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石川善樹 × 安宅和人(ヤフーCSO)|身につけよ! 人生100年時代における新しい「教養」_#2

いまの時代に求められる「新しい教養」とは何かを探し求め、国内外の賢人たちに予防医学研究者の石川善樹がインタビューを行う本企画。最初に登場するのはヤフーのCSO(チーフストラテジーオフィサー)安宅和人。「思考の核心は知覚にあり」という、安宅の真意とは?

TEXT BY YOSHIKI ISHIKAWA
PHOTO BY koutarou washizaki

「考えるとは何か?」を考える人は、思いのほか少ない

安宅和人といえば、2010年に出版された『イシューからはじめよ』(栄治出版)において、「知的生産の本質とは何か?」を明快に世に示したことで知られる人物だ。特に著書のタイトルにもなっている「イシュー」は、その後、ビジネスや学問の世界で頻繁に話題に上がるキーワードとなった。そんな安宅と親交の深い石川は、「新しい教養」をテーマに何を語り合うのか? 早速二人の対話を見ていこう。


石川 今日はよろしくお願いします!

安宅 こちらこそ! 石川さんとはもう長い付き合いなので、やりやすいですね。それにしても、どうして僕だったのでしょうか?

石川 そうですね、本題に入る前に少し説明させてください。元々この「新しい教養」という企画の原点は、「考えるとは何か?」という問いを考え始めたことがキッカケなんです。

安宅 なるほど、それでどうでしたか!?

石川 いやー、本当に困りました。相談できる人がいなかったので。「考えることは大事である」と誰もが思っていても、では「考えるとは何か?」を考えたことがある人って、ほとんどいなかったんですよ。

安宅 なんと(笑)。

石川 自分は付き合いが広い方だと思っていたのですが、半年くらいは一人も同志がいなくて(笑)。でも、安宅さんとなにかのイベントでお会いした際に、「ところで考えるとは何かって考えたことありますか?」と聞いたら、当たり前のように「あるよ!」と。

安宅 はい、そうでしたね。

石川 もう涙が出ましたね、やっと同志に出会えたと(笑)。

安宅 当時の僕はなんて言ってました?

石川 まず僕なりの結論を伝えたところ、「あー、それは僕とは違うな」とおっしゃっていました。嬉しかったですね。もうゾクゾクして、安宅さんはどう考えたんだろうかと。

安宅 そういってましたか!!

石川 それだけ聞けたら、僕はもうそれ以上は自分で考えたいタイプなので、当時、安宅さんがどう考えていたのかは聞かなかったんです。やっぱり正解を聞いてしまうと、どうしてもそっちに引っ張られてしまいますからね。

安宅 すばらしい。石川さんはそういうきっちりと自分の目と頭で考える人ですよね(笑)。

石川 まあ、それからさらに一年くらい経って、そろそろ安宅さんの話をお伺いする準備が僕もできたので、今日に至るというわけです。

安宅 それはなんとも……お疲れさまでした(笑)。

石川 それでは、早速よろしくお願いします。

こうして二人の対話は始まったが、先に結論から述べておくと、話は、大きく3つのテーマについて展開した。

① 思考とは何か?
② 生物における学習とは何か?
③ 未来とは何か?

この3点である。極めて抽象的かつ高度な話し合いとなったが、一つ一つ、じっくりと見ていくことにしよう。

旧知の間柄である石川善樹との対話とあり、リラックスしつつも、矢継ぎ早に持論を展開する安宅。

① 思考とは何か?

石川 最初に、HILLS LIFE DAILYの読者の方々に「安宅和人とは何か?」を説明したいのですが(笑)。

安宅 光栄です!! 自分でもよくわからなくなるくらい、ヤフーやデータサイエンティスト協会でのお仕事に加えて、大学や政府、国際機関などから本当にいろんな仕事が飛んできて関わっています。改めてそれらを整理すると、

(A) 現状を俯瞰して見立て、本質的な成長につながる変化を仕掛け、加速するストラテジスト
(B) 脳神経系や知覚の視点からものを見て考えるニューロサイエンティスト
(C) データ&AIの視点から課題を整理し、未来を展望するフューチャリスト

という3つのロール(役割)に整理できるのではと思っています。一般的には、これらの集合体が僕なのではないかと思います。

石川 まさに現代の「知の巨人」ですね。産官学が助けを求める頭脳、ということですね。普通なら一つの分野で活躍するのも難しいですが、これだけ多岐にわたる仕事ができるということは、何か汎用的な思考法をお持ちなのでしょうか?

