わたしたちは、あまりに多くの間違った情報に囲まれ、自ら発信している。……などと書くとデマや陰謀論、一方でのファクトチェックという話に限定して考えがちかもしれないが、なんてことはない、個人によるSNSでの発信であろうと、企業が手がける文書やウェブサイトであろうと、細かな言葉遣いや表現、数字などの間違いは、至るところに潜んでいる。そうした現代社会においてこそ、「校閲」の力は求められるのかもしれない。 インタビュー連載「編集できない世界をめぐる対話」第8回は、毎日新聞校閲センターの平山泉のもとを訪ねた。同センターは以前より、自分たちの知見を積極的に外部に共有してきており、SNSもあわせ広く耳目を集めてきた。2023年初頭には、運営してきたウェブサイトを「毎日ことばplus」としてリニューアル。このように校閲の面白さと、具体的な技術を世に開こうとしている取り組みの、中心にいるひとりが平山である。校閲記者としての普段の働きぶりを含めて、よりよい表現のため、文字通り走り回る日々について語ってもらった。
TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida
──「毎日ことばplus」をはじめとして、毎日新聞校閲センターは「校閲」という営みを外へ開き、共有しようという姿勢を明確にしています。その中心メンバーのおひとりであり、外部のイベントなどにも積極的に参加されている平山さんに、どんな意識をお持ちなのかうかがいたく参りました。
平山 ありがとうございます、私で大丈夫なのか不安を覚えつつではありますが、よろしくお願いします。私たち校閲記者は普段、ずっと内にこもって文字に向き合っているわけですが、そんな日頃の仕事について、SNSを用いて有志で発信しはじめたのが2011年のことです。翌2012年には「毎日ことば」というウェブサイトをスタートさせました。すると、どうやら自分たちが想像していた以上に読んでいただけるようだということがわかってきた。それをリニューアルしたのが「毎日ことばplus」でして、今回のインタビューも、私たち校閲記者の日常や、そこで培ってきたものに、すこしでもご興味をもってくださる方がいればと思ってお引き受けした次第です。
──2011年から有志で外部への発信をはじめたということですが、そうした試みにつながる何かが、皆さんのなかにあったということでしょうか。1986年に大阪本社の社内有志のグループ「ことばんく」が発足、1990年には「誤字から教室」という企画が立ち上げられるなどして、毎日新聞ことばんく・編『字件ですよ!:校閲ウンチク話』(毎日新聞社、1993年)という本にもなっているようですね。
平山 挙げていただいたものはいずれも大阪本社の校閲によるもので、大阪での発信が活発だったのかなと思います。私は1992年に毎日新聞社に校閲記者として採用され、東京本社に配属となりました。かねて諸先輩方のさまざまな取り組みがあったなかで、自分が経験してきたことに即してお話してみようと思います。入社した1992年、ちょうどその年の11月、毎日新聞夕刊でスタートした連載がありました。1995年3月まで続いた「校閲部午前3時」というコラムです。
──すごい名前ですね!
平山 当時はいまの働き方とは異なるのですが、ちょうど朝刊の作業が終わって、泊まりで仕事をしていた人たちが「さて、飲もうか」と、刷り上がった朝刊の最終版を眺めながら杯を傾ける、そんな時間帯に交わされる雑談のような内容のコラム、という意味合いでした。これも有志の校閲記者たちによる企画でして、新人だった私も筆者のひとりとして、日々の発見や悩みを綴っていました。一度連載が終わり、すこしだけ間があいて、また1996年11月から「校閲インサイド 読めば読むほど」という連載コラムがはじまるんです。やがて「校閲部午前3時」と、「読めば読むほど」の一部が毎日新聞校閲部・編『新聞に見る日本語の大疑問』(東京書籍、1999年)に、その後の「読めば読むほど」の一部が『読めば読むほど:日本語、こっそり誇れる強くなる』(毎日新聞校閲部・編、東京書籍、2003年)という本になりました。とはいえ、校閲記者がみんな書くことが好きというわけではなく、そもそも通常業務が山積しているんですけれど……(笑)
──お忙しいなか、発信を続けてきたのですね。
