特集麻布台ヒルズ

Studio Olafur Eliasson Kitchen

ベルリンで生まれ、東京で醸され、私たちの体内に滑り込む——THE KITCHEN|オラファー・エリアソン展@麻布台ヒルズギャラリー

1990年代から、観客の知覚を静かに揺さぶる作品を作り続けてきたオラファー・エリアソン。光や水といった素材を使って自然現象を追体験したり、目では捉えられないものを可視化することで、忘れていた感覚を呼び起こす。同じ空間で展示を見ている人はその体験を共有し、分け合う。エリアソンが拠点を置くベルリンのスタジオでは、これが食を通じて、日々行われている。

「食べるということは、文字通り私たちの内側にある体験。空腹や胃の中の食べ物に関する知識は、ほかの何にもまして実感できるものだ。」と、エリアソンは2013年に出版された本『The Kitchen』の中で述べている。スタジオ・オラファー・エリアソンを世界でも唯一無二の存在にしているのがスタッフ皆で食べる食事であり、その食事を生み出すキッチンだ。そのキッチンが、麻布台ヒルズギャラリーでの「オラファー・エリアソン展」に合わせて東京に上陸することになり、大きな話題を呼んでいる。

これまでもテート・モダンに出張したことはあったが、今回は単にベルリンのスタジオが東京に来るのではない。ベルリンでインスピレーションを受けた発酵文化を取り入れ、東京近郊の素材を使い、新しい作品として昇華されたものが提供されるのだ。そのコラボレーションは、どのように進んだのだろうか。

TEXT BY Hideko Kawachi
PHOTO BY Shinji Minegishi
illustration by Geoff McFetridge

オラファー・エリアソンと増谷武士シェフ。誰とも同じ目線で、語り合う。

オラファー・エリアソンの周囲には、いつも料理があった。アーティストでもあった父は漁船でシェフとして働いていて、妹のヴィクトリアは、ベルリンでシェフとしてのキャリアをスタートしている。彼はあるインタビューの中で、自分にとって食事とは、取り巻く環境や周りの人との交流が味覚に強く影響する、全体的な経験だと述べている。

アイスランドの自然の中で、父と妹と分け合うバター付きのパン。頬をなでる風、草の香り。その原風景がエリアソンに、スタジオのスタッフ皆で食事を食べるというアイデアを与えたのかもしれない。

エリアソンの原風景。自然の中で
愛する人たちと分け合う食事

SOE キッチンの中で忙しく働くローレン・マウラー(左)とクリスティーネ・ボップ。

スタジオ・オラファー・エリアソンは1995年に創立した。最初の頃は15人ほどのメンバーが交代で料理を作っていたという。しかし2005年にはスタッフが増えたこともあり、特別なキッチン担当が必要となった。時を同じくして、フードアクティビストでアーティストでもある岩間朝子がスタジオのメンバーに。その6カ月後にローレン・マウラーが加わった。The Studio Olafur Eliasson Kitchen、略してSOEキッチンの誕生である。

オーガニック農場から届く新鮮な野菜。丸ごと使いたくなる。

できるだけ包装ゴミを出さないよう、ハーブやスパイスはまとめ買いして、ガラス瓶に小分け。

スタジオ横にある発酵食品倉庫。公道に面し、地域とのコミュニケーションの役割も果たすそう。

現在はローレン・マウラーとクリスティーネ・ボップが中心となり、週に3回、郊外のオーガニック農場から届く旬の野菜を使ったベジタリアン、ヴィーガンのメニューが、大きな食卓を彩る。演劇、映画、アートといった様々なバックグラウンドを持つキッチン担当スタッフの興味は、料理だけにとどまらない。たとえば食材の色だ。2020年以降、ネギの葉や玉ねぎの皮などをすりつぶして水彩画の顔料を作っている。それは芸術的な実験というだけでなく、食品ロスを減らすというサステイナブルな側面もあるのだ。

