THE ART WORLD CHANGES FROM ASIA

気鋭のギャラリスト 額賀古太郎がアジアから見すえるアートワールドの未来

世界的に活躍するアーティストを擁し近年勢いを増すギャラリー「KOTARO NUKAGA」。同ギャラリーの代表を務める額賀古太郎は新たな才能を発掘し、ともに成長していく先に、アジアから新たな価値観を提示する未来を描いているという。森ビル新領域企画部の杉山央が尋ねる、KOTARO NUKAGAのこれまでとこれから。

interview by Ou Sugiyama
Text by Shunta Ishigami
Photo by Shintaro Yoshimatsu

物心ついた頃からギャラリストへ

——松山智一さんや平子雄一さんなど世界で活躍するアーティストが所属するKOTARO NUKAGAは、世界的に注目されているギャラリーのひとつです。本日は額賀さんがどうやってアーティストの才能を見出しともに成長してきたのか伺えたらと思います。まずはギャラリーの成り立ちからお聞きしたいのですが、もともと額賀さんのお父さまがギャラリーを経営されていたんですよね。実はぼくの祖父もお世話になっていて。

額賀 1977年に父が「ギャラリーぬかが」という画廊を立ち上げたのですが、ヨーロッパ絵画を中心に扱っていたこともあって幼い頃から美術は身近な存在でした。画廊にもよく遊びに行っていましたし、当時はバブルだったのでピカソやルノワール、シャガールなど錚々たる作品がたくさん並んでいて。高校生のときに家族旅行で行ったフィレンツェやヴェネツィア、パリで多くの美術館を訪れ、その衝撃と共に大学では美術史を専攻し、さらに深く学びたいと思いロンドンの大学院へ留学もしました。卒業後は1年半ほどサラリーマンとして働いてから、亡くなった父のギャラリーを継ぎ、2018年には新たに現代アートを専門に取り扱うギャラリー「KOTARO NUKAGA」を立ち上げ、今に至ります。父の画廊では杉山さんの祖父にあたる日本画家・杉山寧さんの作品も扱っていて、出展作品のような大作から、大量の素描まで、さまざまなものを見させていただいたのはいい経験でした。

——いつ頃からギャラリストという仕事を意識されていたんですか?

額賀 物心ついたときには意識していましたね。夏休みの間は父と過ごす時間が長くて、父の仕事は夏休みが長くていいなと幼心に思っていました(笑)。家族旅行を兼ねてスイスで作家に会ったりフランスの画廊を訪れたりすることも多く、遊びなのか仕事なのか曖昧なのも面白かったです。小さなころに住んでいた家のダイニングにミロの版画がかかっていて、よくそれを真似して絵を描いていて…… また自宅やギャラリーに作家の方が出入りすることも多くて、自分もそういう仕事をするんだろうなと思っていました。

額賀古太郎|Kotaro Nukaga 1980年、神奈川県生まれ。ロンドン大学にて美術史学修士号を取得。2008年にNUKAGA GALLERYを承継し、12年に銀座へ移転。18年、現代アートギャラリーKOTARO NUKAGA(天王洲)を開廊、21年にはピラミデビルにKOTARO NUKAGA(六本木)を新設する。

——自然な流れで額賀さんもギャラリストの道へ進まれた、と。でもお父さまが立ち上げた画廊とKOTARO NUKAGAは同じギャラリーでも異なっている気がします。

額賀 そうですね。父の画廊はいわゆる「セカンダリーマーケット」に属しており、ある程度価値が定まっていて流通している作品の売買を行なうものです。企業やコレクターの方がお売りになりたい作品の次の買い手を探したり、また世界中のオークションに赴き作品を買うこともあったり、作品を次世代へと伝えていくような仕事ですね。一方で、KOTARO NUKAGAは既に存在する作品を相手にするのではなく、作家と一緒にキャリアと新しい概念つくっていくような仕事が中心となります。ギャラリーや美術館、芸術祭などで行う展示はもちろん、社会にインパクトを与えられるプロジェクトを企画したり、後世に残る作家となれるよう二人三脚でさまざまな活動を行なっていくわけです。

作品だけでなくビジョンと野心

——ある意味ゼロから価値をつくっていくというか、一緒に成長していくわけですね。KOTARO NUKAGAにはいま7〜8名のアーティストが所属されているそうですが、アーティストの方々とはどのように出会い、初めはどんなところに着目するものなんでしょうか?