平山 そうした前例があるなかで2011年、東京本社の校閲デスクが、Twitter(当時)をはじめよう、と。きっかけとしては、それ以前に紙面で、読みが難しい漢字を読めるかどうかお題を出したことがあったんです。2010年11月30日の内閣告示で常用漢字表が改定され、総数 が1,945字から2,136字へ増えたのですが、その試案に対して社団法人日本新聞協会は「(追加候補字種の中には )読みの難しいと思われる字がかなり見受けられる」といった意見書を出していました。たとえば「鬱」という字は「憂鬱」という熟語だったら読めるかもしれないけれど単体では難しいのではないか、「招聘」の「聘」という字はどうだろう、といった議論があったんですね。結果的に「鬱」は常用漢字となり、「聘」は外れたのですが、こうした世相のなか紙面で漢字クイズのようなものを連載したわけです。そうした内容は、140字という適当な字数であり、読者の反応もわかるTwitterに実は向いているのではないか、という話になった。
──そんなきっかけがあったのですね。
平山 Twitterをはじめた翌年にはウェブサイト「毎日ことば」も開設して発信していくというように、すこしずつ活動を広げていったんです。皆さんからよく読んでいただけるものに、実際にゲラに入れた直しを写真に撮って、解説を加えたものがあります。後年、他社の校閲の方もSNSでの発信をはじめられた際に「もっと読まれるようにしたいのだがどうすれば」というようなご相談を受けることがありましたが、「例えば直しをアップしたらどうですか」とお伝えすると、「うちでは難しいです……」という反応をいただくこともありました。
──その点は気になっていました。多くの記事を取材・執筆される出稿部の記者さんたちが、間違いを指摘されたゲラの画像をアップされて、怒ることはないのですか?
平山 もちろん執筆者の署名が出ないようにする、表に出ても問題のない部分に限るというように気は配っているのですが、とはいえ、誰の許可も要らず、特にどの部署からもこれまで文句をいわれたことはありません。それは弊社のいいところだと思っていますし、ありがたいことですね。ゆるい……いや、おおらかな社風なんです(笑)
──だからこそ、校閲の知見を発信することが可能なのですね。
平山 校閲の職場に一時いた取材記者が、出稿部の記事と被らない、校閲記者らしい取材先ならば話を聞きにいってみようと、2014年に第7版を出した『三省堂国語辞典』に取材にいく、ということがありました。また、2017年12月には、当時の論説委員が「(翌月、第7版が刊行される)『広辞苑』の記者会見があるぞ。校閲記者だって参加していいはずだ」と私の背中を押してくれて、出かけたこともありました。私たちは普段から辞書をとことん引きますから、その編集の現場のお話はとても面白いわけです。以来、校閲・校正者の方々も含めて、取材するようになっていきました。いまでは各国語辞典の編集者の皆さんからは、新しい版を出す度に毎日新聞の校閲が取材に来る、と思っていただいているようです(笑)
──そのなかで、2023年1月に「毎日ことばplus」へリニューアルされたのには、どんな経緯があったのでしょうか。
平山 弊社のなかで新規事業の募集がありまして、あるデスクが思い立ち、かつてウェブサイトをはじめたデスクと2人で企画し、そして私を巻き込んで、この3人が中心となって提案しました。お伝えした通り、これまでの校閲記者たちの発信は有志によるもので、いわばボランティアのようなかたちでおこなわれてきた。一方で、弊社の毎日文化センターや他の会場、あるいはオンラインなどで講座やイベントをおこなうと、多くの方に集まっていただけて、フリーランスで校閲をやっている方々などにとっての情報交換の場にもなっていました。それはとても嬉しいことですし、他の校閲者が指摘を入れたゲラを見てみたいという声をいただいたり、あるいは私たちとしても講座を動画として配信したらどうだろうという考えを抱いたりするなかで、ウェブサイトの運営をきちんと事業化して予算も人員もつける、というアイデアが出てきたのです。会社に認められたものの、拙速にはじめようとして部内に反発を招いてしまったこともありましたが、その後、社内、部内でいろいろな意見をもらいながら議論を深めていき、現在の「毎日ことばplus」のかたちへたどり着いています。
──2023年5月には有料の動画講座「校閲力講座」入門編がリリースされました。8月には有料会員プランがスタート。実際に校閲記者が経験した間違いやよくあるミスを盛り込んだゲラで腕を磨くことができる「学べるゲラ」という企画などが立ち上げられています。