SOEキッチンのプロジェクトのこれまでの軌跡や、アイデアをまとめたマインドマップ。

キッチンがある空間には制作途中の作品や模型が置かれ、制作活動と食のつながりを感じる。

ランチの時間になるとスタッフが一斉にキッチンの前に集まり、笑顔と賑わいが絶えない。

またこのキッチンはソーシャル・グルー(社会的な接着剤)でもあると、エリアソンは表現する。1つの部屋に集まって、大きな皿から取り分け、味や色、食感、香りの体験を共有する。与え、分かち合う。日本語で言うところの“同じ釜の飯を食う“だ。今回の麻布台ヒルズギャラリーで提案されるSOEキッチンとのコラボレーションカフェ「THE KITCHEN」も、そんなふうに生まれた。

大きな長いテーブルに集まって食べるスタイル。

「THE KITCHEN」のプロジェクトを始めるにあたって、エリアソンはコラボレーションを担当するシェフをベルリンへと招待。現在は六本木ヒルズ森タワーの「THE SUN & THE MOON」で総料理長を務める増谷武士シェフだ。SOEキッチンと共に料理を作って欲しい、一緒に食卓に着こう——。シェフはその体験から、何を得たのだろうか。

五感を刺激する食体験。
記憶が血肉となって続いていく

19世紀に造られたビール醸造所の建物。現在は地下も含めてエリアソンのスタジオになっている。

SOEキッチンの朝は早い。朝7時、以前はビール醸造所だった赤い煉瓦造りの建物の3階にはもう明かりが灯っていた。窓の向こうには忙しく働くマウラーとボップの姿が見える。ゆっくりと夜が明けていくと、キッチンは明るい朝の光に包まれた。

朝の光がたっぷりと差し込む、キッチンスペース。

大きな窓には光を通すカーテンが。ガラスの一部には特殊なフィルムが貼られ、食卓に虹を落としていた。

大鍋から湯気が上がり、研いだお米がザルの上でツヤツヤと輝いている。そう、今日は増谷シェフが和食を作ってスタジオのスタッフに振る舞う日なのだ。シェフはベルリンのオーガニックストアで手に入れた小豆を煮て、あんこを作っているところだった。炊き上がったご飯を前に、スタジオのスタッフ数名とおにぎり作りが始まった。増谷シェフが、手のかたちや力の入れ方を実際に作って見せる。色々な人の手のひらが合わさって、次々とおにぎりが形になる。

大鍋いっぱいの野菜を煮ていく。約100人以上のスタッフの食事とあって鍋は常に巨大。

スタジオのスタッフも慣れない手つきながら、1つずつ心を込めておにぎりを握っていく。

ぐつぐつと煮える鍋の音や、包丁が何かを刻む音など、料理の音が心地よくスタジオの中にも響いて、お腹が減ってくる。ランチのスタートは12時半。職人もいれば、建築家、美術史家、研究者やプログラマー、学生のアルバイトも。スタジオの約100人以上のスタッフが、一斉にガラス張りのキッチンの前に行列を作り始める。甘酒入りの梅風味にんじんラペや、味噌に酒粕、ヨーグルトなど発酵食品の重層的な旨味が楽しめるかぼちゃサラダなど、大きなボウルから少しずつお皿の上に盛り合わせていく。

増谷シェフによる和食メニュー。色合いも鮮やか、歯触りも違って感覚が刺激される。

日本の料理と聞いて楽しみにしていたと、シェフに声がかかる。これなんだろう? 豆が甘い料理があるんだ?いくつも並んだ長いテーブルは、いつもにまして賑わっているようだ。

様々な部署のスタッフが一堂に会するランチ、珍しい和食を前に会話がはずむ。

これまでも世界中の人がこのキッチンを訪れ、料理を振る舞ったと、古くからのスタジオメンバー、クリスティーナ・ヴェルナーが教えてくれた。異なる国の料理を通じて、五感を刺激する新しい感覚が伝えられていく。食べ物は記憶や知覚、そして血肉となって続いていくのだ。

食品ロスを減らし、
発酵食品の可能性を知る

ベルリンの発酵工房「mimi ferments」を訪ねた増谷シェフ(奥左)と清水マルクス(奥右)

次の日は、増谷シェフとSOEキッチンのコラボレーションになった。手早く生地を練ってタルト型を焼き、その上にマスタードを塗ってチーズ、旬のトマトをザクザクと切って乗せたら、あっという間にトマトのタルトが完成。マスタードの酸味が夏の太陽をたっぷりと浴びた完熟トマトの甘さを引き立てる。マスタードもスタジオの自家製だ。

