友人に勧められて観に行った『シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝』に衝撃を受けたという祐真朋樹さん。これまでにないアーティスト像とその作品から受けた感銘をいま一度整理するため、再び森美術館を訪れました。本企画のキュレーター德山拓一さんの解説とともに、その魅力の核心を探ります。
PHOTO BY KEISUKE FUKAMIZU
TEXT BY MARI MATSUBARA
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
祐真 少し前にたまたま覗いてみたシアスター・ゲイツの展覧会が心に刺さりました。1回見ただけでは理解できなかった細かい部分を今日はいろいろお聞きしながら、もう一度見て回ろうと思います。まず、「アフロ民藝」とはブラックカルチャーと日本の民藝をかけ合わせた、ゲイツさんの造語であると?
德山 そうです。シアスターはもともとアメリカの大学で陶芸を学んでいましたが、2004年に愛知県の常滑に滞在して日本の陶芸を学びました。その時に民藝の思想に出会い、急速な産業化・工業化に抗い、名もなき工人たちが作った伝統的な日用品に美を見出し保護していこうとする民藝運動に共感を覚えました。60〜70年代に黒人たちが自分たちの肌の色や髪型が美しいものであると再定義した「ブラック・イズ・ビューティフル」運動との共通項を感じ、二つを融合し新たな美を創造しようという実験的な試みが「アフロ民藝」なのです。
祐真 それはつまり、彼は「仮説」を打ち立てたということですよね? そこがすごく興味深い。最初に展示されているタール・ペインティング、これはどんな意味を持つのですか?
影響を与えられたものへの祝福と「ブラックネス」
德山 シアスターの父親は屋根に防水・防錆のためのタールを塗る職人でした。この作品は40年前にお父さんが塗ったタールを剥がして、現在はシート状になった屋根材に重ねたものです。この仕事は非常に重労働で、多くの黒人が担っていました。またタールには発がん性物質が含まれており、労働者が健康を害したそうです。タールはその色が黒人を示唆するだけでなく、アフリカから連れてこられた黒人奴隷の苦難の歴史を物語っており、シアスターのルーツを示す上でとても重要なものです。
祐真 なるほど。後で出てきますが、彼の陶芸作品には原始的なアフリカらしさ?を感じますね。日本の陶芸に影響を受け、自らのルーツを探してケープタウン大学でも学び、アフリカ各地の陶芸も調査している。だからいろんな国の陶芸の特徴がミックスしているんですね。この部屋にある壺はゲイツさんの作品ですか?
德山 いえ、これは19世紀の黒人奴隷の陶芸職人デイヴィッド・ドレイク[1801-1874頃]の作品で、シアスターがコレクションしているものです。アメリカの美術史上、黒人が初めて制作した彫刻作品であると言われています。
祐真 表面に数字が刻まれていますね?
德山 制作年を表す「1855」、4ガロンの水が入る「4」という数字、それから彼が勤めていた窯業所の名前も刻まれています。この頃、黒人奴隷は読み書きを学ぶことが禁じられ、違反すると手指を切られることもあったそうですが、その危険を顧みずドレイクは独学で聖書などから文字を学び、詩や聖書の言葉を釘で陶に刻みつけたと考えられています。
祐真 凄まじい歴史ですね。この作品もアフロアメリカンの歴史の一端を物語っているということですね。
德山 実はドレイクと同時代に、日本でも大田垣蓮月[1791-1875]という尼僧が陶器を作り、釘で自作の和歌を刻みつけた「蓮月焼」というものを残しています。遠く離れた異文化の地で同じような創作がなされていたという奇遇にシアスターは驚き、以後蓮月焼をたくさん収集するようになりました。夫も子供も亡くし剃髪して自ら生計を立てなければならなかった蓮月と、過酷な運命にあったドレイク。陶芸家として懸命に生きた二人に敬意を表する展示になっています。
祐真 展示室内がお香の香りに満ちているのは、この作品のせいですね? こんなに太いお香は特注ですか?
德山 大寺院などで使われるお香にこの特大サイズがあるようです。これは京都の香老舗「松栄堂」に協力を得て、調香師の方を常滑とシカゴに連れていき、それぞれの土地をイメージするお香を作ってもらいました。シアスターはこの展示室を、彼にこれまで影響を及ぼしてきたさまざまな人やものに敬意を表し瞑想する「神聖な空間」にしたいと考えて、このお香のインスタレーションを作りました。床に約14,000枚の常滑焼のレンガを敷き詰めた《散歩道》(2024年)、黒人地区の教会でよく使われたハモンドオルガンと7つのスピーカーで構成される作品《ヘブンリー・コード》(2022年)もその一部です。
祐真 なぜ7つもスピーカーがあるのですか?
