DIRECTORS TALK

『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、昭和の記憶を持たない人たちにこそ観て欲しい

母親が、隣家の若い男とダイナマイト心中……。そんな、冗談のごとき実体験を持つ稀代の雑誌編集者・末井昭の自伝的エッセイ『素敵なダイナマイトスキャンダル』が、このたび映画化された。監督は『パビリオン山椒魚』や『パンドラの匣』で知られる冨永昌敬。「ひとりの男の半生ではなく、文体を映画化した」という冨永自身が本作品の見どころを解き明かす、自作自演インタビュー!

TEXT BY MASANORI TOMINAGA

『素敵なダイナマイトスキャンダル』の映画化は、冨永昌敬(写真)が7年近く温めてきた企画。HILLS LIFE DAILYではおなじみの菊地成孔氏が音楽を担当するとともに、写真家・荒木経惟(アラーキー)に扮した役で出演している点も見どころだ。

力を入れた、冒頭の「喫茶店のシーン」

——『素敵なダイナマイトスキャンダル』公開おめでとうございます。

冨永 ありがとうございます。

——どうですか、かなり構想期間も長かったみたいですけど。

冨永 長いといっても6〜7年ですからね。僕個人としてはもちろん、ようやく実現したという気持ちは強いし、むしろ今でよかったと思ってます。

『素敵なダイナマイトスキャンダル』 監督・脚本 冨永昌敬、出演 柄本佑、前田敦子、三浦透子、峯田和伸、松重豊、村上淳、尾野真千子ほか、原作 末井昭『素敵なダイナマイトスキャンダル』(ちくま文庫刊)、音楽 菊地成孔、小田朋美 ※3月17日よりテアトル新宿、池袋シネマ・ロサほか全国ロードショー ©2018「素敵なダイナマイトスキャンダル」製作委員会  

——原作は雑誌『写真時代』『パチンコ必勝ガイド!』などの編集長として知られる末井昭さんの自伝的エッセイ(1982年刊)です。7歳のときに母親をダイナマイト心中で亡くした主人公が、工場労働者、キャバレーやピンサロの看板描きなどを経て、エロ雑誌の編集長になってゆく半生が描かれています。おもな舞台は70〜80年代の東京ですが、映画化にあたって、どういうところに力を入れましたか?

冨永 どういうところっていうと?

——たとえば脚本とか、キャスティングとか、時代考証でもいいです。

冨永 そうですね、どっかの場面について突っ込んで訊いてもらったほうが、いろいろ具体的に話せるんですけど。母親と浮気相手の場面とか、キャバレーの「チンポの塔」とか、ペンキかぶって全裸で走る場面とか。

——じゃあ冒頭の、喫茶店と警察の場面にしましょうか。エロ雑誌の編集者たちの溜まり場の喫茶店で、ヌードモデルの面接や斡旋が日々おこなわれてるっていう。

冨永 そこは力が入りましたよ! 原作のなかでも特に面白おかしく描かれてるところなんで、扱いにも気をつけましたし。あ、原作読んでます?

——読んでます。扱いに気をつけたっていうのは?

冨永 自伝的エッセイと言われてる本ですけど、同時に70〜80年代のエロ雑誌業界のルポでもあるんですよね。末井さんは自分のことを振り返りつつ、実は周りの面白い人々を観察するような視点から書いてもいるんで。

——ああ、ヌードモデルの女の子には「世話女房型」「あばずれ型」「えせインテリ型」みたいに、幾つかのタイプがあるとか。

冨永 そうそう、モデル斡旋業者なのに、モデルのプロフィール写真が致命的にピンボケしてる「真鍋のオッちゃん」とか。でも、それがキャッチーで奇特だからといって膨らませすぎると、主人公が単なる傍観者になってしまいかねないので。

——別の場面に出てくるエロ小説のライターなんか、完全に主人公が観察してますもんね。

冨永 末井さんの場合、そういう観察眼が冷たくなくて人情があるんですよね。だから、自分たちの雑誌をワイセツ物として取り締まる側の警官までもが、ユーモラスな人間として描かれてるんです。本来うるさい存在のはずの警察に、むしろ同情してるんですよ。

——松重豊さんが演じた警視庁風紀係の「諸橋係長」のことですね。

冨永 彼らの仕事って、毎月たくさん出るエロ雑誌に陰毛や性器が映ってないかチェックすることなんだけど、子どもたちはパパの仕事内容なんか知らないわけでしょ。「うちのパパは刑事だ。ピストルで悪者をやっつけてるんだ」って友だちに自慢してるかもしれない。そういう風紀係を末井さんは気の毒だと思いながら、それでも雑誌を売るために、毎号ギリギリの写真を掲載してたわけです。だから当初は、松重さんが自宅で娘たちと刑事ドラマを見てる、っていう心中複雑な場面なんかもシナリオに書いてたんですけども(笑)。

