街を創る上で必要な要素は何か? 住居、商業施設、公園、病院、そしてなによりも学校が重要な要素となる。子供たちの登下校のざわめき、体育の授業での歓声、住人たちとの交流が、確実に街を活性化させてくれるのだ。麻布台ヒルズに「ブリティッシュ・スクール・イン東京」(以下BST)が開校した。学校長であるポール・タフ氏と、学校法人渋谷教育学園の理事長、田村哲夫氏に話を聞いた。
TEXT BY Kazumi Yamamoto
Main PHOTO (TOP) BY SATOSHI NAGARE
PHOTO BY Ryo Yoshiya
illustration by Geoff McFetridge
——まず、BSTの歩んできた道と、教育理念を教えてください。
タフ 1989年に学校法人渋谷教育学園の中の一校として開校しました。英国公認のブリティッシュインターナショナルスクールとして、60カ国以上の国籍の生徒たちに、幼児・初等から高等まで本国のナショナルカリキュラムに沿った教育を提供しています。今回、幼児・初等教育科のキャンパスを統合し、麻布台ヒルズに新たにキャンパスを開校させることで、幼児から初等まで一貫した教育の実現が可能となりました。教育理念としては、勉学だけでなく、生徒たちには個人として、また市民として、権利と同時に「責任」も理解してもらえる人間に育つような指導を心がけています。ですから、この学校は、彼らが積極的な市民性を身につけ、社会とつながりを持ち、より広いコミュニティの中で責任とリーダーシップを発揮する機会を提供することになります。本校は34年の歴史、伝統、由緒を誇っています。そのため、こういった重要な要素をすべて応用する能力を備えており、つまりは都市の中心で革新的かつクリエイティブな教育が実現可能となるわけです。歴史と伝統に、教育の未来、そしてこの特別な地域の社会の未来を融合させることができるのです。
——都市の中心でありクリエイティブな教育が実現できること、という観点から麻布台ヒルズを選ばれたのですね?
タフ 何年も前にこのプロジェクトの話を打診され、とても幸運でした。私たちにとって大切なことは、コミュニティの一部としてこのプロジェクトに貢献できるという点が本校の理念や原則そのものであるということです。さらに、麻布台ヒルズの持続可能性や環境保護への取り組みに賛同し、その一翼を確実に担いたいと思っています。
——「コミュニティの一部になる」ために、どのような活動を予定していらっしゃいますか?
タフ 本校にはさまざまなバックグラウンドを持つ生徒がいますが、この土地、地域に根ざした学校を目指しています。私たちがこの特別な街に存在すること、住民とつながること、周りのビジネスとつながること、は非常に重要です。できるだけ多くのつながりを作り、この地域のコミュニティライフをサポートしたいし、可能であれば、地域の方々にも学校のコミュニティの一員となっていただき、私たちの施設を利用してもらうなど、相互に強い絆を構築したいと考えています。
活動としてはクリエイティブなアートイベントやスポーツイベントなど、様々な年間行事を予定しており、それらのイベントに地域の皆さまをご招待したいと思っています。また毎年春に行われる「スプリングフェア」は当校の年間行事の中でも大きな目玉イベントですが、これにも可能な限りの多くのコミュニティの皆さまをご招待し、お楽しみいただきたいと思っています。
建物のデザインはへザウィック・スタジオが担当
——外観デザインは、BSTと同じく英国出身のへザウィック・スタジオですが、素晴らしい建物ですね。
タフ はい、とても美しいです。ヘザウィック・スタジオが学校のデザインを手がけるのは初めてで、彼らの作り上げたこの校舎は、まさに革新的でクリエイティブなものだと断言できます。言うまでもなくへザウィック・スタジオは英国が誇るクリエイターたちであり、校舎建築において私たちの理念や文化を表現してくれています。また、環境に配慮し、まるで庭園のような校舎です。庭のような雰囲気に重点を置いて作られていることもあり、BSTが今後、「MODERN URBAN VILLAGE」をコンセプトに開発された麻布台ヒルズとどのように融合し成長していくのかが、楽しみでなりません。
——ソフト面だけでなく、ハード面でもBSTの理想の要素がすべて詰まっていると聞いています。
タフ 私たちは、生徒はさまざまな科目、さまざまな分野のカリキュラムにアクセスできるべきだと考えています。そこでさらに重点を置くべきはクリエイティブアートとスポーツの課外活動やクラブ活動です。この建物キャンパスには、2つの校庭、屋内プール、体育館、ダンススタジオ、デジタルテクノロジースタジオ、さらに2つの図書館があり、これらの施設が私たちがモットーとする幅広くバランスのとれた教育、包括的アプローチの実現を可能にします。特に東京のような都市の中心にありながら、このような施設を持つ学校は世界でもほとんどないのではないでしょうか。
——日本の文化も教育に取り入れていくのでしょうか?