德山 シアスターには7人の姉がいて、それを象徴しているそうです。
祐真 へー、なるほど。教会の日曜ミサには家族揃ってお洒落して行ったんでしょうね。
德山 彼は子供の頃から地元シカゴの黒人教会の聖歌隊に入り、14歳の時にはそのディレクターに抜擢されています。幼い頃から黒人霊歌にも慣れ親しんで、そのスピリチュアルな世界観は彼の活動に影響を及ぼしていると思います。
年表コーナーは必見です!
祐真 この部屋は一転してパネル展示なのですが、彼のどんな活動を表したものなのですか?
德山 拠点としているシカゴのサウス・サイド地区で彼が手がけた建築プロジェクトを紹介しています。昔この辺りは非常に治安が悪く、貧困と暴力にあふれ、人々は街を出て行ってしまい空き家も多い地区でした。シアスターはボロボロの空き家を最初のうちは安く購入して自宅にしたり、みんなで音楽を聴く「リスニングルーム」にしてパーティを開いたりしました。それがどんどん拡大して、今や40軒以上の空き家を再生させ、図書館や公園を作り、コミュニティに貢献しています。2012年には歴史的建造物でありながら廃墟同然だった銀行の建物「ストーニー・アイランド・バンク」をたった1ドルでシカゴ市から購入して、黒人にまつわる書籍を集めたライブラリーなどがある文化施設として見事に蘇らせました。もっとも、その修復には3億円ぐらいかかったのですが、彼はその資金を調達するために、建物の大理石ブロックを債券に見立ててサインをしたものを作品にし、一点5,000ドルで売ったんです。
祐真 アイディアがユニークですね。彼はただ作品を制作するだけじゃなく、活動のための資金も自身で調達してくる。そこがすごい!衝撃を受けました。
德山 シアスターはプロジェクトに興味がありそうな人に的を絞って会いに行き、とことん説得するそうです。自分がやりたいことにあまり口を挟まれたくないので、できるだけステークホルダーを増やさないようにしているのです。
祐真 アーティストの活動が社会貢献に結びつくという考え方に驚かされました。黒人文化の再発見とか、黒人コミュニティに有益なことをしようとか、ゲイツさんは目的がはっきりしていますね。それこそが芸術にとって一番大事なことなんだろうと思います。昨今、現代アートの世界は結局「売り買い」のみに終始してしまっているように僕には思えて、その状況は本当にくだらないなと感じています。彼はそことは一線を画したところで活動しているのが素晴らしい。格好いいと思います。
祐真 彼は自己表現のためとか、お金儲けのために作品を作っているわけではない。アート市場も含め、資本主義自体が変わっていかないといけないよね、というメッセージが潜んでいるように思います。
德山 ここは常滑と民藝と黒人、それぞれの歴史を照らし合わせることができる年表コーナーになっています。この中に「山口庄司」という記述が出てきます。代々陶芸を生業とする家の8代目山口庄司は1931年に生まれ、戦後に黒い土を求めてアメリカ・ミシシッピにわたり、現地で出会った黒人女性と結婚。日本の陶芸とアフリカの陶芸をミックスした独自のスタイルを生み出します。その作品は一時的に脚光を浴びてすぐに忘れ去られ、2007年にシアスター・ゲイツが再評価し、美術関係者を招いて8代目山口庄司の展覧会を開いたのです。彼らはこぞって作品を購入したのですが……実はこの山口庄司の話はすべてフィクション、シアスターの壮大なつくり話なんですよ。
祐真 えっ?! でも山口庄司の作品が紹介されたのは事実でしょう? ということはそこに参加した人や、作品を買った人は全員騙されていたということですか?! いや、痛快な話ですね。
德山 展覧会のパーティには山口庄司と黒人女性の間に生まれた息子も出席していたのですが、それはシアスターが用意した日米ハーフの役者でした。お父さんのエピソードを泣きながらスピーチし、迫真の演技をしたわけです。そこまで手の込んだフィクションをやってのけたのは、現代アート界でなされる評価への痛烈な批判を込めたかったからです。当時シアスター自身の陶芸作品は300ドルぐらいで取引され、全く存在もしない架空陶芸家の作品には数千ドルの値がついたのですから。
祐真 8代目山口庄司のストーリーもまた、「仮説」ですよね。でも、そこには周囲を騙すぐらいの強い説得力があったということでしょうね。本当に面白い。この話は映画になりますね。
德山 この2007年の展覧会は、それまで陶芸家だったシアスターが完全にコンセプトに重きをおく現代アーティストになっていく契機になりました。