額賀 コレクターから紹介されることもあれば、展示を見て自分から声をかけることもあります。なかには少し前に流行った音声SNSの「Clubhouse」がきっかけとなって知り合ったアーティストもいました(笑)。作品にその作家固有の強度や繊細さを見出せることが前提ではありつつ、初めてアーティストと接するときは作品の良し悪しというよりもパーソナリティを見るようにしています。どんなにいい作品をつくっていたとしても、同じモチベーションやビジョン、野心をもって世の中を変えていこうと思える人じゃないと一緒に活動していくことは難しいですから。ただ作品だけつくれたらいいとかとにかく自己表現だけしたいと思っているのではなく、現代美術のコンテクストを理解しながらアーティストとして世界を変えようとしている人と一緒に活動したいと思っています。

——パーソナリティが重要なんですね。たしかに所属されている作家の方々を見てみても、作品という観点で共通項があるわけではないですね。

額賀 表現はバラバラですが、いい意味で違和感を覚える人たちが集まっているというか。たとえば松山智一さんとは4年半前に初めて会ったんですが、当時すでに15年以上のキャリアがありニューヨークという厳しい環境で生き残りながら素晴らしい作品をつくっていることは知っていたものの、作品やコンセプトを理解しきれていないからこそ気になったんです。自分の理解の外にあるような人たちにこそ魅力を感じるし、そこから新しいものも生まれると思っています。

——ギャラリストの方々ってアーティストと関係を築いていくなかで作品づくりにも関わっていくものなんでしょうか? どのようにアーティストの方々とコミュニケーションされているのか気になります。

額賀 アーティストの制作に口を出す人もいれば出さない人もいて、ぼくは後者ですね。もちろん各展示に応じてどんなサイズの作品がいいかなど尋ねられたときは答えますが、どういうモチーフがいいとか内容については口出ししないようにしています。ただ、アーティストの中にはなかなか自分で自分の作品を言語化できない人も多いですし、そんなときはプレスリリースを通してなるべく作家のやりたいことを説明できるようにしたり、コンセプトなどの面でアーティストと話し合うことはありますね。ぼくの仕事は、アーティストの活動を社会と接続させていくこと。それは、コレクターやマーケットであり、美術館であり批評であります。同時に、アートワールドと外接しているもの、例えば様々な学問領域であったり、スポーツ、ファッション、音楽など、様々なカルチャーとどう領域横断させていくかを考えるのはいつも楽しいですね。

——そういう観点では、いま展示されている田村友一郎さんの作品も、どこか謎めいていて面白い空間がつくられつつ、プレスリリースでは丁寧に言語化が行われていますね。

額賀 田村さんはインスタレーションを中心に作品を展開しているのですが、今回はアルファベットの「N」という1文字をテーマにした展示で、Nから連想されるモノやことを作家独自のやり方でつなげています。たとえばNは窒素の元素記号であることから、タイタンという窒素で充満した土星の衛星をモチーフにした空間がギャラリーの半分に展開され、第一発見者のオランダの天文学者、ホイヘンスにまつわるエピソードがそこに歴史的重層性を加えます。それがNの表面だとしたら、裏の世界としてN(えぬ)を逆さから読んだ鵺(ぬえ)という妖怪にまつわるストーリーがもう半分のスペースで展開されています。鵺といえば平安時代後期に近衛天皇が源頼政に鵺退治を依頼したエピソードが知られていますが、今回の展示は展覧会を依頼する額賀(N)を近衛天皇に、依頼された田村さんを源頼政になぞらえた、フィクションとリアルが混在する物語からすべてが始まります。決して交わらない宇宙と平安時代の世界が、このギャラリーに表裏一体の関係で存在するのです。

——面白い。いろいろなストーリーがつくられていて、しかも置いてある作品すべてがつながっているんだ。これまでの展覧会ともかなり異なる印象を受けました。

額賀 これまではペインティング中心の展示のイメージを持たれている方も多いかもしれませんが、別にメディウムにこだわっているわけではないんです。今までも、映像やテキスタイルなど、実は様々な展示をしています。ただ、同時にギャラリーの経営もしなければならないし、アーティストにも生活があるし、皆が幸せに活動できるようマーケットというものはしっかり意識しています。

欧米の価値観に抵抗して

——額賀さんはなぜ違和感を覚えるようなものや自分の理解を越えるものに魅力を感じるようになったんでしょうか?

