「アベンジャーズ」や「スパイダーマン」で知られるアメリカのエンターテイメントカンパニー、マーベルの展覧会が六本木ヒルズで開催中だ。その見どころを、マーベル・エンターテイメントのバイスプレジデント、アジアにおけるブランド管理&開発を担当するC.B.セブルスキーに訊いた。
TEXT BY Tomonari Cotani
PHOTO BY koutarou Washizaki
ニューヨークに拠点を構えるコミック出版社「マーベル」の名が一躍知れ渡ったのは、1961年に出版された「ファンタスティック・フォー」のヒットがきっかけだった。
61年とはジョン・F・ケネディが大統領に就任した年であり、「国のためなにができるのかを、みんなが考えなさい」というアクティブシチズンの思想が広がりを見せていた時期でもある。加えて、ソヴィエト連邦との宇宙開発や核開発分野における競争、あるいはヴェトナム戦争が本格化し始める時期でもあった。
そんな「アメリカ的価値観」に変化を強いられるという時代の空気を、マーベルのヒーローたちは見事にすくい上げたといえる。ライバル社であるDCコミックスのヒーロー(代表格は「スーパーマン」と「バットマン」)たちが高潔、というか堅苦しいのに対し、兄弟げんかを物語のスパイスにしたり(「ファンタスティック・フォー」)、マイノリティに光を当てたり(「X-MEN」)、悩み多きティーンエイジャーの心を代弁したり(「スパイダーマン」)しながらも、ヒーローである前に日常的な問題も抱えるひとりの人間として描かれたマーベルのヒーローたちは、DCコミックスとは異なるポジションを獲得していったのである。
言うなれば、マーベルから生み出された数々のヒーロー譚には、単純明快な勧善懲悪モノなどではなく、アメリカというレンズを通した時代背景や社会情勢が織り込まれているのだ。そんなマーベルが、最初にコミックを発行した1939年から積み重ねてきた「物語」を体感できる展覧会「マーベル展 時代が創造したヒーローの世界」が、現在六本木ヒルズ森タワー52階 六本木ヒルズ展望台 東京シティビューで開催されている。その見どころを、マーベルのバイスプレジデントにして、アジアにおけるブランド管理と開発を担うC.B.セブルスキーに訊いた。
——まずは、会場をご覧になった印象を教えていただけますか?
セブルスキー 今回の展覧会場には、マーベルの歴史を象徴するものが数多く出展されています。たとえば「MARVEL × HISTORY」のセクションには、世界で100冊程度しか現存していないマーベル・コミックスの第1号(1939年刊)が展示されています。個人的には、1950年代の「キャプテン・アメリカ」が展示されていたことに深い感銘を受けました。
彼は第2次世界大戦中に人気があったキャラクターです。その後、社会情勢の変化もあってか人気は低迷し、1964年に「アベンジャーズ」の一員として文字通り蘇ったわけですが、ほとんどの人が忘れかけている50年代の彼の姿が描かれたページが、今回の展覧会を準備する過程で発見されました。それがこうして展示されている様子を目にした時は、大袈裟に、ドラマチックに言っているわけではなく、本当に涙してしまいました。
——今回のマーベル展はてっきりパッケージ化されたもので、世界を巡回しているのかと思っていましたが、違うのですね。
セブルスキー 今回の展示はまったくのオリジナルです。巡回展ができるようなパッケージはありますが、今回はウォルト・ディズニー・ジャパンとNHKプロモーション、そしてマーベルが、「日本のためにやろう!」ということで一から作り上げました。その根幹にあったのは、1939年に発行された最初のコミックから、つい先日Netflixでの配信がスタートした最新作「アイアン・フィスト」まで、全部を網羅しようというクレイジーなアイデアでした。これだけのスケールの展示をもう一度やろうと思っても、おそらくできないと思います。
——個人的には、展覧会の最後にレオパルドン(1978年に当時の東京12チャンネルで放送された特撮テレビドラマ「スパイダーマン」に登場する巨大ロボット)のフィギュアが展示されていたことが、とてもツボでした。
セブルスキー おおっ、そこを発見してくれて嬉しいです(笑)! レオパルドンは、日本におけるマーベルカルチャーを語るうえでは欠かせない、非常に重要なキャラクターですからね。
——「日本におけるマーベル」というと、いまはやはり映画のイメージが強いと思います。今回こうしてマーベルの歴史を振り返ることには、どのような意義があるとお考えですか?
