肖像画に描かれた人物に一旦見つめられると、こちらが場所を移動しても視線に追いかけられ続ける。絵を見る角度を変えても逃げられない。同様に見る角度が変えたり、その場の光が変わると色が変化し、表情を変える絵もある。そんな絵を描くフランシス真悟のアトリエを訪ねてきた。見る条件によって、色やニュアンスが変わる不思議な絵の謎は解けるか。展覧会が3月12日まで東京・広尾のMISA SHIN GALLERYで開催されている。
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Mie Morimoto
ART WORK copyright Shingo Francis
Courtesy of MISA SHIN GALLERY
正方形のカンヴァスの中心に正円が描かれている。しかし、使われているのは特殊な画材の効果と光の干渉によって、見る角度によって、さまざまな色がもたらされる。見る角度だけでなく、光の状態、見る側の立ち位置によっても変化していく。
フランシス真悟の新作絵画展「Illuminated Presence」でそんな作品が発表されてる。
そのような絵は液晶モニタや印刷メディアでは伝えることができない。映像で見れば少しはわかるだろうが、まだ十分ではないだろう。見る角度によって、色が変化するという繊維はある。いわゆる“タマムシ”と言われるもの。
物体の色というものはそれがどの波長の光を反射するかで決まる。ということはその反射が変化しているのか。さらに、光のスペクトラムを発見したアイザック・ニュートンの「光学」を思い起こしてしまったが、ともかくそういう画材を使ったこの絵を楽しみたい。
描かれた正方形と正円は補色の関係でお互いを際立たせることもあるし、逆に同じ色に同化して、境界を曖昧にすることもある。今、見ている状態は今だけのものかもしれないとも思えてくるのである。
展覧会に先立って、鎌倉の住宅地の中にあるアトリエを訪れた。近年、ニューヨーク、ロサンゼルスをベースにしていたが、昨年7月に日本でもアトリエを立ち上げた。特に広いわけではないけれど、簡素で整理された空間に実験作も含め、いくつもの作品が壁にかけられていた。
以前の作品は長方形の中に長方形が描かれたものだったが、今回は正方形の中に正円。最初に色のことを聞いてみた。
「色というのは光が反射したそのスペクトラムを見たものです。ここでは反射によって色が変化する素材を使っています。色が2つあるということ。たとえば、今、ここ、緑が見えますが、反射しているのが緑で、反射しないと逆のピンクのような色が見えてくるんです。その間のグラデーションも現れてきます。緑や青やピンクが見えるのは小さな粒の樹脂がある角度を持っていて、その角度によって虹のように色が現れてくるんです」
そういう特質を持った油彩画に取り組んだ。描き出されたものはこれ以上ないシンプルで単純な形。
「抽象画の歴史を見ていくと、形、線、色、そういうものを自立させていくこと、この世に存在していないものを描くということ、存在しているものをそのまま表現するのとは異なる絵画の出現となるでしょう。カンディンスキーとか、クプカとか、クレーの作品や書いたものをはじめ、たとえば、マレーヴィチの1918年の《白の上の白(の正方形)》など、そういった彼らの積み重ねた文脈を僕としては意識しています。マレーヴィチは『私は色を解放しています』と言っていますね。抽象画というものはそういうメッセージの発信地になっていると僕は思っています。そここそが抽象画が出現していく理由ではないかと」
さらに進めて、なぜモティーフとして、円になったのか。そのことについて聞いてみたい。禅僧が円相を描く。それは世界を描いたものでそこには五大元素の地水火風空が含まれているともいう。悟りを得たり、真理を求めた結果であるともいう。あるいは円環はサイクルを表す。すべての動植物、もちろん私たちも、生まれて死ぬということ。輪廻転生の教えを解くときも円が使われる。地球の自転により、日が昇り、日が沈みという1日1日の繰り返し。地球の公転により1年、春夏秋冬が作られる。その循環。
「僕は大学時代、京都の東福寺にお世話になったことがありました。導師が行う書道、禅画のワークショップ。ときには助手として手伝いました。書いているものも大事なんですが、その瞬間が重要です。書く前に座って黙想をする。そして、バババって、とてもしっかりした動きで書く。特に円はそのときの精神状態が現れるそうです。自分がどういうところにいるのかが明らかになると」
さまざまな角度から円を研究し、禅僧と間近で接した経験も踏まえての今回の作品。
「どういう円を描くか。この素材を使って。光によって変わっていく円をどう表していけるか。簡単ではないのですが、自然にできたような円が作れたらいいと考えたんです」
フランシス真悟は1969年、カリフォルニア州サンタモニカに生まれた。父はアンフォルメルや抽象表現主義の巨匠サム・フランシス、母はメディアアーティストの出光真子。両親から大きな影響を受け、現在の彼があるのは自明である。
「アメリカの西海岸で生まれ、3歳くらいのときに母と兄と日本に引っ越しました。父は日本とアメリカを行ったり来たりでした。インターナショナルスクールに行っていたので、6月から8月の3カ月の夏休みはアメリカに行って父と住んで、また、日本に帰ってきて。13歳でアメリカに移って、父と一緒に暮らしました。それからは、夏だけは母のいる日本に帰ってきていました」
父と暮らす。まるで、ウィリアム・サロイヤン『パパ・ユーア・クレイジー』の父と息子のようだ。その上、彼は東洋と西洋の両方にルーツを持つ。
「仏教に興味を持ち、坐禅したいと言って、17歳のときに東福寺に行ったんです。朝の5時から夜の9時まで坐禅。45分座って15分休憩し、食事とあと1時間休憩するだけ。なかなか集中できなくて。座っていると余計にいろいろなことを考えてしまう。4日目くらいにそれが収まって、5日目だったか、夜に外で庭を見ながら坐禅するんですが、庭の木とか石とか砂利とか、隣に座っているお坊さんも全部私たちは繋がっている、違いがないと、一瞬だけだったんですが、感じた体験があったんです。それでまた我に帰って、今のは何だったんだろうと導師に伝えたら『よかったね、やっと頭が動かなくなった瞬間が来たんだね、それなんだよ』と言われて、そうなんだと。そういう体験がありました」
若い頃のそういう体験と現在の創作は密接に繋がっているのだという。
「作品がより繊細に、ある意味、敏感になっていくのはやはり瞬間を捉えるということからきているのでしょう。そういうところでは抽象表現主義に近いところがあると思うんです。抽象表現主義は一つの発案としてはそのときのその自分の体験、思想、感覚をその場で表現すること。ロバート・マザウェルが言ってたことなんですが。そしてそれは禅の書道にも通じるのではないかと思います」
簡潔で美しい絵画として、この「Illuminated Presence」は受け取られるかもしれない。それでももちろんいい。しかし、一つの補助線を引いてみると、深い見方ができる。その補助線として与えられるのは「抽象表現主義」とか「墨蹟・禅画」とか「肖像画」である。あるいは「ニュートン『光学』」もあるかもしれない。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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