祐真 この年表コーナー、すごくいいですね。これをじっくり読むと、シアスターが何に影響を与えられたのか、なぜ今回こういう展覧会を行なっているのか、その背景を知ることができます。1927年「上賀茂民藝協團」発足とありますが、僕は京都・上賀茂の出身なんです。昔、「上賀茂民藝協團」という民藝運動の礎になった組織があって、今でもその碑が残っているのですが、柳宗悦が創設に関わり、メンバーには河井寛次郎や濱田庄司もいた。でも柳はその後アメリカ留学に発ってしまい、グループは2年足らずで解散してしまう。
德山 民藝運動に資金を提供したのは精神科医で山下清などアウトサイダー・アートを見出した式場隆三郎、『たくみ工藝店』を東京・銀座と鳥取に開いた吉田璋也、大原美術館の創立者、大原孫三郎などです。式場と吉田は医大で同級生でした。
祐真 柳さんも、ゲイツさんのように、資金を出してくれる人を絞って口説いていたんでしょうね。
無名の作家への壮大なオマージュ
德山 最後のセクションはずばり「アフロ民藝」と題して、みんなでお酒を飲んだり音楽を聴いたりする場所をイメージして作られています。中央に置かれたのはアイスバーグ(氷山)をかたどったミラーボールで、ハウスミュージックとかけて《ハウスバーグ》という名の作品です。古材でできたバーカウンターはDJブースにもなり、その背後には夥しい数の徳利が並んでいます。
祐真 最後はすべてをひっくるめて、スケール大きく、軽やかにアフロ民藝を表現しているんですね。この徳利もゲイツさんのコレクションですか?
德山 そうです。江戸時代に使われたお酒を買う人のための貸し容器で、「貧乏徳利」と呼ばれています。備前、常滑、瀬戸などいろんな地域で作られた古い貧乏徳利をコレクションしている人から譲ってもらったのです。すべてにシアスターのプロダクトのロゴである「門」を書き入れて、もう一度焼き直しました。そうしたプロセスも含めたアート作品です。
説得力ある「仮説」、自然(じねん)の思想
德山 今日、2度目の展覧会を見終わってどんなことを思われましたか?
祐真 ゲイツさんは古いもの(伝統)や手仕事への関心が大いにあるのでしょうね。お父さんがタール職人で、いわゆるワーキングクラスの世界観が彼の中のベースにある。その素晴らしさを常滑での滞在を通して改めて実感したのだと思います。そこにこそ世の中の真実があると感じたのではないでしょうか。だから毎年のように常滑に通い、今や活動拠点にするまでに至ったのでしょう。
それと、圧巻だったのは彼が打ち立てた『仮説』ですよね。アフロ民藝も、山口庄司という架空の陶芸家のストーリーも、フィクションを内包しながらいかにアートに昇華させるか。自分のオリジンを踏まえ、でもそれをただ単に披瀝するだけではなく、何かとかけ合わせて再構築して表現しているところもすごい。しかも、その仮説に納得してもらうだけの裏付けが徹底しているし、活動資金を自分自身で調達している。こんなこと、なかなかできるものではないでしょう。ゲイツさんは並大抵のアーティストではない、偉大な人ですね。
祐真 彼が常滑での経験を通して日本文化に興味を持ってくれたことが、素直に嬉しい。民藝のことも詳細に調べていて、むしろ我々日本人が知らないことを教えてくれる。そうするとこっちも無知を恥じて、もっと自分たちの文化を知らなきゃと思いますし。外部の人間が客観的な目で見るからこそ発見できることがあるのでしょう。バーナード・リーチ然り、ですね。
センス・オブ・ワンダーという言葉がありますが、おそらくゲイツさんは常滑でそんな感情を抱かれたのはないでしょうか。東洋思想には「自然(じねん)」という考え方があります。一方西洋ではそれとは少し違った共生の思想があって、二つの違いは英語で言うと、前者がliving as nature、後者がliving with natureとなります。自然をコントロールして共生する西洋的な考えとは違い、自然の一部として生きることを目指す東洋的な思想を、常滑での体験を通じて感じたのではないでしょうか? その考えを元に、ご自身のルーツであるアフリカの陶芸へ傾倒されていったようにも感じられました。民藝へのリスペクトも東洋的な「自然思想」を通して感じたことなのかもしれません。これは僕なりの解釈で間違っているかもしれませんが、そんな風に感じました。
1965年京都市生まれ。雑誌『POPEYE』のエディターを経てスタイリストに。『UOMO』『Casa BRUTUS』などのファッションページのディレクターを務めるほか、コマーシャル、数多くの芸能人、アーティストのスタイリングを手がける。2022年SSより「ランバン コレクション メンズ」のクリエイティブディレクター。
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