タフ はい、もちろんです。本校は東京、そして日本にあることを非常に誇りに思っています。このような素晴らしい伝統文化を持つ社会の一員であることにとても感謝しています。この麻布台ヒルズというロケーションを強みとし、日本の伝統文化に敬意を払える子供たちをこれからも育てていきたいと考えています。
BSTの生徒たちに望むこと
ポール・タフ氏と共に、麻布台ヒルズの新キャンパス設立に奔走されたのが、学校法人渋谷教育学園の理事長で、日本の学校改革を牽引してきた重鎮、田村哲夫氏だ。そこで、BSTを受け入れることとなった経緯と教育理念、そして、子供たちに望むことを田村氏に聞いた。
——1989年に渋谷教育学園の1校として、BSTを受け入れられました。その経緯を教えてください。
田村 「自調自考」「国際人育成」「高い倫理感」という教育理念を掲げて、1983年に渋谷教育学園幕張高等学校を開校しました。それまであった男子校・女子校ではなくて、共学校をです。戦後出来た学校は、戦前の男子校、女子校の伝統を引き継いでいるので、共学の中高一貫校はほとんど存在しなかった。そこでこれからは共学校を「つくる意味がある」と考えたんですね。その後何年かたったころでした。突然、麻生和子さん(吉田茂元首相の三女で麻生太郎氏のお母さま)から電話がかかってきて、「田村さん、確か学校をやっていましたね?」とお尋ねになった。「やっています」「場所はどこですか?」「渋谷です」と言ったら、「ああ、それはよかった」とおっしゃった。
英国経済はサッチャー首相以降、発展を遂げ、英国から日本に来て経済活動をする人が急激に増え、「自分たちが連れてきた子供の幼稚園、小学校を何とかしてほしい」という要望が噴出したのです。それも安心して通える都心に。私が校長を務めていた高校(現在の渋谷中学高等学校の前身)の敷地内には、教室に余裕があったこともあり、協力を申し出て、渋谷教育学園がBSTを経営することになったのです。
——1989年の開校の際、サッチャー首相も訪れたと聞いています。
田村 ちょうど日本を公式訪問中だったこともあり、開校式に来てくださいました。「鉄の女」というイメージはまったくなく、笑顔の素敵なとても優しい方でした。「あなたの親切な助力がなければ開校はできなかった」と丁寧な手紙もいただき感激したことを覚えています。1992年には日英関係に貢献したと、英国政府からエリザベス二世女王大英帝国名誉勲爵士が贈られました。
——インターナショナルスクールということで、運営する上でハードルはありましたか?
田村 BSTは私たちの学校法人のひとつではありますが、「教育の内容にかかわるのはイギリス人で、自分たちの文化を生かすカリキュラムにしたい」との申し出があり、我々はあまり口を出さないほうがいい、と判断しました。ただ、「ローカルのことや日本の文化をイギリス人に伝える行事は必ずやってください。そしてそれを学校の特徴の1つにしてほしい」ということは伝えました。その希望はいまでも連綿と受け継がれています。
——渋谷教育学園とBSTの共通した理念を教えてください。
田村 「国際人」を育てる、ということですね。実はBSTの一期生で、現在はロンドンで第一線の医療関係の責任者として大活躍している人がいます。彼は、イギリスのために、世界のために日々頑張っている。そのほか、国内外でさまざまなジャンルで活躍している卒業生は大勢います。
共通した教育理念でもある「自調自考」は「自分で調べ、自分で考える」という意味だけではないのですよ。本当はその先にある、「自分を調べ、自分を考える」ということ。自らを理解することによって、自分の存在理由を知り、自己認識を高めることができる。そうすると自主性豊かな人間に育っていきます。自己を表現することに国境など関係ないですよね。
——麻布台ヒルズにキャンパスが出来たことによって、この街がどのように変わると思われますか?
田村 この学校が出来たことで、確実にこの街はガラッと変わります。3歳から11歳までの約740名のインターナショナルな子供たちがいて、また、その親が迎えに来ては仲間で集まってお茶を飲んだり立ち話で情報交換したりしますよね。多種多様な人間が集まることで国際的な雰囲気になってくる。そういった空気感は人の考え方を変えるんです。街ができ、そこで人々が活動することで生まれてくる共通の概念を、我々は「文化」と呼んでいる。つまり文化が生まれ、そのことによって日本の社会が変わっていくきっかけができるのです。
——子供たちに望むことを教えていただければ。
田村 「この街に、これだけ立派な施設を持つ学校として設立されているということを自覚し、責任を持って行動してほしい」と、それだけです。内にこもらずに地域のために活動してほしいと願っています。
ポール・タフ|Paul Toughイギリス、南ウェールズ出身。大学では人文学を専攻し、カーディフ大学で修士号(文学修士)を取得。1999年よりインターナショナルスクールでの教育に従事し、香港のアイランド・スクール、ウェスト・アイランド・スクール、ディスカバリー・ベイ・インターナショナルスクールの3校において15年以上のシニア・リーダーシップとして活躍。2019年よりBSTの学校長を務める。私生活では歴史と政治に造詣が深く、ラグビーやサッカーを愛する。
田村哲夫|Tetsuo Tamura1936年東京生まれ。58年に東京大学法学部卒業。住友銀行を経て70年に学校法人渋谷教育学園理事長に就任。83年に渋谷教育学園幕張高等学校を創立、続いて86年に同中学校を設置し、中高一貫校とする。96年渋谷教育学園渋谷中学校、99年同高等学校を開校。文部科学省中央教育審議会副会長、日本私立中学高等学校連合会会長など公職を歴任。著書に『伝説の校長講話』(中央公論新社)『渋谷教育学園はなぜ共学トップになれたのか』(中公新書ラクレ)など。
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