額賀 美術史を振り返ってみると、印象派にしても、時代を作ってきた様々な美術運動にしても、最初から社会に受け入れられたわけではありません。ロックも最初はノイズに聞こえたでしょうが、逆に今はクラシックを退屈に感じる人も多いかもしれません。最初は違和感のあるものが徐々に認められるようになって、人々の価値観も変わり、気がついたらメインストリームになっていく。新しい価値は違和感から生まれるんですよね。美術品が愛でる対象だったら、心地良いものを追求すればよいのでしょうが、アートを通してまだ見ぬ世界を見たり、様々な問いを発したりしたいので、心や脳がざわざわするものを常に求めてしまうんだと思います(笑)

——たしかに、アートは時代や環境によって受け取られ方も変わるものですよね。世界的に見るといまの日本のアートマーケットは遅れているとも言われますが、額賀さんはどう思われますか?

額賀 この数年はコロナ禍で海外との交流が減ったことで、日本の現代アートが独自の方向に進んでいる印象を受けます。ただそれが「いいこと」かというと難しいですね。日本というローカルだけで評価されていても国際的な“言語”にはなりえないので、新しい価値を共有する方法を考えなければいけません。最近になってようやく海外渡航も解禁されてきたので、コレクターの方々にも海外へ行ってほしいし、もちろんアーティストやわれわれも海外へ行きたいです。アートを扱うなら多くの人の価値観や概念にアプローチすべきですから。

——額賀さんも日本だけでなく海外を見据えて活動を広げていくのでしょうか。今後はどんな活動を予定されていますか?

額賀 われわれの目的はただ作品を売ることではなく、アートを通じて社会に新しい価値観をもたらすことです。いろいろなジャンルを横断しながら社会にインパクトを与え、新しい概念を届けられるような活動を目指したいですね。もちろん日本の中での活動も重要ですが、海外への展開も考えています。日本から発信するだけでは海外から見向きもされませんし、作家にとっても海外で活躍する場が必要ですから。

——海外展開が楽しみですね。海外にどのような受け取られ方をするのかも気になります。

額賀 海外から日本や韓国へ展開を広げるギャラリーはたくさんありますが、ただ海外のギャラリーを受け入れるだけでは植民地時代の感覚から抜け出せないと思うんです。もちろん欧米の刺激があるのはいいことですが、ただ欧米の価値観を受け取るだけではなく、われわれが更新していくようなことも考えていかなければいけないはずです。

——それはアート業界にとっても素晴らしいことだし、日本にとってもいい影響を及ぼしそうです。

額賀 アートの世界ではなんだかんだ言ってアメリカのマーケットの影響力は絶大ですし、ヨーロッパは地理的にも地続きで、経済圏としてもEUという仕組みがある。開催年が重なれば、ヴェネツィア・ビエンナーレやドクメンタ、アート・バーゼルをまとめて見に行けて、何とも言えない高揚感を味わえる。他方で、アジアは歴史的、政治的な背景がマイナスに作用して、なかなか文化圏、経済圏としてまとまることが困難な状況です。しかし、上手く欧米に対抗できる仕組みを作らないといつまでたっても彼らの価値観を押し付けられるままになってしまう。具体的な計画が決まっているわけではありませんが、われわれとしてもアジアの複数都市にギャラリーを展開し、点を線に、線を面にするように活動を広げていきたいと思っています。文化を発信するプラットフォームまで成長していくことで、欧米にも対抗できる独自の価値観を提示していきたいんです。

 

杉山 央|Ou Sugiyama
森ビル株式会社 新領域企画部。学生時代から街を舞台にしたアート活動を展開し、2000年に森ビル株式会社へ入社。2018年「MORI Building DIGITAL ART MUSEUM: EPSON teamLab Borderless」室長を経て、現在は2023年に開業する文化発信施設の企画を担当している。一般社団法人Media Ambition Tokyo理事。2025年大阪・関西万博シグネチャーパビリオン「いのちのあかし」計画統括ディレクター。祖父は日本画家・杉山寧と建築家・谷口吉郎、伯父は三島由紀夫。