安宅 うーん、そんなにすごいものではないつもりなのですが、なぜか広がっています(笑)。汎用的な思考法……そうですね、ないことはないかもしれません。その話をするには、そもそも「知的生産の本質とは何か?」というところからはじめましょうか。

石川 いいですね!

安宅 これは『ハーバード・ビジネス・レビュー』(2017年5月号)の巻頭論文「知性の核心は知覚にある」にも書いた話ですが、僕は知的生産の本質は、「何らかのイシューに答えを出すこと」だと思っています。

安宅が寄稿した『ハーバード・ビジネス・レビュー』の抜き刷りを参照しながら、対談は進んだ。

石川 おー、あの名論文ですね! はい、安宅さんがそのように定義されていたのは、ハッキリと覚えています。

安宅 ありがとうございます。それで、もう少し簡単に言うと、ビジネスであれ、アカデミアであれ、ガバメントであれ、「ほとんどの仕事は、本質的に課題解決である」といえます。ここからはあまり僕も人には言ってこなかったし、課題解決ではなく知的生産についての本であった『イシューからはじめよ』にも、混乱が起きそうだったので内容から落とした話になるのですが、「課題解決には2種類ある」と、僕は考えているんです。

石川 おー、それは面白い! むむむ……自分で考えたいですが、対談なので我慢するとして(笑)、それはどのようなものでしょうか?

安宅 (笑)端的に違いを述べると、「目指す姿が明確かどうか」です。目指すべき姿が明らかな場合は、ギャップを見極め、次に、なぜギャップが起きているのかという構造的な見立てをはっきりさせることが最初のイシュー、まず答えを出すべき課題になります。それがわかれば取るべき方向性が見えるので、打ち手を整理し、解決していけばよいと言えます。

石川 まさに『イシューからはじめよ』がそのような内容ですね。

安宅 うーん、必ずしもそうではないのですが、そう見えるかもしれません(笑)。

おそらく世の中の課題解決の8〜9割はそのようなタイプで、「ギャップフィル型の課題解決」と僕は呼んでいます。一方、課題解決のもう一つのタイプとして、「目指すべき姿が明確ではない場合」があります。

石川 そもそも、自分たちがどこに向かっているのかすら分からない、といったケースでしょうか?

安宅 そうですね。「どこに向かっているか」というより、「どのような状態を目指すべきか」がわからないケースです。あるべき姿を設定するところから始める必要があるタイプの課題解決とも言えます。これを僕は「ビジョン設定型の課題解決」と名付けています。

このような課題解決の場合、目指すべき姿をクリアにすることが、まず第一のイシューになります。その上で初めて現状の評価が可能になるので、ギャップがクリアになり、そこからどのような取り組みが必要かを明確にすることが次のイシューになります。このソリューションの見極めにはさらに大きな飛躍があります。

この話は『イシューからはじめよ』には書けなかったので、先ほどの『ハーバード・ビジネス・レビュー』の記事に盛り込みました。ただ、この話は重要なのですが、知性であるとか考えることの本質ではないと思っているんです。

石川 お、めちゃくちゃ面白くなってきました!

安宅 ここから踏み込んでいきますが、石川さん、付いてきますか?

石川 もちろんです!

安宅 では、さらに知的生産の本質に踏み込んで、「そもそも思考とは何か?」というテーマに踏み込んでいきましょう。

「そもそも思考とは何か?」「思考とはどのように分割されるか」……。石川は、大きな問いを安宅に投げかける。

② 生物における学習とは何か?

