STAIRWAY TO HEAVEN

細野晴臣インタビュー「六本木は僕にとって音楽の街だった」

J-WAVEで放送される森ビルのラジオCMのために、新曲「stairway」を書き下ろした細野晴臣さん。新曲について、六本木の街について、同CMを担当したクリエイティブ・ディレクターの澤本嘉光さんがうかがいます。

INTERVIEW BY YOSHIMITSU SAWAMOTO
TEXT BY SAWAKO AKUNE
PHOTO BY KATSUMI OMORI

https://www.youtube.com/watch?v=CTdB3jEU_Fs

はじまりは「天使の階段」

── 今回、J-WAVE『Beat Planet』内の「Hills Agency」の枠内で放送される、森ビルの企業CMに音楽をつくっていただきました。僕らがしたことといえば、曲のきっかけになりそうなキーワードをチーム内でたくさん出してお渡ししたくらい。本当に素敵な曲を仕上げていただきました。

細野晴臣 今回の曲「stairway」の原型は、5、6年前に考えていたものです。その時の仮タイトルは「Jacob’s Ladder」。日本の地方、田畑が延々と広がる土地を車で走っていると、空に覆いかぶさってる雲の切れ間から、光が射し込むことがありますよね? あれを“ジェイコブズ・ラダー(ヤコブのはしご、天使の階段)”と言うそうで。今回のお話をいただいて考えるうち、ふとその曲のことを思い出しました。六本木ヒルズなら、階段もあるし(笑)。その曲を元につくりあげたのですが、「丘を昇る」という歌詞は元々あったんですよ。

── 曲として、素直にとてもいいなと感じる一方、あまりに六本木ヒルズにもぴったりと合っているので、細野さんにお気遣いいただいたんではないかと恐縮したほどでした(笑)。原曲との不思議な巡り合わせだったんですね。細野さんにとって、六本木ヒルズは階段の印象が強い場所なんですか?

細野 車でのアクセスも楽だから、映画はたいてい六本木ヒルズで観ます。だから映画館の行き来の階段のイメージはありますね。

クリエイティブ・ディレクターの澤本嘉光さん

クリエイティブ・ディレクターの澤本嘉光さんは1966年長崎生まれ。森ビルのラジオCMの他に、ソフトバンクモバイルの「白戸家シリーズ」など数々のヒットCMを手がけている。

六本木に行けば新しくて刺激的な音楽に会えた

── 細野さんにとって六本木はどういう場所ですか?

細野 僕にしてみれば、六本木と音楽はものすごく密接です。最初に思い出すのは、まだ20代、プロになる前から通いつめた「ジョージ(George’s)」というバーですね。旧防衛庁、今でいうミッドタウンのそばにあったそのバーを、若き松本隆と僕とで見つけて入ってみたら、日本人のお客さんはほとんどおらず、ジュークボックスから最新のリズムアンドブルースが流れている。休暇中のアメリカ兵や外国人アーティストが踊っていたりしてね。松本も僕もお酒は飲めないので、コーヒーを飲みながらそういう曲に聴き入り、ドラムとベースのタイミングなんかを研究していました(笑)。

── 時代的には1960年代の半ばから後半にかけてですね。六本木って、時代ごとにかなり印象の違う街だと思うんです。細野さんにとっては、外国の方がかなり多い場所だったんでしょうか。

細野 ベトナム戦争の時期でもありましたから。その頃のもう一つの思い出は六本木と麻布の間あたりにあった“絨毯バー”。靴を脱いで絨毯の上で飲んだり踊ったりするバーで、音楽仲間とよく出入りしていました。だからそこではいくつかのバンドができたんじゃないかな。僕も、ここで小坂忠や柳田ヒロに誘われて「エイプリル・フール」というバンドに参加したんですよ。

── プロとしての始まりも六本木だったんですね!

細野 「エイプリル・フール」は方々で演奏もしていたのだけど、六本木にも、お酒を飲んでいる傍らでバンドがライブするようなライブハウスがありました。そういうところに、まだ10代のユーミンも通ってきていたり。あの街に行けば新しくていちばん刺激的な音楽に会える。そういう街だったんですよ。

── なるほど。僕自身は、通っていた中学高校が広尾と六本木の間にあったんです。だから思い出の中心は80年代になるんですが、なんといっても、今の六本木ヒルズがある場所にあった「WAVE」の印象が強いですね。

細野 僕らも週に何度も通っていました。最新の音楽も、知らない情報もあそこにあった。WAVEで見つけたとてつもなく格好いい音楽を追ってフランスまでリサーチに行ったなんてこともありました(笑)。

── 僕はまだ思春期ですから、突然できたあの場所が“よく分からないけれど格好いいぞ!”と。あまりに格好いいので、ここにあるものを聴いたり、持っていたりすれば、自分も格好よくなれると思える(笑)。六本木を通って帰りたいから、下校時はわざわざ回り道をしていました。それから当時のテレビ朝日の社食に潜り込んだり、写真スタジオの外で芸能人を見て興奮したり(笑)。ちょっと背伸びしたくなる、そんな街でしたね。

細野 かわいいじゃない。澤本少年がウロウロしていたんだ。その頃、出会ってたのかもしれないな。

── 「あ、細野晴臣だ!」って(笑)。それは愉快な想像ですね。

profile

細野晴臣|Haruomi Hosono
1947年東京生まれ/音楽家。69年「エイプリル・フール」でデビュー。70年「はっぴいえんど」結成。73年ソロ活動を開始、同時に「ティン・パン・アレー」としても活動。78年「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」を結成、歌謡界での楽曲提供を手掛けプロデューサー、レーベル主宰者としても活動。YMO散開後は、ワールドミュージック、アンビエント・ミュージックを探求、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動を続ける。最新ライブ映像作品『細野晴臣 A Night in Chinatown』(DVD/Blu-ray)が発売中。

初夏ツアー2017
6/25 @沖縄・桜坂セントラル
7/10 @東京・浅草公会堂
7/15 @大阪・ユニバース
7/17 @京都・磔磔(京都公演のみ女性限定)