UPDATING THE ATLAS OF ART

アジアを越境するキュレーター・沓名美和が更新する〈アートの世界地図〉

日中韓で現代美術を学び、2010年代を激動の中国で過ごしながら独自の活動を展開してきた現代美術史家/キュレーターの沓名美和。魯迅美術学院や清華大学で教員/研究員として働いているかと思えば、日本のアーティストを中国に紹介する展覧会を企画し、ときには日本国内の芸術祭で新たなムーブメントを起こす沓名は、多彩な活動の先に何を見ているのか——。森ビル 新領域企画部の杉山央が、国もジャンルも問わず越境的に活動する彼女の活動から、アートの世界地図を考える。

interview by Ou Sugiyama
Text by Shunta Ishigami
Photo by Koutarou Washizaki

激動の中国で過ごした10年間

——今日は世界のアートシーンに精通されている美和さんから、これからのアートと社会のつながりについてお話を伺えたらと思います。美和さんはもともと韓国や中国の大学でアートを学ばれていたんですよね。

沓名 多摩美術大学を卒業後に韓国・弘益大学校の大学院に進んだのち、2年ほど「LOOP」や「Art Sonje Center」といったギャラリー/美術館のプロジェクトに関わっていました。その後中国に渡り、清華大学で博士号を取得しました。はじめは中国で最も著名な総合芸術大学として知られる中央美術学院研究室へ進んだのですが、現代美術の未来を考えるとアートの外側ともっと接続できる環境が重要だと思ったため、中国の東京大学と呼ばれる清華大学に入りなおしたんです。

沓名美和|Miwa Kutsuna 現代美術史家、キュレーター、ディレクター。多摩美術大学客員教授、魯迅美術学院現代美術学科教授、清華大学日本研究所訪問学者、一般社団法人 実験芸術研究機構代表理事、REBIRTH ASIA代表、ボアオ文化産業フォーラム日本理事。多摩美術大学、韓国弘益大学大学院卒業。中国清華大学にて博士号を取得。現在は清華大学日本研究所にて東アジア文化芸術の専門家として外交行事にも携わる。

——なぜ中国に行かれたんですか?

沓名 もともと東アジアの文化や民俗学に関心があったのですが、これからアジアの経済が発展し環境が変化するなかで、アートのシーンも大きく動くような気がしていました。当時は現地に行っている人も少なかったので、現場を見るのは面白いんじゃないかと思っていました。清華大学ではアートと接続する科学技術、カルチャー、政治、外交を幅広く学ぶ必要もあり、博士号をとるのはすごく大変でした。ただ、結果としてそのときの論文が優秀論文となり、日本の文化人として初めて中国の大学で教授になれたのは嬉しかったですね。

——事実、美和さんが留学されたころから中国は急速に変わっていったように思います。いまも中国と日本を行ったり来たりされているんですか?

沓名 GDPが世界第二位になったかと思えば、アートバブルが落ち着いたり、今度はテクノロジーやメディアアートへの注目が高まったり——中国の変化は凄まじかったですね。コロナ禍以降はリモート化しましたが、いまは魯迅美術学院の現代美術学部で教鞭をとっています。授業ではいまなお大量生産・大量消費の考え方が強い中国社会で「つくらない」ことを考えようとしていて。同時に、清華大学日本研究センターで文化外交の専門家として研究にも携わっています。

——大学で教鞭をとったり研究されたりするだけでなく、キュレーターなどほかのお仕事もされているのがすごいですよね。

沓名 私に限らず、中国の大学教授ってたくさんの顔をもっているんです。西洋美術を教えたりヨーゼフ・ボイスの展覧会を企画したりする一方で会社の経営やビジネス活動に取り組むような人がたくさんいて、日本よりもフレキシブルにならないと中国では生き抜いていけません。常にみんなチャンスを掴もうとしているというか。だから私自身もさまざまな活動に取り組んでいますね。ときには節操がないと思われることもありますが、いままさに成長している世界だからこそ、たくさんのことにチャレンジしたくなるんです。

