NMWA & Kawasaki PARTNERSHIP

知っていますか? 国立西洋美術館と川崎重工のパートナーシップ

東京・上野の国立西洋美術館(NMWA)と川崎重工は2023年にオフィシャル・パートナーシップを締結し、「アートの力を活かした豊かな社会」に向けて共に手を携えて活動している。そもそもなぜ、川崎重工がアート? その背景について、国立西洋美術館の田中正之館長に話を聞いた。

TEXT BY MARI MATSUBARA
PHOTO BY MANAMI TAKAHASHI

国立西洋美術館外観。1959年開館。本館の設計はル・コルビュジエ。

2階展示室。建設当初は低い天井の上にある「照明ギャラリー」と呼ばれるガラス張りのボックスが屋上からの自然光を取り入れていた。

——国立西洋美術館で作品を鑑賞していると、ときどき作品タイトルの横に「松方コレクション」と書いてあるのに気づきます。松方コレクションとは何なのですか?

開館時から所蔵する作品には「松方コレクション」の表示。松方旧蔵で、開館後に館の所蔵となった作品には「旧松方コレクション」の表示が。

田中 明治時代に2度内閣総理大臣を務めたほか大臣など要職を歴任した政治家、松方正義の三男、松方幸次郎が収集した西洋美術コレクションが礎となって開館したのが国立西洋美術館です。そのため、現在でも館蔵品の中にはもともと松方幸次郎氏のコレクションだったものが多数あり、それを「松方コレクション」と呼んでいます。ではなぜ松方コレクションが国立西洋美術館の礎となったのか、その経緯をご説明しましょう。

田中正之|Masayuki Tanaka 1963年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了後、ニューヨーク大学美術研究所で学ぶ。専門は西洋近現代美術史。国立西洋美術館主任研究員、武蔵野美術大学造形学部教授等を経て、2021年4月より国立西洋美術館館長。

田中 松方家は日本の近代国家設立のために政財界で活躍した人物を多く輩出しましたが、松方幸次郎も川崎重工の前身である川崎造船所の初代社長を務めるなど、経済の分野で日本の近代化に貢献しました。それと同時に、文化・芸術の面でも西欧諸国に劣らぬ成熟した国にならなければと考え、私財を投じて一大コレクションを築いていったのです。

松方幸次郎[1866〜1950] 1896(明治29)年、川崎造船所(現・川崎重工)が株式会社となり、30歳で初代社長に就任。1916年、50歳の時から絵画購入を始める。

川崎造船所が製造した偵察機完成の視察に訪れた松方幸次郎。1923(大正12)年。

田中 当時、日本国内には系統だった西洋美術コレクションは存在しませんでした。東京美術学校(のちの東京藝術大学)では油彩を教えていましたが、実際に西洋の絵画や彫刻を見る機会は非常にかぎられていました。絵画を学ぶ人たちに本物を見せてあげようという意識が松方の中にありました。そればかりではなく、一般市民が西洋の芸術に触れることで、西欧諸国をより深く理解することになり、ひいては日本の国民を豊かにし、国の発展につながるのだという強い思いを抱いていました。1910年代終わりから1920年代にかけて、幸次郎は仕事でヨーロッパに渡っては自分の足で画廊を回り、わずか10年ほどの間に約3,000点もの西洋美術作品を一気に購入します。

松方幸次郎とクロード・モネ(左)。松方はフランス・ノルマンディ地方ジヴェルニーのモネ宅を少なくとも2度訪れ、計34点の絵画を購入している。「自分の趣味に偏らないよう収集していましたが、松方はきっとモネが好きだったと思います」と田中館長。

田中 その際、松方は自分の趣味嗜好に従って作品を選んだわけではありません。信頼できる美術館長や画家などのアドバイスに従いつつも、特定の流派や傾向、時代や様式、表現形式に偏ることなく、幅広い分野の美術品を購入対象としました。アカデミックで保守的な作品から、当時まだ評価の定まらない気鋭の作品まで、満遍なく買ったのです。当時の前衛であったモネなどの印象派や、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなどのポスト印象派、ピカソやマティスなどもコレクションには含まれていました。将来的にはこれらを一般に公開するための施設「共楽美術館」を建設しようという構想も持っていたのです。21世紀の今でこそ、美術館が果たす役割として「市民のウェルビーイングに貢献すること」が重要視されていますが、松方の目指したことはそのさきがけであったと言えるでしょう。

フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》 国立西洋美術館蔵 松方がコレクション収集のアドバイザーとして信頼していたブラングィンに描いてもらった美術館の構想図。東京・仙台坂に建設を考えていたが実現せず。© The Artist’s Estate, image courtesy of Liss Llewellyn.

