戴しました。細かい部分は、本当に反省ばかりです。ただ、あくまで初回であって完成形ではないのですが、この先も続けていくことで、新たな協働が生まれていくと多くの人が実感できた場ではありました。

こうしたプロセスを経て、何段階かのステップを踏んでいった先に、暗がりの歴史も一緒に考えていくことができる、そんな場が形作られていくんじゃないか……。いや、私自身も半信半疑で本当に直感でしかないのですが、少なくとも私は『民衆暴力』のような話も歴史フェスも、両方手放してはいけないのだということを、ほとんど説明不可能な、私が抱えもつ熱量のようなものとして感じているんです(笑)

──そうした藤野さんも含めた実行委員会の皆さん、そして参加者の思いが重なっての初回だった、ということなのですね。

藤野 私の話を離れて歴史フェス全体の話に戻せば、やはりフェスであるからこその可能性があると思うのです。むしろ、最初の入口は「歴史」という部分よりも「フェス」というところに関心をもっていただければいいのかもしれません。何か楽しそうなことをやっているな、ちょっと触れてみようかな、という「フェス」としての入口から、「歴史」の世界に近づいてくださるというのも、とても嬉しいことですね。

そうしたフェスが本当に対話や協働にまでつながっていくのか、単なるお祭りで終わってしまうのではないかという疑念も、当然あるでしょう。ただ、結果は、誰にも想像がつかない。どう転がっていくか、どんな化学反応が起こっていくのか、誰もわからないわけです。だから楽しい(笑)

──結果が予測できないからこその試みだ、と。

藤野 これまでになかったようなかたちに、この歴史フェスが成長していき、小さなお子さんが一緒に育っていくような場になっていったら、それこそ予想だにせぬ何かが起こるんじゃないか。今回現場にいらした高校の先生は、18年続けてほしいとおっしゃいました。生まれた子が高校を卒業するくらいまで続ければ、絶対に何かが変わるから、と。

そのときまで私がかかわったとすると、60代後半に突入していますね(笑)。やれるのかなと不安にも感じますが、実行委員会のなかでは大丈夫、きっと続けられるという声もあります。それこそいろんな人々が協働していって、世代交代もあるでしょうし、歴史フェスという名前も変わっていくかもしれないですが、ああした場が未来につながっていくとしたら、それは何かすごいことになるのではないか。そう思って、やれるだけやってみようと考えています。


profile

宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。