——パワフルですね(笑)。そういう環境の方が新しいものも生まれやすいのかもしれません。先日も中国で展覧会を企画されていましたね。

沓名 上海のPowerlong Museumで行なった「Under Current」展ですね。1990年代のバブル崩壊以降、日本のアーティストが個人をどう追求してきたかをテーマに、小西紀行さんや長井朋子さんなどまだ海外であまり知られていない30〜40代のアーティストたちを紹介する場を設けました。

どうすれば日本と世界をつなげるのか

——2月に行われていた「Study:大阪関西国際芸術祭 2023」で美和さんが企画された「二次元派」という展覧会も印象的でした。単に個々のアーティストを紹介するというより、大きなムーブメントをつくるような活動が多い気がします。ぼくの周りでも話題になっていました。

沓名 良くも悪くも「アート」の外側に位置づけられてきたアニメーションやサブカルチャー、グラフィティといったクリエーションをアート業界が無視してはいけないと思っていたんです。なかにはアート以上に現代社会の美学へ影響を与えているものもありますし、実際にアーティストの方々とお話すると非常に興味深いことを考えられている方がたくさんいらっしゃって、きちんと考える機会を設ける必要を感じていました。

——こうしたカルチャーを体系化するのは非常に難しいと思うのですが、誰かが体系化しないと歴史に残っていきませんからね。だからこそ美和さんがそこに挑戦されたのはすごいことだな、と。

沓名 私自身がもとからアニメーションやサブカルチャーについて専門的に研究していたわけではありませんし、この企画だけですべてを表現できるわけではありませんが、責任をもって取り組んでいます。大学でコンセプチュアルなテーマや正統的な西洋美術の文脈との向き合い方を扱っているからこそ、単にオーセンティックな西洋美術に迎合するだけではなく現代の社会との接続を考えることも重要だと思うんです。

——美和さんはジャンルを横断しながらさまざまなものをつないでいるのがすごいですね。幅広い知識をもち、自分で枠を定めないからこそできることなんだなと。

沓名 賛否両論あって、ブローカーのように思われることもありますけどね(笑)

——ぼくの活動も賛否両論さまざまな意見をいただくのでその気持ちもわかります(笑)。でも新しいムーブメントやビジネスをつくるなら挑戦することは必要ですよね。美和さんは普段どんなことを意識しながらプロジェクトを進められているのでしょうか。

ハワイを拠点に活動する日系アメリカ人アーティスト、Taiji Terasakiの個展にて。日本や中国だけでなく、世界各国で活動するアジア系アーティストの動向にアンテナを張り巡らせ、日々、新しい情報を追っている。

沓名 どうすれば日本のアート産業をグローバルなシーンへ引っ張っていけるか、常に意識しています。最近世界中のビエンナーレに関するリサーチを進めているんですが、シンガポール・ビエンナーレは東南アジアのアーティストを見せるものになっていて、そこに行けば東南アジアのアートがわかるような場がつくられている。それはある種の国策としても機能しているんです。日本には侘び寂びや茶道のような文化もあれば、メディアアートの歴史もあるし、ポップカルチャーも強いからこそ、日本として何をどう見せていくか考えるのは重要ですよね。

——なるほど。海外からの視点を設定することで日本の見方も大きく変わりそうです。

沓名 とくに近年は海外のアニメーションやゲームも発展していますし、きちんと日本からの発信を考えないと打ち出せるものがなくなってしまう。だからこそ「二次元派」のような企画が必要だと思ったんです。

多様化するアーティストとのつながり

——素晴らしいですね。美和さんは海外の展覧会だけでなく、国内の芸術祭に関わられる機会もありますよね。近年全国的に芸術祭が増えていると言われますが、美和さんはどう思われますか?

沓名 私は建畠晳先生にお世話になっていたので、2010年の「あいちトリエンナーレ」や2017年の「東アジア文化都市」ではコーディネーターをさせていただきました。現在もさまざまなプロジェクトに関わる機会をいただきますが、国際的に注目されるレベルまで成長している芸術祭もあるものの、きちんと意味のある取り組みにするのは大変ですよね。地域の方々からすると経済効果も無視できないでしょうし、地域の文化に立ち入ることでコンフリクトが起きることもある。さまざまな要素のバランスをとるのは難しいなと感じます。とくに多くのアーティストや地域、文化が関わる取り組みの場合は、芸術監督のような存在が大きなコンセプトをつくることが重要なのかな、と。

——芸術祭などの場でも、テクノロジーを活用した作品は増えているように思います。ぼくも「Media Ambition Tokyo」を通じてメディアアートやテクノロジーを使った表現に関わっていますが、美和さんはどんなアーティストやテクノロジーに注目されていますか?

