人間を描くというと、肖像画を思い浮かべるのだがそう単純な話ではなく、たとえば一人の画家の作品を多数描き、そのモティーフを取り出して描き、その画家に縁の深いものも描き込む。つまり肖像画として人間の表面を描くのではなく、その人間の積み重ねた時間や思考やときに苦闘を描いている。しかもそれを一見、風景画のように。そんな画家のアトリエを訪ね、最新の仕事の一片も見てきた。
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Mie Morimoto
ART WORK copyright Toru Kuwakubo
Courtesy of Tomio Koyama Gallery
この5〜6年ほど取り組んでいる「カレンダーシリーズ」で注目を集めている画家・桑久保徹。作風として、自分の中に「架空の画家」を見出し、「“彼”に描かせる」という演劇的アプローチで知られているが、それがさらに進化、深化したととらえることもできる。
尊敬する画家の作品や生涯を、150号カンヴァス(2,273×1,818mm)1枚の中に封じ込める。それぞれの画家が生きた空間と時間という四次元を、目の前の二次元のカンヴァスに投影する。ひとりの画家の人生の凝縮とも言えるし、あるいはその画家の人生の展開図と呼べるものになっている。
たとえば、モディリアーニを題材にした作品《アメデオ・クレメンテ・モディリアーニのスタジオ》はこれだ。
なんとも緻密な画面。見覚えのある作品が散りばめられ、さらにプリミティブアートが間を埋めている。ああ、このこれは、と画家の人生や作品を一つ一つ読み解き、また桑久保が仕掛けたたくらみを解析する誘惑にかられる絵である。
モディリアーニといえば、エコール・ド・パリの画家。独自の作風で今も世界中に熱狂的なファンを持つ。彼自身イケメンで婚約者もすごい美人で、でも荒れた生活を送って、結核のために35歳で早逝し、その婚約者も小さな娘を遺し、さらにそのとき妊娠していたにもかかわらず、彼の後を追って自殺した。そんなことも頭をめぐる。
画家の人生を桑久保ならではの絵にしてきた。とりあげた画家は、パブロ・ピカソ、エドヴァルド・ムンク、ヨハネス・フェルメール、ジェイムズ・アンソール、ポール・セザンヌ、ピエール・ボナール、ジョルジュ・スーラ、フィンセント・ファン・ゴッホ、アメデオ・モディリアーニ、アンリ・マティス、デイヴィッド・ホックニー・・・・・・
色彩、描写、光。確かにホックニーの世界だ。しかも、あの作品もこの作品も織り込まれている。ペインティングもドローイングも写真作品も。
桑久保はどんなアトリエでこの大作シリーズを生み出してきたのか。彼のエネルギーやそれを生み出す環境が知りたくなった。画家の中にはアトリエをけっして見せないという人もいるが、桑久保はこちらの頼みに対して快諾してくれた。訪れてみるとそこは彼らしい、そしてユニークなアトリエだった。
東京近郊の私鉄沿線主要駅徒歩1分にある雑居ビルの3階。通りに面して大きな窓があり、採光には申し分無し。しかもこの窓はほぼ北向き。安定した光を採り入れるためにアトリエの窓は北半球では北側に設けるというのは常識である。建物は築45年くらいだろうとのこと。ここはもう13年ほど使っている。この場所に決めたのは、もともと生まれ育った土地であり、独立後も徒歩10分くらいのところに自宅を構えていたので。
「ここはもともとは美容室が入っていたようです。借りたときはスケルトンでの貸し出しだったので、自分で床を貼って、壁を貼って。画家の友人にも手伝ってもらいました。ドアもなかったのですが、ドアと一部の壁は不動産屋さんが用意してくれました」
内装は簡素だけれど、アトリエとしては申し分なく作られている。自分で施工したとのことだが、そのあたりはさすがアーティストの仕事といえる。
このアトリエ以前、若い頃、アーティスト仲間何人かとエアコンも無い倉庫をシェアしてアトリエにしていた。ほかのメンバーはあまり使ってなかったので独占状態ではあったが、ホコリとか、ネズミの害に加え、季節によっては温度がきつくてしんどかったので、いつかは環境を整えたいと考えていた。
きっかけはデンマークで展示をしたときのこと。すぐに帰国せずに、ベルリンのギャラリーが借り上げていたアパルトマンを使わせてくれるというので、行ってみた。軽く滞在するつもりだったのだが、そこは絵を描く体制になっていたので、大きな画材を買ってきたりして絵を描くことになった。ヨーロッパのアーティストはこういうところで描いたり、生活してるんだなと思いながら、自然に絵を描いて2か月を過ごした。それが28、9歳の頃。そのときすでに次のベルリンでの展覧会も決まっていたので、その場で日本の不動産屋に電話して、もうすぐ帰国するからいくつか物件を紹介してほしいと伝えておいた。大きな絵を描きたかったので。
帰国してから、間口が広いところ、住居ではないところ、倉庫みたいなところをいろいろまわったけれどなかなかこれだという物件がなかったが現在のアトリエの下の不動産屋に聞いてみると、上が空いていると言われたのがこの部屋だった。
「こんなに駅に近い必要はなかったんですけど、このあたり倉庫的な物件もあまり無くて。でも、3階なので、大きな絵が搬出できなかったりすると困るので、不動産屋さんに『200号サイズ(畳2枚より少し大きい)が運べるなら借ります』といったら、同じ大きさをベニヤ板で作って下から運んで実験してくれたんです。そうしたら、うまくいって、それで借りることに決めました。1階のほうが搬入搬出が楽なんですけど、家賃が高いですからね」
朝、自宅でコーヒーを飲んだあと、このアトリエに徒歩で向かう。お昼も食べずに作業を続け、夜20時くらいになると、家族から夕食ができたと連絡があり、帰宅する。作品制作の佳境になると作品に没頭したいのでここに泊まり込んで描き続けるときもあり、そのために仮眠用のベッドもある。
「祖父が画家だったので、アトリエという場所は好きでした」。母方の祖父はもともと東京下町出身だったが、東京をはさんで西側のこの地に移り、そこで画家をしていた。
今、桑久保は台湾での展覧会に向けて、準備を進めているところだった。これはまた彼にとって、新しいシリーズで、民俗学者の宮本常一の「離島の旅」に触発されたもの。さまざまなジャンルで独自の活動をし、孤高だったり、異端と思われる時期もあったけれど、やがてそれが世界を動かすことになった人々を取り上げ、それを関連の書籍の表紙に凝縮して描いている。たとえば、タイユバン、トマス・ホッブス。
「カレンダーシリーズ」は敬愛する画家たちの作品や人生を大きな絵に展開するというものだったが、それとは違うとはいえ、この「離島の旅」シリーズ(仮)も一人の傑出した人物に着目し、調査し、確かな画力で描きあげる桑久保の仕事には今後一層、熱い視線が集まることに違いない。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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