虎ノ門ヒルズに完成したステーションタワーとグラスロックと呼ばれるビルを繋ぐ歩行者デッキ「Tデッキ」の設計を担ったのがネイ&パートナーズ ジャパンだ。実はこのデッキ、日本中の技術の粋を集めたすごい建造物なのだ。代表の渡邉竜一さんに、その意図と実際の智恵と工夫を詳しく聞いた。
TEXT BY YUKA SANO
PHOTO BY MASANORI KANESHITA
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
illustration by Adrian Johnson
「現代の建設の大きな問題は、ある短期間でのお金の話を軸に考えてつくられていることです。でも実は、長期に使えるものをどうつくるかという視点で考えたほうが、経済的でもあり、これからの時代にとっては圧倒的に重要です」
虎ノ門ヒルズ内にこの7月に完成した「Tデッキ」を設計した、ネイ&パートナーズジャパン(NEY & PARTNERS JAPAN)代表の渡邉竜一さんはそう話す。ネイ&パートナーズジャパンは、ブリュッセルの本社と連携しつつ、意匠(美)と構造(技術)を統合した建築・土木分野のデザイン提案をしている稀有な設計事務所である。
「20年後、30年後、もしくは100年後、500年後に何が残るかというのは誰にもわからないですけど、それくらいの時間を生き延びてきた過去の建造物のなかに、ちょっとだけヒントがある。歴史的建造物は古いから美しいのではなくて、そこに掛けてきた人の思いが見て取れるから美しい。当時の人たちが何を考えていたのかを、その建造物から間接的に感じ取ることができるから、僕らはそこに感情移入できるんです。そうやってつくられたものが、現代はものすごく減っている。短時間のお金に合わせてとりあえずそれっぽいものをつくることを続けていると、その時代を知らない100年後の人は、そのものを見たときに、そこに感情移入はできないし愛着も沸かない。だからあっさり壊されてしまうのだと思う」
下には国道一号線と地下鉄の虎ノ門ヒルズ駅
「Tデッキ」は、虎ノ門ヒルズの4棟目となる超高層タワーである地上49階地下4階建てのステーションタワー(2023年秋開業)と、グラスロックと呼ばれる地上4階地下3階建てのビルを、地上2階でつなぐ歩行者デッキである。デッキの下には国道1号線(通称:桜田通り)が走り、さらにその下の地下には、東京メトロ地下鉄日比谷線の新駅虎ノ門ヒルズ駅がある。幅約20m、全長約35mの巨大な歩道橋であり、地上7mに浮かぶ緑地を備えた広場でもある。
「ブリッジパーク」というコンセプトのもと、指名コンペによって選ばれたネイ&パートナーズジャパンとオリエンタルコンサルタンツ設計共同体のプランは、すべての構造部材を熔接で一体化させる「折板箱桁構造」でできたスチール製の橋梁で、構造材が仕上げ材を兼ねるつくりになっている。
「仕上げ材が主構造と一体になっている利点は、上から仕上げ材を張っていないので、たとえば大きな地震があって激しく揺れるようなことがあっても、仕上げ材が落下するという心配がないことです。なおかつ点検をするときに、目視で状態がわかるので安全です。東日本大震災でも、室内の天井材が落下した被害は大きかったですし、天井板の落下によるトンネル事故も、老朽化を目視では点検しづらいからこそ起きている。国道を跨ぐこのデッキにとって、道路上に物が落下しない、長期でメンテナンスがしやすいという安全性はとても重要だと考えました。さらに、通常の歩道橋と違って、このデッキは地盤の上ではなく建築の上に乗る。しかも片側は超高層、片側は低層という、振動の特性が確実に違うふたつの建物に跨っています。そのため、基盤となる建築の変化に依存しない構造にする必要があり、片側の柱を支柱の上下がヒンジで動くつくりにして、地震があった場合にも揺れを吸収できるようになっています」
こうした安全性はもちろん、むきだしの構造材は造形としても美しい仕上げになっている。桁下、すなわち国道から見上げたときの天井部分は、スチールの板が折り紙のように折れ曲がりながら連続する意匠になっており、これはOMAパートナーが設計するステーションタワーの、アトリウムの天井デザインを引き継ぐイメージになっている。
「言ってみればこのデッキは歩道橋なので、中間に柱がない状態で全体を支える構造(単純梁)と、そこに連続する折れた天井のパターンを重ね合わせて、両方を満たす形を探すことから考えていきました。そして、それをどこでつくるか、誰とつくるかということを常に念頭に置きながら設計しました」