田中 ところが1927年に日本で金融恐慌が起こり、29年には世界恐慌に見舞われ、川崎造船も苦境に陥ります。松方は会社を救うために国内に持ち帰っていたコレクションの多くを売却しました。それ以外にロンドンとパリに保管していたコレクションがありましたが、ロンドンの倉庫は火事になり、中にあった作品のほぼ全てが焼失しました。一方、パリにあった約400点は、松方の収集アドバイザーだったレオンス・ベネディットが当時ロダン美術館の館長だったこともあり、ロダン美術館に安全に保管されていました。しかし第二次世界大戦が勃発し、ドイツ軍の接収からコレクションを守るため、パリの西約80㎞のアボンダンという村の民家に秘密裏に移されました。管理を任された日本人が作品を守っていたのですが、大戦末期に敵国人財産とみなされフランス政府に没収されてしまいました。戦後、返還交渉を続けた結果、最終的にはドゴール大統領が「寄贈返還」を認めました。その内容は、コレクションは松方家に「返還」するのではなくフランスから日本国民へ「寄贈」する、その条件として専用の美術館を建設することを盛り込んだものでした。こうして1959年に誕生したのが現在の国立西洋美術館なのです。松方の「共楽美術館」構想は、形を変えて実現したのです。

フランク・ブラングィン作《松方幸次郎の肖像》1916年 国立西洋美術館蔵 松方幸次郎氏ご遺族より寄贈(旧松方コレクション) © The Artist’s Estate, image courtesy of Liss Llewellyn.

川崎重工が支援する、アートを通じた社会貢献

——なるほど。松方コレクションを築いた松方幸次郎は川崎造船所(現・川崎重工業)の初代社長であるから、国立西洋美術館と川崎重工は深い縁があるのですね。

田中 はい。そこで2022年8月頃に美術館側から川崎重工にご提案させていただき、2023年3月にオフィシャル・パートナーシップを締結する運びとなりました。共に松方幸次郎をルーツにもち、「人々の暮らしと心を、もっと豊かにしたい」という共通の理念を携えながら協力していくことになりました。当館が企業とパートナーシップを結ぶのは初めてのことです。

——具体的にはどんな活動をしているのですか?

田中 いちばん大きな柱は常設展の無料観覧日「Kawasaki Free Sunday」の実施です。原則、毎月第2日曜日に開催し、2023年4月のスタートから2025年7月までに計28回、のべ10万人の方が来館されました。様々な理由で美術館に行けない家庭の子供たちにも美術に触れてもらいたいという願いは、SDGsの目標にも掲げられている「教育機会の平等」を実践するものです。観覧無料にすることで生じる収入減を、川崎重工からの協賛金で補っているというわけです。

美術館のゲートには川崎重工とのパートナーシップを表示。

田中 そのほか、川崎重工からの寄附を活用して、さまざまな鑑賞体験プログラムの実施や、アクセシビリティの向上に向けた取り組みを進めています。誰でも気軽に美術館を楽しめる「おしゃべりOK!にぎやかサタデー」の実施、車いすや点字プリンターの購入など、多くの方々のウェルビーイングの向上につながるよう努力しています。

——最後に、企業によるメセナについてどのようにお考えですか?

田中 現在、どの企業にとってもCSRは重要な取り組みとなっていると思いますが、さまざまな社会的課題の解決に、企業と美術館とは協同で取り組むことができると思っています。多様性、教育などの平等性、社会包摂(社会的に弱い立場の人も含め全ての人を排除や孤立から守る)、人々のウェルビーイングなどの促進や実現に一緒に取り組めるのではないでしょうか。美術館への支援はただ単に「文化支援」なのではなく、社会的課題の解決に向かって協力していくことだと捉えていただければと願っています。

国立西洋美術館 常設展無料観覧日
「Kawasaki Free Sunday」


川崎重工と国立西洋美術館のパートナーシップ事業として、原則毎月第2日曜日に国立西洋美術館の常設展を無料で観覧いただける「Kawasaki Free Sunday」を実施しています。常設展では、モネ、ルノワールらによる作品を含む松方コレクションをはじめ、中世から20世紀にかけての絵画・近代彫刻がご覧いただけます。

住所=東京都台東区上野公園7-7
開室時間=9:30〜17:30(金・土は20時まで。入室は閉室の30分前まで)
休館日=月曜(ただし月曜日が祝日または祝日振替休日の場合は開館し、翌平日休館)、10月6〜8日および10月23〜24日(臨時休館)、年末年始(12月28日〜1月1日)
観覧料=常設展一般500円ほか
※ 原則毎月第2日曜日は常設展無料「Kawasaki Free Sunday」