平山 「学べるゲラ」には、荒唐無稽なミスというよりは、校閲記者たちがよく見かける、いわゆる「あるある」の間違いを多く盛り込んでいます。実際にゲラに向き合っていただくと、書かれた文章というものには多くの間違いが潜んでいるんだな、そして意外とその間違いを見逃すんだなということに気づいていただけるはずですし、それが大事なことだと思います。
──校閲の楽しさと難しさが、同時に伝わってきます。
平山 実際の校閲記者の作業は、言葉の使い方などを逐一見ていきつつ、ファクトが出てきたらデータにあたって調べる必要があります。調べそこねた箇所や、あとで調べようと思っていたところに限って間違っているということは、校閲に従事する人ならば誰しも経験してきていることです。ですから、本当に全部調べなければいけないんですね。
──言葉の問題とファクトの問題に、常に同時並行で対峙する、と。配信されるコンテンツを見ていると、スポーツの試合における「対戦」と「対決」の違いなど、ハッとさせられることが多くあります。1940~50年代にかけて、都電の最盛期の利用者数が「年間200万人近く」という文章に対し、1日5000人だとすると当時の東京の人口からしておかしいと気づいて裏をとり、「1日200万人近く」に直していくくだりなども唸らされました。そもそも、校閲記者の皆さんは、普段どんな働き方をされているのですか。
平山 ひとつの原稿を、社会部、政治部、経済部、学芸部といった各出稿部の記者が書き上げ、各デスクのチェックを受けた上で出稿されると、私たちの手元にA4の紙に印刷されたかたちで出てきます。まだウェブサイトにも流せませんし、整理部が紙面上でデザインすることもできない段階のものですね。それを私たち校閲記者が読みます。
──ひとつのニュースにつき、最低でも3人は目を通すようにしているそうですね。
平山 はい。前提として、面によって出稿部も整理部も「硬派」と「軟派」にわかれていまして、私たち校閲もそれに対応した動きをしています。
──「硬派」と「軟派」ですか?
平山 一面や国際面、経済面などが「硬派」で、社会面やスポーツ面は「軟派」ですね。たとえば「軟派」の面だと、記事の見出しのつけ方の自由度が高いというのは、多くの方がご存じだと思います。私たち校閲も、「硬派」「軟派」それぞれにデスクがいて、そしてキャップ、さらに各面の担当がつく。ひとつのニュースを、面担が読み、デスクかキャップが読み、紙面の形に組まれてからはデスクもキャップも読むことで、最低3人の目を通る、という感じです。そのプロセスのなかで、ここは直したほうがいい、いや元のままでいいのではといった議論をし、必要があれば出稿部のデスクに問い合わせをする。その上での修正は、以前は整理や制作の方が担当していたんですが、現在のシステムでは校閲自ら直していきます。
──毎日新聞校閲センターの皆さんのご発言を追っていると、「どうやらこれは、校閲記者さん自ら最終的な直しの反映をしているのでは」と、信じられない思いでいました。新聞と隣り合う出版の世界ではありえないことですね。
平山 そうなんです。校閲記者が直すときに間違ってしまっては大変なので、責任重大なのですが……。他にもたとえば、東京本社の校閲の目を通った記事が、大阪本社でも紙面に組むということはよくあります。もちろんそれぞれに独自の記事もあるのですが、共通した内容をそれぞれのやり方で紙面に組むということがあるわけです。その場合、大阪の校閲記者が「あれ、おかしいぞ」と何か気づいて、電話で問い合わてくることがある。こちらが「既に確認済みです」と答えられる事項だったらいいのですが、大阪から電話が来るとドキッとしますね(笑)。もちろん、多くの人の目を通すことは、正確性を期す上で大切なことです。
──校閲をするなかで、執筆者の見解とバッティングしたことはありませんか。
平山 事実関係について対立することはほとんどないのですが、表現の仕方というレベルになると、特にコラム関連では意見がわかれるときもあります。校閲としてはわかりやすさを重視しますが、筆者としては「この言葉は使いたくない」という場合などもありますから。若手だった頃、論説委員だったベテランのコラム筆者と喧嘩したこともありました。一面コラムの「余録」の原稿で、統一地方選の市長選の結果、女性市長が前年の1人から3人へと一気に3倍に増えた、というような表現があった。しかし調べてみると、統一地方選ではない選挙で当選した人も含めていることがわかりました。前年比としては問題ないのですが、統一地方選で一気に、となると誤解される可能性があったわけです。
──校閲としては見過ごせない、と。