石川 早速ですが、「そもそも思考とは何か?」について教えてください。

安宅 まず大事なのは、そのような問いを考えるとき、どこから始めるかですよね。

石川 はい、おっしゃる通りだと思います。「思考とは何か?」というような茫漠とした問題は、小さく分けて考える。これはデカルト以来、400年にわたる「知の奥義」ですからね。

安宅 そういうと大げさに聞こえますが(笑)、まさにデカルトの「演繹法」とはそういうことですね。

石川 ちなみに安宅さんは、「思考」をどのように分割されたんですか?

安宅 僕はもともと脳神経科学者だったので、その視点から眺めてみたのですが、ざっくりと言えば、思考とは、「入力(インプット)を出力(アウトプット)につなげること」だといえます。

そして、この俯瞰から分かることは、このインプットとアウトプットをつなぐ能力こそが「知性」だということです。普通に使われている「知性」という言葉の意味から見るとかなり異質に聞こえるかもしれませんが、情報処理の全体観から見ると、こちらのほうが正しい理解だと思います。

『ハーバード・ビジネス・レビュー』(2017年5月号)に安宅が寄稿した「知性の核心は知覚にある」に登場する図表。

石川 これは……すさまじい図表ですね。壁に貼って一日中眺めていたいです(笑)。ちなみに読者の方に、これをどう読み解いたらいいのか、少し解説していただいてもいいですか?

安宅 ありがとうございます。はい。生物であれコンピューターであれ、情報処理システムというのは、基本的に3つのステップから成り立つと考えられます。入力(情報収集)、処理、出力です。

石川 はい、図表でいうと一番上に書かれているものですね……あれ!? 入力と出力はいいとして、処理はさらに3つに分かれていますね。

安宅 そうなんです。僕は処理をバリューチェーンとしてみて、さらに3つに切り分けました。ある意味、処理の「川上→川中→川下」といえるでしょう。

川上は、いわゆる感覚も含めた知覚対象についての理解。見ているものがなんであるとか、音声・文字の理解、その上での単語、文章の理解する、痛い・まずいなど基礎的な快・不快などはこれです。実際にはこの図表には一切書ききれていませんが、このひとつひとつがかなりの複雑なプロセスです。

川下は、いわゆる知的活動そのものです。グルーピングや切り分け、問いの設定、分析における軸出し、モデルづくりや、モノを書いたり、デザインしたり、分析、プレゼンしたりと。クルマの運転だとかもここに含まれます。

入口側、出口側、あるいは両方が入り組んでいる場合は、更に川上の情報を統合して、メタ化した意味合いを得ていく必要があります。たとえば、美しさやバランスであり、環境全体の理解であり、論理の理解、緊急度、複合的な視点での見立てなどです。これが川中です。

石川 なるほど。さらに図の一番下を見ると「知覚(perception)/認知(cognition)」と書いてありますが、これは何でしょうか?

安宅 いいところに目を付けましたね! それが一番のポイントになります。

石川 なんと、いきなり到達してしまいましたか(笑)。

安宅 さすがです。特に「知覚」がポイントです。ここで言う「知覚」とは、入ってくるさまざまな情報を統合して対象のイミを理解することです。

思考の入り口にあたる川上、それを統合する川中過程のほぼすべてがそれに当たります。感覚の一つには、電磁波の波長などから色を感じたりする色覚などがありますが、これも知覚の一部です。色は物理量ではなく、我々の心の中にしかない概念ですから。

実際には、色だけでなく、形だとか動きだとか、音だとか、さまざまな認知科学的な属性、モダリティを統合して対象、たとえば「ここにいるのが自分の飼っている犬」だとかを理解したり、総合的な情報から美しさを感じるのも知覚です。

認知は知覚から入力的な部分を剥ぎ取って意味理解のみを取り出した概念なので、基本、知覚に含まれます。実際には知覚の最初の過程である感覚すら、いま申し上げたとおり、意味理解、知覚の一部なので、ここをソリッドに入力段階から切り分けようとすること自体にあまり意味がないと考えています。

石川 なるほど。

安宅 ここまでのことを整理すると、次のように言えます。

Q. 思考とは何か?
A. 入力→処理→出力

Q. 思考の核心は何か?
A. 知覚

Q. 知覚とは何か?
A. 入ってくる情報からイミを理解すること。思考の入り口にあたる川上、それを統合する川中過程のほぼすべて。

石川 こ、これは……面白すぎます!! そもそも「思考の核心は何か?」という問いがすばらしいです。どうしてそういう問いに至ったのですか!?

