イタリア、ヴェネツィアのムラーノ島の工房で生み出す透明なガラスの彫刻。そのモティーフは植物図譜? 天文写真? 抽象画? 別の作品では今回新しく挑戦した無数のガラスビーズをつないだ作品も公開されている。1〜2カ月ごとにヴェネツィアと京都を行き来する三嶋が語ってくれた、作品制作に込めた思いと2拠点居住がもたらすものとは?
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Shigeo Muto
都心の高層ビルにあるオフィスの一角。談話ができるようなスペースを区切るヴェールのような、カーテンのような作品を作ったんです。横幅10メートル以上あるものを。窓の外がすばらしい風景でした。そこで商談をしたりするのでしょう。ヴェールのようなものをガラスで作ってほしいと言われた時に、ビーズというアイディアが出てきたんです。ビーズを使ったのはほぼ初めてだったんですけれど。
私がこれまでやってきた立体の作品というのはヴェネツィアのムラーノ島の職人さんたち、マエストロ(親方)とセルヴェンテ(アシスタント)、4〜5人のチームで作っていくんです。私がオーケストラのコンダクターのような役割になって、みんなで形を作っていくのですが、ビーズの制作は、炉を使った吹きガラスではなくて、バーナーワークなんです。
職人が一人でバーナーの炎でガラスを飴細工みたいにクルクルって溶かし、ちょっとペンチで曲げながら作っていく作業なんです。普段はアクセサリーを構成するビーズを作っている工房なのです。
新作に込めた思いとは?
今回の個展でも展示している壺のような立体作品は、これまでたくさんの人に見てもらっているでしょう。作家はだれでもそうだと思いますが、やったことのないものに、いつも挑戦していきたいと考えているものです。
その企業のコミッションワークで制作したビーズの作品はだれでも見に行けるものでもないので、今度はギャラリーというスペースでも作ってみたいと思っていました。最初はその場限りのインスタレーションとして考えていたのですが、ギャラリーからは作品にしてほしいというリクエストがありました。結果として、六角形のアルミの骨組みに無数のビーズが連なった作品ができたわけです。なぜ六角形かといわれれば、それは天然のクリスタルの結晶が六角形でそれを私が美しいと思ったからです。
職人がバーナーワークで作るので、一つ一つのビーズが違う形をしています。1メートル88センチのひも状のビーズの間にはビンテージのボタンやアルミのチューブ、吹きガラスもときどき混ざっていて、228本連なるビーズを吊り下げた時、光に表情がでてきます。
私の作品はいつも透明なんです。だから光の陰影とか、光の錯覚みたいなものを作らないといけないと思っていて、単にビーズが並んできれいなだけでは自分としては落ち着かない。だから、光に間をつくるために、アルミのチューブを入れたり吹きガラスのオブジェを混ぜています。
吊り下げるフレームになる六角形の構造物については、まず十分の一の模型を作り、家に出入りしている大工さんに平板のアルミをカットして試しに組んでもらいました。シュウゴアーツのギャラリースペースで見せるとなるとステンレスの素材はイメージが硬くなりすぎるので、アルミで挑戦したかったのです。建築家に図面化してもらい、アルミの技術者と何度も打ち合わせをして、溶接を使わない組み立て式の、六角形のアルミの構造物が完成しました。
床から自立した空間的な作品を作ったのは初めてですが、10年ほど前、ミラノでイタリアの建築家とコラボしたときに、「三嶋さんのガラスの中に入ったような展示にしたい」と言われ、直径4メートルくらいの半球体を透明ビニールで作ってもらったこともありました。吊るされたその半球体の下に砂を敷いてガラス作品を並べたことを思い出します。
自分は作品《HALL OF LIGHT》になにを求めているんだろうと考えます。やはり神秘的な空間でありたい。瞑想ができたり、もうひとりの自分に出会ったり、現実が溶け出して見えなかった世界が見えてくるような、そういうものを感じられるような。ポジティブな何かとつながる一つのパイプ役でありたいというのは、私の全ての作品に言えることです。
ムラーノ島の職人たち
ムラーノ島での職人たちとの制作は私にとってエキサイティングです。ハラハラ、ドキドキしながら、その日の思いをぶつけ、美を求めて、戦いに挑む感じです。
制作のプロセスは、作り慣れていない形であれば事前に親方に相談して、私が考える方法でそのフォルムが出来そうかどうか確認します。通常その日の早朝、親方に簡単なスケッチを見せて、制作の順番を決めてもらいます。作りたいガラスのフォルムをその場で描き、窯の横の壁に貼り付け、制作はスタートします。瞬時に変わるフォルムを見守りながら、時には彼らのアシスタントとなり、また時にはオーケストラのコンダクターのように、もう少し大きくとか、もう少し長くといった指示を出します。職人はバランスのとれた均等な作品作りを好みますが、私はそれを崩し、より流動的で、ダイナミックで美しいものを目指します。
ガラスづくりの、蜂蜜状の液体が火の前でぐるぐる360度回転しながら膨らみ、形をとどめていく光景は神秘的です。
以前、写真家の川内倫子さんが工房に撮影に来てくれたことがあって、彼女は「神楽を見てるみたい」って言ってました。その頃、彼女は神楽の取材もしていて、真剣を持って舞う姿とムラーノ島の職人さんたちの動きが重なって見えたのでしょう。動いている本人たちは、考えている余裕は全く無く、その行為が神聖なものだと感じてないけれども、見てるほうとしてはなにか特別なものを見てるような感じ。そういう場面は確かにあると思います。
作品が出来上がったら、次は角度を少し変えて、その作品をどういう場で見てもらいたいとか、そのガラスを通して、どういう空気感がだせるのかと、いつも試みています。
初期の頃だと、ミラノの温室で展覧会を行ったり、八角形のチャペルで展覧会をやったこともありました。2004年のシュウゴアーツの展覧会では縁側を作ったり、2008年の展覧会では博物館のガラスケースを作りガラス作品を入れて展示したこともあります。
今回の作品は《光の場 HALL OF LIGHT》。それぞれのガラス作品が人と一緒に観客席に座っているイメージです。そこが光の場になります。
最初の頃を思うと自分はどんどん慣れてきて、そうなると少しわくわくしなくなってくる。そうならないように、いつでも心をオープンにしてときめくものを探し、作っていきたいと思っているんです。
ヴェネツィアと京都の暮らし
ヴェネツィアと京都を拠点にしていて、1カ月とか1カ月半ずつ滞在しています。冬はクリスマス休暇があったりお正月があったり。夏は2カ月くらい日本にいるから、一年間で見ると日本にいるほうが長くなります。その二つの国を行き来しながら、すべてのバランスを保っている感じがします。
まわりからは、すばらしいわね、あなたは一番美しい街を行ったり来たりしてって、どこの国の人にもそう言われます。ヴェネツィアは私の出発点で、全てがここから始まりました。イタリアのエネルギーとイタリア人たちに導かれて今があるわけです。自分の中に内気な部分もあるのですが、滞在の期間は限られてるので、早く決めなきゃいけない、思ったことはすぐに言わなきゃいけない、すぐに行動しないといけないって。そういう性分に生まれたのか、いつしか芽生えてきたのか。
とにかく自分をゼロに戻して、クリアにしたいといつも思っています。気持ちよくありたいから思い残しておかない。思ったことを言えば解消できる。ああ、ちょっとクリアになった、みたいな。あの人に会いたい、会いたいって思うだけだとずっとその気持ちが残るでしょ? それをクリアにする感じです。それを意識しています。思いを残さないように。そういうことが勇気を与えてくれます。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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