設計施工の一体化で同じ方向を目指す
ネイ&パートナーズジャパンでは、今回のプロジェクトに限らず、施工や製作方法、どのような技術を使うのかを考えながら設計するという。
「現代は、ひとつのプロジェクトのなかで、企画を考える人、設計をする人、施工する人、維持管理する人、運用をする人が、それぞれ別です。設計施工の分離は、公平性を保つ上では大事ですが、一方で、設計と施工が同じ方向を向きにくくなるために、分断が生まれる。分断が生まれた現場では、つくれるものに限界がある。では、同じ方向を向くにはどうすればいいのか。近代以前は当たり前のようにやってきた設計施工の一体化を、現代においていかに実行できるか、取り組んできました」
「このデッキは、桁があって柱があって、その上に乗っているという点では特殊ではないのですが、桁の下の鉄板が折れたようなデザインになっていることで、そこの頂点を合わせて施工の精度を上げなければいけない。ひとつひとつのブロックをどう合わせていくか、熔接していくと熱で縮むので、その縮み量をどうコントロールしていくか。極端に高い精度でつくらないと収まらない。熔接での変形や自重での変形もありますから、それを加味して上反り(うわぞり)をつけていて、あの複雑な形に上反りをつけると、全部三次元の座標が変わる。設計の決まった形からさらに、上にむくりをつけた形を、どういうふうに定義するかという難易度もある。熔接をしたあとには、熔接部分をすべて、グラインダーで人が削ってるんです。4カ月くらいかけて。
そこまで手間をかける必要があるのかと思うかもしれませんが、実はそれが、完成後の維持管理に密接に関わってきます。二次部材で取り付けたりボルトで収めたりすれば、取り付けやすいし難易度も下がるけれど、長期的なことでいうとそこから錆びたりする可能性がある。安全性にも関わるし、結果的にメンテナンスに費用がかかる。だから僕たちは、最初にメンテナンスのことも考えて計画するし、難易度の高いことをやってくれる人を具体的に想定しながら設計します。今回なら、技術を持った熔接工がいるところに頼まないと、実際に形にできない。こちらが考えていることを共有して、その手間を前向きにとらえて、何を目指してそれをするのか、同じ方向を向いてくれる人たちありきの設計なんです」
桁だけではない。柱は鋳物でつくって切削し、手すりはステンレスの削り出しという、巨大な工芸品のようなつくりになっている。こうした材料と技術を持った工場や職人とのつきあいは、もちろん一朝一夕には生まれない。これまでのプロジェクトを通して培ってきた。いまや「鉄に関しての施工のネットワークは、ゼネコンに負けない」自負がある。今回のデッキは「鉄に関していえば、日本中に散らばっている技術を結集させている」という。
月に2回橋を拭く活動を通してメンテナンス
人の手が入ったものとそうでないものは、その経緯を知らない人にも識別できるはずだと渡邉さんは感じている。複雑に手間のかかった造形物は、そのものを大事に長く使おうと思えるかどうかに、大きく関わるという。
「僕たちは、工程でいえば一番最後の維持管理の話を、一番最初のプランの段階に考えます。メンテナンスをどういうやり方でやっていくのがいいか、ある程度、計画の初期段階に持っていくことで、全体の計画が決まります。単にこのデザインが美しいとか、素晴らしいというのではなく、100年後、500年後まで含めて、人の生活にどんなふうにその物が関わっていくかを考える。そんな先のことはわからないと思うのではなく、見通しながら計画を考えていくのがこれからのデザイナーの仕事だと思っています。そこを抜きにしたデザインは成立しない」
渡邉さんがこうした考え方を持つようになったのは、2017年に長崎市に竣工した「出島表門橋」がきっかけだった。
「2012年にNey & Partnersの本拠地であるベルギーから日本に帰ってきたその年に、プロポーザルコンペで選ばれて始まったのが『長崎出島表門橋』のプロジェクトでした。日本での実績は何もない僕たちの提案を、長崎市が受け入れてくれた。僕は当時、世界で誇れる橋を日本で架けたいという思いで帰国して、このプロジェクトでスタートを切ったわけですけど、途中で、一部市民から反対運動にあうんです。