安宅 いいポイントですね。「生物における学習とは何か?」ということを考えていたんです。

石川 おー、すばらしい。そのような深い視点から考えたから、「思考の核心は何か?」という問いが出てきたわけですね。

安宅 ほめてもらって嬉しいです(笑)。まあそれはさておき、まず大前提からいきましょう。

脳内にはグリアのようなサポート組織を除けば、情報処理機構としては「神経同士のつながり」しかありません。つまり、コンピューターにあるようなメモリーやストレージがありません。「情報処理と記憶保持が分化していない」ということです。

石川 それは本当に面白いですよね。

安宅 ですね! では脳内で何が起きているかというと、たとえば「ある草」に接して「激しくかぶれた」とします。この時、「ある草」を知覚した神経と、「激しくかぶれた」ことを知覚した神経が同時に興奮しています。これらの神経がつながり合っていればその接合部分で、これらの情報を両方受ける神経があれば、そこでこの2つの情報がつながり合います。

石川 さきほどの安宅さんの図表でいえば、「2つの入力」が同時に起きたという状態ですね。

安宅 はい。そのような「ある草」の知覚と、「激しくかぶれた」という知覚が何度も起きることで、 神経間、2つの情報間のつながりが強くなるんですね。これが生物における学習、理解の基本的な構造です。

石川 なるほど!

安宅 さらに言えば、生物における学習、理解とは、「Learning without goal(目的のない学習)」と言えます。「知覚されたインプット・ドリブン」と捉えてもいいかもしれませんが、何かを知覚した神経、情報の間で連関(association)が起きること、2つ以上の知覚できる情報につながり合いが生まれること。これが生物における学習、理解の本質といえます。

これは識別などの目的、たとえばこれが犬かどうか、をベースにパラメーター、変数の値を設定していく機械学習とはある種、真逆のアプローチです。そしてこの過程こそが、生命に意味理解を与えている本当の本質です。我々は価値を理解していることのみ知覚でき、知覚は経験から生まれる。知的体験であり、人的体験であり、思索の深さです。

石川 深いですね。ただの「インプット」ではなく、あくまで「知覚されたインプット」というのがポイントになるわけですね。

安宅 そうです。だから「思考の核心は何か?」と言われたら、僕は「知覚にあり」と主張しているわけです。

「何かを知覚した神経、情報の間で連関が起きること、2つ以上の知覚できる情報につながり合いが生まれること」。それこそが生物における学習、理解の本質であり、パラメーターや変数の値を設定していく機械学習とはある種、真逆のアプローチだと安宅は語る。

③ 未来とは何か?

安宅 そういえば、知覚のすばらしさを物語る、おもしろい動画があるんです。6人のカメラマンが、同じカメラ、同じ環境で、同じ男を撮影するんです。でも撮影対象の男については、億万長者、元囚人、アルコール中毒者など、カメラマンごとに違う事前情報が伝えられるんです。

石川 すごい! 同じカメラ、同じ環境で、同じ男を撮影しているはずなのに、まるで違う写真に仕上がりました。

安宅 これが知覚の力です。カメラは知覚してません。単なる記録装置にすぎないのです。

石川 もしかしたら、同じことが未来についても言えませんか? これだけ高度に情報化社会が発達すると、もはや僕たち人類は、同じような情報(インプット)を元に未来を思考することになりますが、そこからどのような未来を見据えるかは、一義的に決まらないというか。

安宅 そのとおりですね。「未来は目指すものであり、創るもの」ですから。

石川 名言すぎます。

安宅 僕は最近、国の審議会や委員会、OECD(経済協力開発機構)の会議やIEEE(米国電気電子技術者協会)という学会など、本当にいろんなところで話をする機会が増えているのですが、共通しているのはどこも「未来」の話をして欲しいということなんです。仕事の未来、産業の未来、必要になるスキルの未来、AIの未来。