沓名 メディアアートというと、「中国のチームラボ」と評されるBlackbowの名前が挙がることが多いですね。彼らは蔡國強とも作品をつくるなど活動を広げていますが、アートや表現というよりテクノロジーに注力している印象も受けます。中国のアートはしばしば商業との結びつきが求められがちですが、ルー・ヤンのように独自の活動を展開するアーティストにも注目しています。

——そこから新たなムーブメントも生まれそうですね。アーティストとはどのように知り合うことが多いんですか?

沓名 最近はInstagramでつながることが多いですね。ギャラリーを介さずDMで直接やりとりする機会が増えていて、Instagramがひとつのプラットフォームになっているのかな、と。杉山さんがご一緒されるアーティストのなかには商業的な活動に取り組む方もいればそうじゃない方もいると思うんですが、何か棲み分けなどはあるんですか?

——アーティストごとに考え方も異なるので難しいですよね。ただ、メディアアートのようにテクノロジーを使った表現は昔から企業とのコラボレーションも多いですし、アートコレクティブとして法人化することも少なくありません。とくに近年は体験型のアートが注目されていることもあって、いろいろな境界線が溶けつつあるかもしれません。

沓名 たしかにメディアアートは横断的な取り組みが増えている気がします。中国のフォーラムでもメディアアートを通じて人工授精の倫理などが問われる機会があり、テクノロジーを介してさまざまな観点から社会へ問題を提起できるのが面白いですよね。

新たなアートシーンの構築に向かって

——とくにメディアアートのような領域では、しばしば作品や展覧会が一種の「産業」や「ビジネス」になっていると批判されることもありますよね。大きな取り組みを行ううえではマネタイズや産業化も考える必要があるのですが、美和さんはいかがですか?

沓名 面白いですね。メディアアート的なものってアートではなく「ビジネス」だと批判されることもありますが、マイアミの体験型アートセンター「Superblue」はジェームズ・タレルやエス・デブリン、チームラボの作品を通じて「アートかビジネスか」といった問いが吹き飛ぶような体験を生み出しているのも事実です。

——アーティストは清貧であるべきと考える人もいるかもしれませんが、つくり手が真摯であるならば作品が商業的に扱われているかどうかは関係ないのかもしれませんね。

沓名 中国を見ていても、グローバルレベルでアートについて考えるならば、文化はもちろんのこと、産業や政策などさまざまな観点から戦略を考えていく必要があるなと感じます。

——そうですよね。今度虎ノ門にオープンする「TOKYO NODE」という施設でも、横断的なプロジェクトをつくりたいと思っています。たとえば企業が開発している最先端のロボットがアーティストによる空間演出や振り付け、音楽とともにダンスパフォーマンスを披露するなど、既存の企業や美術館の枠組みだけでは行えなかったことにチャレンジしたくて。美和さんともぜひコラボレーションできたらと思っています。

沓名 ぜひご一緒したいですね! 清華大学で文化と外交について研究していることもあって、私自身、より広くアート産業全体の構造にアプローチできたらと思っていて。「二次元派」を書籍化する計画も進んでいますし、これからも日本のアーティストを紹介しながら新たなアートシーンを構築できるような活動を続けていくつもりです。

 

杉山 央|Ou Sugiyama
森ビル株式会社 新領域企画部。学生時代から街を舞台にしたアート活動を展開し、2000年に森ビル株式会社へ入社。2018年「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless」室長を経て、現在は2023年に開業する文化発信施設の企画を担当している。一般社団法人Media Ambition Tokyo理事。2025年大阪・関西万博シグネチャーパビリオン「いのちのあかし」計画統括ディレクター。祖父は日本画家・杉山寧と建築家・谷口吉郎、伯父は三島由紀夫。