BRIDGE TO THE FUTURE

テート館長 ニコラス・セロータ 美術館は〈生きた学びの架け橋〉である 

1988年の館長就任以来、「ターナー賞」を若手アーティストの登竜門的存在として再出発させ、テート・モダンを開館させるなど、テートを世界で最も来館者数の多い文化機関のひとつに開花させてきたニコラス・セロータ館長。その彼が自身の原点として抱き続ける「美術館のあるべき姿」とは?

TEXT BY SHINICHI UCHIDA
PHOTO BY JAMES HARRIS

テートの各館内を歩くと、あちらこちらで家族連れや幼児のためのプログラムが開かれている。

テートの各館内を歩くと、あちらこちらで家族連れや幼児のためのプログラムが開かれている。

作品を語るのは誰か?

——近年、セロータさん率いるテート(Tate)を含め、美術館の教育普及活動を「エデュケーション」ではなく「ラーニング」と呼ぶ動きがあります。これはいわば、美術館が何かを一方向的に教える感覚から、観衆や地域と共に学ぶ姿勢への移行をあらわしているのでしょうか?

ニコラス・セロータ インターネットの発展で、私たちは多彩な情報源から様々な情報を得られ、SNSなどでのコミュニケーションも豊富になりました。結果、ひとりの先生、一冊の本のみから何かを学ぶというより、各々が多様な体験を自らまとめて自分のものにする傾向が強まってきています。こうしたなか、美術館も多角的に「学び」の機会の提供を考える時代がきたということでしょう。少し変わった例を挙げると、作品解説もキュレーターや美術史家だけに任せるのではなく、たとえば犬の専門家に名画を語ってもらうのもよいかもしれませんね。

——アートの解説に、犬の専門家ですか?

セロータ 実際に以前、BBCのTV シリーズでそうした試みがあったんです。テートにある有名なジョージ・スタッブスの絵画を、犬の専門家に解説してもらう。200年前の絵画に描きこまれた猟犬たちについて、血統など各々の特徴をプロの目で語ってくれるわけです。これは特殊な例ですが(笑)、とても新鮮な体験でした。

教員向けのワークショップを開いたり、アーティストを学校に派遣するなど、テートは地域に密着した普及活動を通して社会における美術館の役割を模索し続けている。

教員向けのワークショップを開いたり、アーティストを学校に派遣するなど、テートは地域に密着した普及活動を通して社会における美術館の役割を模索し続けている。

「外側にいた」感覚を忘れない

——美術館にも生きた学びを人々とともに共有していくことが求められているということでしょうか?

セロータ 従来、教育プログラムの中心は作家や学者の講演。これは今も重要ですが、シンポジウムなどで異なる意見を交換するのも大切です。テートでも毎年多彩なゲストを招き、歴史、移民、持続可能性などを議論し続けています。美術館は社会の中で、意見を広く交わすことのできるフォーラムになり得ると思うのです。

——セロータさんは若き日に地域の子どもに絵を教える活動に携わり、テートでは数々のプログラムを成功させる一方、ご自身を批判する芸術家達の展覧会に出向いていくなど逸話にも事欠きません。その信念を支えるものとは?

セロータ 私の父母は偉大な読書家で、自分も文化を尊重する家庭で育ちました。ただ、両親は音楽や視覚芸術にはそれほど関心を持たず、私も10代に自らその魅力にふれ始めるまで、そうした世界の外側にいたんです。私はこの「外側にいた」感覚、自分がそこに参加していなかった感覚も忘れていません。ですから、美術館はまだつながっていない者同士の「架け橋」になるべきだと考えています。その橋がつなぐのは、多様な文化の魅力にまだふれていない人々、また、そのことでそれを不必要に怖れている人々、そして文化の創造にも関わり得る人々です。

美術館はなぜ必要か

——テートでは、デジタル・ツールを活かして美術館や作家や観衆が意見を交わせる「Bloomberg Connects」を導入するといった取り組みもありますね。

セロータ 新しいテクノロジーの重要な価値のひとつは、スマホのように一人ひとりの手元に情報を届けられることでしょう。そこで私たちも、ある人の声を別の人へと手渡しできる感覚の仕組みが提供できないかと思いました。また近年は「ゲルハルト・リヒターのインタビュー映像、良かったです」「テートのウェブサイトを見てくれたの?」「いえいえ、YouTube です」といったやりとりも多い(笑)。架け橋としては、SNSなどの共有プラットフォームも重要だと言えます。

——そうした工夫を通して「エデュケーションからラーニングへ」のビジョンが目指す先にある世界とは?

セロータ 私たちの社会が美術館を持つ意義は、まず収蔵作品など、過去に達成された偉大な物事を保管・継承していくこと。今を生きる私たちの立ち位置の確認にもつながるものとして重要です。そして、美術館が作り出すべき学びの機会とは、鑑賞や体験を通じて、自分と歴史との関わりや、自らが社会の一員として存在する感覚を見出せること。他の人々を理解すること。さらに、この世界がどのように存在しているのかを知る契機になることです。こうしたことは美術館の常なる目標です。今日お話してきた「架け橋」にならえば、「虹の架け橋の向こう(over the rainbow)」にそうしたものがあることを願っています。

Tate
森美術館

profile

ニコラス・セロータ|NICHOLAS SEROTA
テート館長。ロンドン在住。英国政府の近現代美術コレクションを中心に所蔵・管理し、国内4カ所の美術館を擁するテートを率いる。ホワイトチャペルギャラリー館長、オックスフォード近代美術館館長を経て1988年よりテートの運営に参加。2013年には文化振興への貢献により名誉勲位を得る。2017年に現職を退任し、アーツカウンシル・イングランドの会長就任が発表されている。森美術館インターナショナル・アドバイザリー・コミッティーも務める。Portrait ©Hugo Glendinning