石川 逆に言えば、未来について語れる教養が身につけば、安宅さんのようにどこでも活躍できる無双状態になるわけですね。

安宅 無双というのは大げさですが(笑)、まあとにかくみんな未来について知りたがっている。でも、当たり前の話ですが、未来なんて予測できるわけないんですよ。

石川 まったくその通りです。

安宅 たとえば人工生命という分野があります。これはコンピューターの仮想空間上で人工的な生命の生存や進化をシミュレーションしようというものなんですが、驚くべきことに、初期条件とモデルが同じでも、毎回違う結果になるのです。

石川 カオスの世界では、初期条件のちょっとした違いが大きな違いを生むという話がありますが、その人工生命の話は驚きですね!

安宅 ですね。ルールを知っているということと未来が分かるということは別なのです。シンプルな人工生命ですら未来を予測できないのなら、ましてやより複雑な僕たちの社会なんて予測できるわけないですよ。

少し前になりますが、ある教育系テレビ番組で、ちょうどこの「人工生命」の話が紹介されていて、それを見たスタジオのあるゲストが「これって地球の歴史が繰り返されたとしても、二度と同じ人類は生み出されないということですよね」と言っていましたが、まさにその通りで、これは未来にも当てはまる話なんです。

石川 深いですね。だから、未来は予測するものではなく、創るものだとおっしゃるんですね。

安宅 そうです。The future is to aim and to createです。

石川 そのお言葉、自宅の壁に貼っておきます(笑)。

安宅 ぜひそうして下さい(笑)。

石川 最後に一つだけお伺いさせてください。今の時代における「あたらしい教養」とは何でしょうか?

安宅 教養というものを、ローマ、ギリシア時代の自由人とそれ以外の人を切り分けるリベラルアーツ、人間を自由にするための学問だと考えると、今は、当時の自由七科(文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科)とは少し異なってきていることはほぼ明らかです。

ではなにかと言えば、第1に、母国語、第2に世界語、そして第3に問題解決能力だと思います。母国語と言っているのは、文章や相手の言っていることが理解でき、明確に考えを表現し、伝え、議論することができる力。世界語、現在は英語、と言うのは母国語と同様な能力に加え、情報のタイムリーな収集能力、言うべきことを敬意を持って的確に伝える力です。問題解決能力は、問題設定力であり、課題や対象を切り分け、整理する力、意味合いを出す力、以上を踏まえ、実際に結果につなげる力です。

ここにデータやAIの持つ力を解き放つ力、データリテラシー、が4つ目の軸として加わって来ているというのが僕の基本的な見解です。具体的に言えば、分析的、データドリブンな思考力と基本的な知見なのですが、分析力、統計数理的な素養、情報科学の基本、データエンジニアリングの基本といったものです。

これらを持った上でさらに豊かに生きていこうと思うならば、知覚できる内容や深さを高めるために、first hand的に理解できる領域を増やすことが大切です。そして幅広く多面的に考え抜いた領域が増えることが大切です。

具体的には、何かこれだけはというような圧倒的な情熱を持ちつつ、偏りのない理解を持てる領域を持つこと、そして今起きている世の中の変化のドライバーである自然科学、社会科学、また歴史的、地理的な背景への理解が持てること、これらを総合したり、つなぎ合わせて知覚していく力、が大切なのではないかと思います。

石川 ありがとうございました!

安宅 こちらこそ!

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profile

安宅和人|Kazuto Ataka
ヤフー CSO(チーフストラテジーオフィサー)。データサイエンティスト協会理事。慶應義塾大学SFC特任教授。応用統計学会理事。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経科学プログラムに入学。2001年春、学位取得(Ph.D)。ポスドクを経て2001年末、マッキンゼー復帰に伴い帰国。2008年よりヤフー。2012年7月より現職。著書に『イシューからはじめよ』(英治出版)。

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石川善樹|Yoshiki Ishikawa
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。近著に『仕事はうかつに始めるな』(プレジデント)、『ノーリバウンド・ダイエット』(法研社)など。