旬の完熟トマトをたっぷり使ったタルト。焦げや、タルト生地が不揃いなのも味わい深い

味噌汁の出汁を取るために使った旨味たっぷりの昆布を、サラダにアレンジ。

増谷シェフは、昨日の味噌汁の出汁昆布を、おもむろにまな板の上で刻み始めた。「捨てるのはもったいない。これを使ってあと一品作ってみようかと思って」。野菜は皮まで丸ごと使う、余った食材はピクルスにしたり、発酵食品にも。フードロスを極力減らすSOEキッチンの姿勢が、増谷シェフにアイデアをくれたようだ。ベルリンの発酵工房「mimi ferments」で手に入れた甘酒で甘味を加える。

「mimi ferments」で、ワイン用のバリック樽で熟成させた醤油を前に。

SOEキッチンでは「mimi ferments」の発酵食品を使うだけでなく、ワークショップを通じて知識を分け合うことで、地元の食材を使ったキッチンオリジナルの味噌作りへいたっている。アーティストの清水マルクス・金澤麗子が運営する工房には、味噌や醤油、甘酒といった日本人には馴染みのある名前の商品が並んでいる。しかしよく見ると、味噌には赤かぶ(ビーツ)や硬くなったパンが使われていたり、醤油かと思えば近隣の魚を使った魚醤だったり。米麹を炒って、ベルガモットを加えたお茶もある。自由な発想とさまざまな実験から生まれた、興味深いラインナップだ。日本の伝統的な食品が、異なる文化を持つ人の手と胃袋を通って変化し、続いていく。食材を購入するために訪れた増谷シェフも興味津々、話が尽きない。

日本にはない発酵のアイデアや発想の豊かさに、刺激を受けたという増谷シェフ(左)

SOEキッチンにも、発酵食品や保存食品の倉庫がある。カボチャのマーマレードやキノコの甘酢漬け、ドイツ伝統のザワークラウトなどに混じって、大きな瓶詰めの味噌がたくさんあった。大半がベルリン近郊で育つ大麦を使った麦味噌だ。熟成した4年ものの味噌。微妙に異なる茶色のグラデーションは糖とアミノ酸によって起こる化学変化で生じる色だと説明されると、味噌の瓶が、なんだかアート作品のように見えてきた。

ドイツ初の電球が造られた工場があった複合施設の一角にある「mimi ferments」

「食べる」ことは、
自然のエネルギーを享受すること

怒涛の3日間の共同作業を終えて、クリスティーネ・ボップ(左)とローレン・マウラー(右)と増谷シェフ。

SOEキッチンのスタッフと増谷シェフが大きなテーブルでトマトタルトとサラダを食べていると、エリアソンが隣りに座り、一緒に食べ始めた。

「人と人の繋がりにおいて、エンパシー(共感)と思いやりが何よりも大切だと思うんだ。人のために料理をするということは、他人を思いやること。そして食べ物を分かち合い、一緒に食卓を囲むのは信頼感を伴うものだよね」と、エリアソンは増谷シェフに言う。

メインにサラダや発酵食品を添えて、さらにスープが付く。シンプルだが滋味深いSOEキッチンの料理。

彼自身は料理をすることは少なく、集中していると食べることを忘れてしまうタイプだというが、料理は思考を食べ物という形に変換して、他人に与え、そして分かち合うものだと考えているそうだ。「上下関係もなく、このキッチンはスタジオの全ての人に開かれています」

エリアソンの視線は人だけでなく、人間を取り巻く環境や、人間以外の自然にも向けられる。食べるということは、太陽の光を浴びるように、食材が持つサイクルを体に取り込むことだと捉えているのだ。例えば、サラダに使われているレタス一個が、収穫して食べるまでに太陽エネルギーを蓄える小さな電池なのだと言う。

人と自然が共存する世界を、
続けていく。SOEキッチンの挑戦

Olafur Eliasson Our glacial perspectives 2020 Steel, coloured glass Installation view:Hochjochferner glacier, South Tyrol Photo: Studio Olafur Eliasson Commissioned by: Talking Waters Society © 2020 Olafur Eliasson

