WORDS TO WEAR

暮らしの中で「歴史に見られる」——新連載|鈴木涼美「今日はこの言葉を纏う」02

当時の僕が自転車でこれらの場所を通り抜けていたときに感じていたのは、おそらく何百年というとてつもない規模の時間の流れの痕跡が、自分の生活の中に存在している気配のようなものだった。——宇野常寛『砂漠と異人たち』より

TEXT BY Suzumi Suzuki
PHOTO BY Ittetsu Matsuoka
hair & make by Rie Tomomori
design by Akira Sasaki

じゃんけんをして「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル」と一音節ずつ声に出しながら急な石段を上って後ろを振り向くと、西日が背後から照り付けているせいで、十数段後ろにいる友人の顔がよく見えない。もう一度じゃんけんをすると今度は友人が勝って「グ、リ、コ、ノ、オ、マ、ケ」と顔の見える位置まで近づいてくる。山の頂まで続く細い石の階段は記憶の限り全部で126段だったのだけど、123段だったかもしれないし、129段だったかもしれない。何度か数えながら上ったことがあるのだけど、確かいつも数が合わなかった。グリコのじゃんけんは大抵階段が一旦途切れる中腹で飽きられて、あとは話しながら一応最後まで上りきったり、もう誰も上っては来ない石段に座って日が沈み切るまで中身のなくなったパピコのビニールを噛み続けたりした。

小学校に上がるのと同時にその土地に引っ越してきた私は、なんとなく近所の大人の話から、首塚と呼ばれるそこが墓なのだと分かっていたのだろうが、護良親王という漢字は当然知らないので、「モリナガシンノウ」のモリナガは森永チョコフレークのそれと思い込んでいた。もう少し大きくなって、600年以上前の皇族が近くの神社に残る土牢に長く幽閉された挙句、首を切られて殺された、その首を祀った塚なのだというおおまかな歴史はなんとなく学んだ。首を切られるときに、刀を歯で食いしばって放さず、別の刀で首を落とされた後もなおずっと咥えていたことから、不気味がられてそのまま首を捨てられたのだと、たしか母が教えてくれた。

それまで住んでいたのは東京の中央区で、築地にある幼稚園に通った。そのあたりも古いものは残っているのだけど、子どもたちが遊ぶのはマンションの下に整備された公園で、パンダの人形にまたがって揺られる遊具や、象とキリンを模した小さな滑り台があるようなところだった。引っ越した先にそんな公園はバスに乗って随分行かないとないので、近所の子どもたちが集うのは自ずと神社やお墓、それから山や川となる。不思議なのは砂場やパンダ人形よりも随分と危なっかしい急な石段や神社の土牢、あるいは崖のように急な山の斜面で、私たちはほとんど怪我をしなかったことだ。石の階段はところどころが小さく欠けたり削れたりして、苔が生えて滑る箇所もあったのに、そこで誰かが大けがをしたり、人が死んだという話は未だに聞かない。私が高校に上がってあまり墓でも公園でも遊ばなくなった頃、小さな児童公園の遊具は落下事故などが問題視され、安全に配慮して軒並み撤去されることとなる。

「歴史に見られている」とは雑誌『モノノメ』#2に収録された「観光しない京都2022」という宇野常寛の紀行文の一節である。「自分の人生なんかよりとても大きな、途方もないくらい大きな時間の流れが世界には存在しているのだということが、言葉の上のものではなく、もっと深い、総合的で身体的な実感として伝わってくる」という感覚は、私が首塚の石段をグ、リ、コと上っていたときの気分を奇妙に言い当てる。つまらない大人になった私はつい、歴史的建造物を見ようが墓を見ようが、それが造られた時と今それを見るワタシという二つの点でしか把握しようとしていない。モリナガをお菓子の名前としてしか知らない私には確かに歴史を見たい、感じたいという目的は微塵もなかった。だからこそそこは護良親王の時代と今この時点を唐突に結びつけるものではなく、もっと持続的で日常的な長い時間の流れの中にある光景として身体にとりこまれたのかもしれない。

京都の紀行文で触れられた歴史に見られる身体を得ることは、「アラビアのロレンス」や村上春樹を論じた宇野のその後の著書『砂漠と異人たち』でより詳細に記述される。人々が未知のものから逃避し、自分らの物語を気軽に発信しながらそれを相互に評価することに没頭する時代へのひとつの解として。私の今住む街では首塚や土牢のようなおどろおどろしい場所はそう簡単に見つけられないけれど、そのような言葉にして石段を器用に駆け上った時間を思い出すと、私には理解し得ないものばかりが折り重なるこの世界がごく自然なものになっていくような、奥歯の食いしばりがほどけていくような気分になる。

 

profile

鈴木涼美|Suzumi Suzuki
1983年東京生まれ / 作家。慶應義塾大学環境情報学部在学中にAVデビュー。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。日本経済新聞社を退社後、執筆業を中心に活動。小説に『ギフテッド』『グレイスレス』(文藝春秋/ともに芥川賞候補作)。主な著書に、修士論文を書籍化した『「AV女優」の社会学 増補新版』(青土社)『身体を売ったらサヨウナラ〜夜のオネエサンの愛と幸福論〜』(幻冬舎)『娼婦の本棚』(中公新書ラクレ)など。