セブルスキー 映画を観終わったら、次の公開までただ何カ月もお待ちいただくのではなく、コミックをお読みいただいたり、グッズを手にしていただいたりすることで、もっとマーベルを日常化していただきたいと私は常々考えています。
その点で言うと、今回のマーベル展は展覧会会場に閉じているのではなく、六本木ヒルズの各所にフィギュアが展示されていたり、至るところで関連グッズが販売されていたりと、六本木ヒルズ全体にマーベルが溶け込んでいます。これこそ「マーベルの日常化」であり、マーベルが日本のローカルカルチャーの一部になっていく大きなきっかけになったと感じています。
——「マーベルを日常化」していくには、食という視点があってもいいのではないでしょうか。映画『アベンジャーズ』では、最後、ヒーローたちが不味そうにシュワルマを食べていましたが、ほかのマーベル作品ではあまり「食」の印象がありません。
セブルスキー 実は私も、「フード&コミック」をプッシュしているんです! 「食」ってとても大切なことですからね。特にアジアはローカルなフードが人気ですし、みなさんとても誇りに思っていますよね。そうした郷土料理と、マーベル作品に登場するアメリカ的なムードが一緒になって、コラボレーションできればとてもおもしろい企画になると思います。
それに「食」は、テレビでも人気のコンテンツです。アメリカではいろいろなクッキング番組やフード系のリアリティショーがありますし、日本でも「深夜食堂」や「孤独のグルメ」が人気だったりしますよね。そういった意味でも、「食」をモチーフとしたプロジェクトをどんどん進めていきたいと考えています。
デシジョンメイキングの秘訣
——具体的なコンテンツのお話が出たところで、マーベルにおける一般的な制作フローについて教えていただけますか? 会社、編集者、クリエイター……どういった方々の意思が影響力を持っているのでしょうか?
セブルスキー ケース・バイ・ケースではありますが、クリエイターから上がってきたアイデアが生かされているケースが75〜80%だと思います。これはスタン・リー(Stan Lee/「アメイジング・スパイダーマン」や「X-MEN」「アイアンマン」など数々の作品を生み出した人物。現マーベル名誉会長)の時代から変わらないマーベルの社風で、今日のジョー・ケサダ(Joe Quesada/マーベルの現チーフ・クリエイティブ・オフィサー)に至るまで、変わることはありません。
私たちが常に考えているのは、グレートキャラクターとグレートクリエイターが組み合わされば、グレートコンテンツができるということなんです。おかげさまで、マーベルは既にグレートキャラクターを持っています。グレートクリエイターは、雇うことができます。そして彼らグレートクリエイターには自由を与え、仕事をキッチリやってもらうべきだとマーベルは考えているのです。なので、決してルーキーは雇いません。トップ・オブ・トップを集めてすばらしいチームを作り、しっかり仕事をしてもらう環境を整えることを、なによりも大切にしています。
それに加え、年に数回ほど、トップクリエイターを15人程度集めた「クリエイターズサミット」を開催しています。そこでいろいろなアイデアを出し合い、コミュニケーションを図ることで、作品ごとのクオリティや齟齬を回避すると同時に、この後12〜18カ月のロードマップを練るんです。
——たとえば「アメイジング・スパイダーマン」や「X-MEN」や「ハルク」、「ファンタスティック・フォー」といった作品は、たびたびリブートしていますし、映画版でもキャストを変えて公開されています。こうした「作り直す」感覚は、日本のマンガやアニメにはあまりない感覚かなと思います。
セブルスキー そんなことはないと思いますよ。だって日本には「ガンダム」があるじゃないですか! キャラクターのコアが変わっていなければ、ファンは受け入れてくれるんです。たとえば「スパイダーマン」なら、衣裳や設定が違っても、主人公がティーンエイジの男の子で、クモに刺されることで力を得るけれど、自分のせいでおじさんが死んでしまい、そこから、パワーを得ることは責任感を持つことだという認識を持つ、というキャラクターであれば、ファンは受け入れてくれるんです。マーベルが大切にしているのは、スーパーヒーローではなく、ヒューマンの方なのです。
あと、私たちがいつも考えているのは、「トゥーマッチになるまでには、何回(ハウマッチ)やればいいか」ということなんです。マーベルはもうすぐ創業80周年を迎えます。ということは、80年間コミックを読んでいる人もいるわけですよね。彼らが最初に読んだ「ヒューマン・トーチ」は、いまの「ヒューマン・トーチ」とまるで違っているわけです。逆に言うと、若い人が以前の「スパイダーマン」を読んで、「これは親世代の『スパイダーマン』だよ」と感じてしまっては、人気が出ないわけです。ですから、昔のストーリー、昔のファンをリスペクトしながらも、新しい読者を引き入れるためにはどのようにバランスを取っていけばいいのかについては、常に腐心をしながら作業を進めているんです。正直、とても難しい作業ではあるのですが。
作品を豊かにする「敵役」の存在
——魅力的な主人公には、魅力的なヴィラン(敵役)が不可欠だと思います。一方で社会を見渡すと、この10年に限っても、リーマンショックやテロの問題、あるいはポストトゥルースといった情勢の変化もあり、わかりやすく、多くの人を納得させるヴィランを生み出すことは、より一層困難になっている気がします。いまマーベルは、ヴィランにどのようなことを求めているのでしょうか?