人間と自然が共存する、持続可能な生き方を探る、気候変動の問題への取り組みは、エリアソンの作品にしばしば現れる。1999年と20年後の2019年にアイスランドの氷河を撮り、温暖化の劇的な影響を見せた写真シリーズ《溶ける氷河1999/2019》。2020年には、イタリアとオーストリア国境の氷河の頂点に《私たちの氷河の視点 2020》を造っている。これは氷河の稜線に沿った410メートルの小道の先に、天体観測用の大きな球体を設置するという壮大なアートワークだ。観客は太陽の位置から時間や、自分の位置を知ることができる。

700枚以上の青いガラスが嵌め込まれた鉄のリングの前に立つと、自分という存在が大きな惑星群の中の地球、そこにある氷河の中に立っているのだと実感できる。貴重な水資源や環境の中にいる、私たち。すべてがつながり、循環しているのだと、意識が研ぎ澄まされてくる。

近年温暖化によって、異常なほどのスピードで氷河の溶解が進んでいる。海水面の上昇によって水没する土地が増え、海洋環境にも大きな影響が想定されると、近年多くの科学者が警告している。それは誰もがどこかでニュースで見知っていることだろう。しかしエリアソンの作品は、情報と言葉ではなく、観客の感覚に直接語りかけてくる。

どうしても出てしまう廃棄物は、食品廃棄物を持続可能なバイオエネルギーやオーガニック肥料に変える「Refood」に回収してもらう。

SOEキッチンでも、持続可能性は重要なテーマの一つだ。輸送距離が短い近郊の有機農家から、プラスチック包装をしない状態で送られてくる野菜を使う。食材はできる限り無駄なく利用し、残ったものは発酵食品や保存食品に。それでも出てしまったゴミは、バイオガスや肥料へと役立てる。前述の通り、アートや研究の素材になることも。

いまSOEキッチンで提供する料理は、すべてベジタリアンだ。植物性の食材は肉や魚に比べて、製造の段階で使われる資源、二酸化炭素排出量も少なめで、また冷蔵庫を使わなくても保存がしやすいなどの理由からエネルギー消費量も抑えられる。発酵の管理もしやすいのだ。

新たな化学反応。
エリアソンの思想世界を、味わう

ランチのメニューは絵で説明。ヴィーガンやグルテンフリーではありません、との注意書きも。

麻布台ヒルズギャラリーカフェの「THE KITCHEN」でも、SOEキッチンの哲学は引き継がれていく。プラントベースの食材を中心に、地産地消を心がける。できるだけ東京近郊の食材で揃え、カーボンニュートラルを目指す。

 

SOEキッチンでは乳製品が使われることもあるが、東京ではチーズの多くが飛行機で輸入されていることもあって、増谷シェフは日本特有の発酵文化、麹を使ったメニューを開発することにした。環境への影響も考慮しつつ国内の素材を生かした、唯一無二の料理が完成した。SOEキッチンでの交流や、街を歩いたこと、発酵工房を訪ねたこと。そういった体験やエリアソンとの会話がシェフを刺激して、新たな化学反応が起こったのだ。

オラファー・エリアソン・スタジオのランチに想いを馳せながら、「THE KITCHEN」の一皿を頂いてみよう。言葉を交わしたことすらない他者と、同じ空間で、同じものを分け合って、何かを感じている。人であれ自然であれ、全てがつながり、循環しているのだと、気づかされる。

展覧会でエリアソンの思想世界を目や耳で、堪能した後は、「THE KITCHEN」で文字通り体の中に、その世界を入れ、実感してみてはいかがだろうか。

麻布台ヒルズギャラリー開館記念
オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期

TOKYO M.A.P.S


会期=2023年11月24日(金)〜2024年3月31日(日)
会場=麻布台ヒルズギャラリー(麻布台ヒルズ ガーデンプラザA MB階)
開館時間=日・月・水・木 10:00〜19:00、火 10:00〜17:00、金・土・祝前日 10:00〜20:00 ※入館は閉館時間の30分前まで
休館日=2024年1月1日(月)
問い合わせ=03-6402-5460

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