末井昭役を演じる柄本佑(左)と、警視庁風紀係の諸橋係長を演じた松重豊(右)。

「物語」よりも「文体」を映画化したかった

——なるほど(笑)。柄本佑さん演じる主人公と諸橋係長が、それぞれ立場は違えど、お互いの苦労を察してるように見えました。

冨永 そうなんですよ。だから警官なら警官で、彼らのことを権力の手先としか見てない人には、あんなエッセイは書けないでしょうね。そういう人情が、末井さんっていう人間観察の名手の文体をつくってるんだと思うし、その文体は平易で飾ったところが一切なくて、自分自身について振り返るときにも、まったく容赦ない。『素敵なダイナマイトスキャンダル』を書いた34歳の末井さんは、自分の人生を「ダサい人生」と呼んで、本当は悲惨だったり忌々しかったりするような経験でさえ、面白おかしく読ませてくれます。

——ちょっと面白い話みたいな具合ですよね。あの文体は非常にフラットで驚かされます。

冨永 文体といえば、2009年に太宰治の『パンドラの匣』を映画化しましたけど、出演してくれた小説家の川上未映子さんが、「自分が太宰の文章になったような気持ち」と言ってくれました。さすがというか、やはりというか。そう言われて嬉しかったのは、やっぱり物語よりも文体を映画化したいという狙いがあったからですね。太宰も末井さんも、内省と観察がひとつの文体の中でフワッと結び合ってるんで、それ自体を自分の映画に取り込もうとしましたね。

——今回も末井さんの半生の映画化というより、末井さんの文体の映画化ということですか?

冨永 言い切るならそういうことですね。また文体にはその人柄が必ず出ると思うので。

「母親の最後」は、二度に分けて見せる必要があった

——家出して浮気相手とダイナマイト心中をしてしまう母親(尾野真千子)が、幼少時の主人公の寝顔を見に帰ってくる場面があります。原作で「絶対にあれは幽霊だった」と著者は断言していますが、映画には独自の解釈が加えられているように思えました。

冨永 そうですね、それを「幽霊だった」と断言するのも、当時の末井さんらしさだと思うんですよ。ところが、30年後の末井さんが書いた『自殺』(2013年)という本では、「死ぬ前に子供を見に来たのか、幽霊だったのか、あるいは夢だったのかわかりません」という具合に、三つの可能性を出してるんですね。今の末井さんがどれを信じてるか一目瞭然ですよ(笑)。

——たしかに『素敵なダイナマイトスキャンダル』と『自殺』では、同じ出来事を振り返るにしても著者の温度が異なりますね。

冨永 そうなんです。だから今回の映画化の前に『自殺』という第二の自伝が刊行されたことは、末井さんの言葉を通して人間を描くうえで、僕らの視界がひらけたと思いますね。映画では母親が帰ってくる場面は二度に分けて見せてます。一度目は夢なのか幽霊なのかわからないボンヤリした見せ方。二度目のほうは客観的事実として、息子の寝顔を見た母親がダイナマイトを持って出てゆく様子を描いてます。この場面の尾野さんの美しさには説得力があると思います。

——原作は初版当時に読んだわけじゃないですよね?

冨永 そうですね、82年っていうと俺まだ7歳なので。

——つまり『写真時代』など、末井さんのエロ雑誌もリアルタイムじゃない。

冨永 ぜんぜん間に合ってないですね、『写真時代』は88年に廃刊してるんで、俺なんかやっと中学校に上がった年ですよ。原作に「僕はいったい何人を射精させてあげたんだろう」って末井さん書いてますけど、そういう意味では俺はお世話になってないですね。というか、うちの地元はエロ本を手に入れるのも難しいほどのド田舎だったんで、週刊誌やアイドル雑誌のグラビアが貴重なエロ写真でしたよ。もしかしたら受刑者のほうが抜けるネタ持ってたかもしれない。

——じゃあ、地元の男たちはみんな禁欲的に生きてた?

冨永 禁欲的っていうわけではなかったと思うけど。

——逆に夜這いの風習がまだ残ってたり?

冨永 若い未亡人に筆下ろししてもらったとか? そこまでじゃないですよ(笑)、エロ本がなかったってだけで。それくらい前近代な土俗社会だったら、むしろ誇れるんですけどね。末井さんの地元もすごい山奥だから、あらゆることに渇望してたと思うけど。

——荒木経惟さんをモデルにした写真家の役で、菊地成孔さんが出演しています。菊地さんは小田朋美さんとの共作で映画音楽、主題歌も担当していますが、注目せざるをえないのは「山の音」という主題歌です。なんと、歌っているのが尾野真千子さんと末井さん。

冨永 成孔さんは、映画の主題歌という本来あってもなくてもよいものを、狙って書ける人なんですよね。そうするとエンドロールが一つの場面にまでなってしまう。成孔さんに音楽を頼んだのは今回で3作目で、いつも映画の余韻を演出してくれてるんだと思ってます。そのうえ今回は、原作者と母親役の女優が歌うっていうアイディアも光ってる。