平山 念のため周囲の校閲の人にも相談したのですが同じ意見でしたし、論説委員のコラムにはデスクも存在しないので直接論説室まで問い合わせにいったところ、いくら話しても直さないということで喧嘩別れに。悔しくて、席に戻ってきた私の顔は真っ赤だったそうです。ところが、しばらくして改められた原稿が論説室からあがってきたら、私が提案したものよりもさらによい表現に直してありました。筆者も読者のため、校閲も読者のためを思い、一緒によいものをつくろうとしている──そのひとつのかたちを達成できた気がして、すごく嬉しかったですね。ちなみにこの話にはおまけがあって、論説室の別の人と話していたとき、件の筆者の方が私のことを「スカイエネミー」と呼んでいるといわれました。造語でしょうけど「天敵」ですね(笑)
──何よりの誉め言葉かもしれませんね(笑)。新聞報道の現場ということでいえば、スピードが求められる場面も多いと思いますが、その点はいかがですか。
平山 近年、特に夕刊ではニュース関連よりもじっくりと読ませるような記事も増えてきていて、すこしずつ状況は変わってきていますが、それでもスピードを求められる場面はたくさんあります。たとえば将棋のタイトル戦であれば、学芸部の記者は何手で決着というような箇所だけ空けて予定稿をつくっておくのですが、その間に校閲記者は調べられることはなるべく調べておくわけです。日経平均株価が「33年ぶり3万3000円台」というような報道も、事前に動きを踏まえて歴史をさらっておくぐらいのことはできます。大変なのは、事件や事故などの場合ですね。出稿部の一角がザワザワしはじめて、校閲も察して「来るぞ、来るぞ」と構えます。出稿前の段階の原稿も端末上で見られるようになっているので、たとえば記事で言及される地域の地図などは予習するなど、できる限りのことをしていきます。
──本当にタイトですね……。
平山 紙面であれば印刷に回す締め切りの時間があり、しかしそれを過ぎても原稿が来ないということさえあるのですが(笑)、校閲が読まないということはありえない。本当はあれもこれも調べたいのだけれど、時間がないからガシガシ線を引きながら読んでいくわけです。「早く、早く!」とせっつかれるなか、「ここおかしい、まだどう間違っているかわからないけれど矛盾がある、ちょっと待って!」と。ウェブで速報を出す際も同様ですね。地震であれば気象庁のホームページを見るなど、限られた時間のなかでファクトを調べられるだけ調べる。短い原稿だったら、1、2分で読み終わらなければいけないこともあります。
──1、2分!
平山 そんな読み方はできるだけしたくないですけれど、読むことならばできる。そして読み終えた後、輪転機が回り出しても調べています。2018年末からは、校閲を通してGOがかからないとウェブサイトにも流せず、紙面にも組めないというシステムになっているんです。弊社はそれほど校閲という過程を重視するようになっているのだと思います。
──システムとして、校閲に重きが置かれているのですね。
平山 校閲に輪転機を止める権限はありませんが 、どうしてもというときには、整理部やその日の編集部長に話して判断を促します 。そういう事態に発展する際は、フロアに一瞬で緊張感が走りますね。「校閲が声を上げてるぞ」「何か誤りが あったのか」と。
──息を飲むような場面ですね。
平山 私が若いときは、出稿部のほうへ問い合わせに走る姿に、「ヤバい、平山が来た! どっちだ、うちの部か!?」と緊張したとか……。とはいえ私は他の原稿も早く読みたいから走るということも多く、動きやすいように短いスカートをよくはくぐらいですから、必ずしも緊急時だけ走るわけではないのですが……(笑)。とはいえさすがに立場も変わって、かつてほど走らなくなりましたね。
──ベターな、できればベストな文章を求めるからこそ、走ってきたわけですよね。近年、インターネット上のコンテンツが校閲の目を通っていないことが多いのはもちろんのこと、書籍でもきちんと検討されないものが出版されることも増えてきました。誰か先人の手で拓かれた道の上で新たにものをつくり、いつかこの道を通る次の世代へ託していく、そんな歴史意識が希薄になってきているようにも感じます。
平山 誰でも発信ができるようになってきて、間違いがあるものもそのまま世に出るようになってきてはいますよね。それで思い出すのですが、私が1990年代初めに入社した後、校閲の人数をざくっと減らされた時期がありました。もちろん、手書き原稿が減って読み合わせする必要がなくなったためではありますが、そのころ言われだしたのが、執筆する記者さえ頑張って、正しい原稿を書いていれば大丈夫じゃないか、ということです。