セブルスキー 確かに、ヒーローを生み出すより、ヴィランを考え出す方が難しいことは間違いありません。最近で言うと、「ランナウェイズ」や「ミズ・マーベル」といったすばらしいヒーローを生み出しましたが、パッと思いつくヴィランと言えば、ロキ、サノス、レッドスカル、マグニートー、ドクター・ドゥームだったりするわけで、彼らの登場は60年代まで遡るわけです。それだけ、新しいヴィランを見い出すことは難しい。
それと同時に、マーベルの物語というのは、常に現実的な社会が設定されています(たとえばライバル社のDCコミックが生み出した「バットマン」の舞台がゴッサム・シティという架空の街なのに対し、「アベンジャーズ」の本拠地はニューヨーク)。ですので、慣れ親しんだ現実感は必要なのですが、そもそも人々がコミックに期待しているのは、ある意味現実逃避にほかなりません。ですから、ヒーローの設定や街の設定と同じレベルで、あまりに現実的なヴィランを描いてしまうと、逃避にならなくなってしまうのです。ニューヨークタイムズやCNN等で毎日目にするニュースと同一線上になってしまうわけですからね。それもあって、ほかの要素と比べると、ヴィランはフィクション性が強くなければいけません。
ヒーローは、ファンが共感を持てなければいけない、ということはわかると思います。でも、ヴィランもまた、共感を持っていただかなければならないと、マーベルは考えています。私たちは「自分はいい人間」だと思っています。そう思っている人たちに、どうやってヴィランに共感してもらうか、ということはとても難しいのですが、実はマーベルのヴィランというのは、「以前はいい人だったけれど、なにかとても個人的な悲劇があり、それで悪の道を選んでしまった」というケースが多いんです。
マーベルのヒーローたちも、大抵なにかしら問題を抱えています。でもヒーローたちは、問題に直面したとき悪の道に走らなかった。その違いだけで、スタート地点は同じなんです。たとえばドクター・ドゥームは、かつて主人公の親友でした。だからどんなにひどいことをされても、主人公も読者も、「改心してくれるんじゃないか」と希望を抱いてくれる。そういった意味でも、マーベルにとってヴィランはとても重要で、その存在から、作品への強い共感が生まれていると個人的には考えています。
今回のマーベル展を通じて、そうしたキャラクター造形の内側にも触れていただければ幸いですし、足を運んでくれさえすれば、きっと感じていただけると信じています。
マーベル展 時代が創造したヒーローの世界C.B.セブルスキー|C.B. Cebulski
マーベル・エンターテイメント バイスプレジデント、アジアにおけるブランド管理&開発担当。アメリカの大学を卒業後、4年以上にわたり日本で生活。日本や欧州、米国のコミック市場で何年か編集の仕事に携わった後、2002年に子供のころの夢を叶え、マーベル社に入社。世界各国の優秀なクリエイターを発掘してコミックに起用する。現在はマーベル・ブランドおよび事業の世界展開を担う部門を統括し、毎月のように世界各国を訪れている。
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