この映画を通じ、2つの運命の出会いがあった

——主人公がエロ雑誌にかかわる前の、デザイン会社の同僚役として峯田和伸さんが登場します。あの人物は、著者もことあるごとに触れるほどのキーパーソンですよね。

冨永 近松さんっていう方なんですけど、一緒にいた時間は短くても、すごく影響を受けた存在なんじゃないですか。人生の指南役みたいに、若くて頭でっかちで観念的な自分を、ときには批判もしてくれるっていう。こういう友だちを大事にしてるってことは、末井さんも言われるほど怪人じゃないわけで(笑)。ホッとしますよね。

——その近松さんも、重要な役どころとはいえ、ほぼ前半にしか出てきませんが、実際の末井さんとのお付き合いはどうだったんでしょう。

冨永 それがですね、この映画化がきっかけみたいになって、末井さんは近松さんとウン十年ぶりに再会したんですよ!

——ということは連絡が取れたんだ。

冨永 ちょっと前に『自殺』を読んだ近松さんが、出版社に末井さん宛てに手紙を出してたらしいんです。もちろん『自殺』に近松さんも登場してるし、やっぱり疎遠になってもお互いのことは気になってたんでしょうね。で、劇中に出てくる近松さんが描いたキャバレーのポスターを、近松さん本人が昔を思い出しながら描いてくれたんですよ。

——へええええ、それはいい話ですね。

冨永 いい話なんですよ。ちょうど俺にも似たようなことがあって、それもこの映画がきっかけで、20代のころの親友と再会したんですよね。末井さんがペーソスっていうバンドでサックス吹いてるでしょ、そのペーソスに新メンバーとして去年加入した近藤哲平っていう男がいて。

——その人が親友?

冨永 そう、すごい偶然に。そいつはクラリネット奏者なんだけど、おたがい同い年で27〜28歳だったかな、俺が映画で忙しくなったころ、哲平はニューオーリンズの音大に留学しちゃって、それから会ってなかったんですよ。

——じゃあ映画とペーソスが繋いでくれたってわけだ。

冨永 またね、末井さんと近松さんじゃないけど、田舎者で頭でっかちだった俺にちょいちょい意見してくれるやつだったんですよ。だから久しぶりに会ったとき、面白い映画や音楽はこいつから教わったんだよなって、全部フラッシュバックしましたね。

この映画の一番のメッセージは?

——主人公と自分が重なるところが多いっていうのも、映画化の理由なんですか?

冨永 もちろんそういうこともありますよ。ただ、それが自分だけに留まるようなら映画化しても仕方ないじゃないですか。末井さんの本は、少なくとも『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、読み手が自分を重ね合わせやすく書かれてるんですよ。あとがきに「ダサい人生に悩んでる人はぜひ読んでほしい。救われると思う」って書いてますしね。事実そういう読者は多いと思う。特に何でも自分一人でやってきた人。独学の人、起業家、クリエイターとかね。

——それは今でもそう思いますか? 今の読者や、この映画の観客になる人々のことなんですけど。ちょっと思うのは、70〜80年代は今とくらべて何でも大雑把で、いろんなことに伸びしろがあったはずでしょう。そういう時代ならではの主人公という面もあるんじゃない?

冨永 この映画の主人公は、たしかに今の人ではないかもしれないですよ。でも俺は、昔を知る人たちにノスタルジーを感じてもらいたくて映画つくったわけじゃなくて、むしろ高度成長にもバブルにも間に合ってない、就職氷河期世代とか。俺もそうだけど。あるいはもっと下の世代の、昭和が記憶にない人たち、平成生まれの人たちに見てほしいんですよね。

——なるほどね、この映画の主人公も、若いうちは時代の恩恵をこうむってないもんね。

冨永 そう。末井さんは何でも勝手にやってたんですよ。だからこの映画の主人公の姿は、今だからこそヒントになると思うんですよね。世の中が窮屈で、何してもつまんないときは、自分で自分の周りを面白くすればいいっていうか。末井さんは、警察に「淫毛が写ってるぞ!」って怒られたら、次の号では淫毛を剃って、「剃ってもダメだ、パンツ履かせなさい!」って怒られたら、すっごい生地の薄いパンツ履かせたりして、そういうやりとり自体を楽しんでたそうです。

——「エロ雑誌は永久予告編なのである」っていう名言がありますね(笑)。

冨永 面白いことを終わらせないための知恵ですよね。それは俺も持っていたいと思ってるし、この映画を見てくれる人たちへの、いちばんのメッセージになると思ってます。

profile

冨永昌敬|Masanori Tominaga
1975年愛媛県生まれ。映画監督。おもな劇映画作品は『亀虫』(03)『パビリオン山椒魚』(06)『コンナオトナノオンナノコ』(07)『シャーリーの転落人生』(08)『パンドラの匣』(09)『乱暴と待機』(10)『ローリング』(15)『南瓜とマヨネーズ』(17)。ほかにドキュメンタリー、オムニバス、ドラマ、MVなど監督作品多数。