──まるで現在の話を聞いているようです。
平山 しかし、間違いはなかなかなくならないということをみんなが実感していった。さらにはウェブサイトに出す原稿も増えていくという状況のなか、やはり校閲の目を通すことは大事なのだとみんなが気づいていった、そんな年月がありました。読者の方々は、執筆する記者たちへの信頼に加えてきっと、校閲をきちんと通していることへの信頼のもと読んでくださっているはずだ、ということにも意識が向いていったように感じます。その上で、いまのように広く発信ということが可能になってきたとき、誰か校閲してくれないだろうか、あるいは自分で校閲者の目をもつことはできないだろうか、と考える方も増えてきたような気もするんです。
──校閲の目の、現代的な意義ということですね。
平山 企業も自社のウェブサイトをつくりますし、リリースも出しますよね。私たちは新聞のなかで経験したことしかお話しできませんが、それでもいくらかは、普遍的に役に立てていただける知見を共有できるのではないか、と考えています。弊社の校閲記者は、ほぼみんな最初から校閲記者として採用されていますが、しかし同時に、何か専門的なスキルや豊富な知識をもっているわけではありません。ひたすら調べている──その日々から、お伝えできることがあれば、と。
──AIの技術も、まだ校閲さんの正確性に寄与するには早いですよね。
平山 以前、AI関連の企業の方とお話しする機会がありました。どんな技術があれば役に立つのかというご質問に、調べていくべき方向や資料を教えてくれるAIなら欲しい、とお伝えしたんです。実はいまも、簡単な校正支援システムはあるんですよ。たとえば「静岡県清水市」と原稿に書いてあったら、静岡市との合併によって既に清水区になっているのでチェックが入るというような。ただ、そのレベルなら私たちは条件反射的に直すことができる。最も時間がかかるのは調べることでして、どこに手を伸ばしていけば求めるデータに行き当たるのかわからないということも多い。むやみにインターネット上を検索しても大変なので、いま一般に公開・シェアしている私たちの「調べものリンク集」は、そもそも部内で作成し、活用してきたものです。紙の資料にかんしても、調べる経験を重ねてわかっていることは、先輩から後輩へ伝えられていきます。たとえば共同通信社の『世界年鑑』には、過去のノーベル賞受賞者一覧や各国の細かい時差表なども載っている、というようなことですね。ネットの情報も確からしいものとそうでないものがあるので、こうした提示がAIに可能ならば嬉しいですね。
──情報の方向性を把握することに努めながら、言葉の使用のされ方にも気を配る。そしてその言葉は、社会のなかで日々変化も遂げていく。校閲は奥が深いですね。
平山 思い出すのは、若き日の私がなぜ新聞校閲をやりたいと思ったか、ということですね。大学では国語学を学んでいたのですが、3年生のときに校正の勉強をすこしして、新聞には校閲という仕事があると知ったとき、「これは、いまの言葉について主体的に悩むことができる仕事なのではないか」と思ったんです。
──変わっていく言葉について、主体的に悩む?
平山 実際に校閲記者になって、原稿に「スマートフォン」という言葉が出てくるようになったころ、まず「フォン」でいいのかどうか悩みました。弊紙の用語では「テレホン」「インターホン」などは「ホン」を使っているからでして、紙面でも「スマートホン」として登場することも何度かありました。しかし一般的には「スマートフォン」で通るようになりましたから、そちらで統一されていった。やがて、「スマートフォン」の略称である「スマホ」が登場してきました。「スマートフォン」を略しているのに「スマフォ」ではなく「スマホ」。この言葉を見たとき私は、「日本語になった!」と感動を覚えました(笑)。こうした現象にリアルタイムで立ち会い、悩みながら経験できるということが、面白くて仕方がないんです。
宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。2022年3月刊、津野海太郎著『編集の提案』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。
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