出島はかつて古い石橋がかかっていて、そのイメージが根強かった。そこにこんな現代的な橋を架けるとは何ごとかと。現代の橋にすることはコンペの条件としてあったけれど、それは市民には関係ないことですから。それで僕は、橋の完成まで4年半あったので、その間に、丁寧に街の人たちの話を聞いて、同時に自分たちが考えていることを知ってもらう機会をたくさんつくることにしました。もっと言うと、反対している人もいるけれど、味方を増やしていこうと考えました。協賛金で1000万円ほど集めて、任意団体をつくって街の人に取材したり、施工の人たちとも一体になりながら、工場でつくった部材を一括して橋を運ぶところをみなさんと一緒に見る機会をつくったり。テレビ局も協力してくれて、工事現場も記録しながら、反対している人たちにも出てもらって番組をつくりました。そういうことをやりながら、橋を架ける日を迎えたんですね。
その間、僕もとにかく現場に通いました。業務費用の4分の3は交通費に使っていると思います。そうやっていろんな人に会って話をしているうちに、反対していた人たちも、まあ渡邉さんが言うならしょうがねえか、って最後に言ってくれるようになった。反対する人にそのデザインを好きになってくれというのは無理な相談だし、だからといってデザインを変えるのも無理なこと。でも、コミュニケーションをとり続けることで、少しずつ分かり合うことができた。いま『長崎出島表門橋』は、地元の人たちが、月に2回、橋を拭くという活動を通してメンテナンスをしています。錆びたら自分たちでタッチアップして直しているんですよ。行政から依頼を受けるのではなく、街と僕たちで考えて実行しながら、もう5年続いています」
持続可能な社会は、長く使い続けたいと思うものが増えれば実現する
こうした経験を通して、あらためてデザインの力や、デザインのあり方を考えたという。
「本来、デザインはなんのためにあるかというと、そこに住んでいる人や社会にとって何かしらプラスになることが基本だと思うんですね。結果、美しい姿になることは、プロだからもちろんやりますけど、業界のなかで評価されたりすることより、いろんな人たちと話をしながらつくっていく時間のほうがすごく重要なんだろうなと思います。それができることが、デザインの力だと思います。『長崎出島表門橋』も、簡単につくれる形じゃない。施工の難易度も高い。だけど、そこに向かってつくっていくという思いが、僕らにも施工する人にもあったから、いま、街の人たちが橋を拭いてくれたり、柔らかい曲線をなでてくれたり、自分たちのものとして大事にしてくれているのだと思います」
つくる人、使う人々、その街をおとずれる人、そこに関わるすべての人たちに、愛着を持ってもらえるものをつくりたいという。持続可能な社会は、長く使い続けたいと思うものが増えれば実現する。
「思い返せば、長く使うというのは、かつて僕たちの国が持っていたすごくいいところですよね。いつの間にか、それができなくなったけど、これからは環境の時代に入っていって、長く使っていくことが大前提にものがつくられるようになってほしい。持続可能な社会のあり方って、当たり前のように長くものを使っていけばいいんですよ。木、石、鉄、コンクリート、どの材料が環境にとって正しいかだけではなく、それぞれの使い方、維持していくやり方をセットで考えていけば、いろんな選択肢があるはずなんです。それが前提になれば、お金のかけ方も変わっていく」
「Tデッキ」の場合、プロジェクトの規模が大きいからこその難しさがあるという。
「今回の再開発事業としてメンテナンスをやっている組織体がしっかりしているので、ルール以外のことをやるのが難しい。メンテナンスはメンテナンスでしっかり会社が入ってやられるので問題はないとも言えますが、恐いのは、お金がなくなったときにそれが持続しなくなることです。お金がたくさん入ってるプロジェクトほど、その心配がある。そうなっても、愛着を持って大事に思える人がどれだけいるかどうか。そのための仕組みをつくっておく必要があります。
僕はいま、映像を撮ることで、あの場所に感情移入してもらえないかということを考えています。デッキが完成してから1年間、写真家の佐内正史さん、映像作家の谷田一郎さん、アートディレクターの鈴木直之さんと、四季の映像を撮っていくつもりです。抽象度は高いけれども、どこか人間ぽい気配のシーンを切り取って、人が見えるような映像をつくりたい。その映像が広く外に出ていくことで、それを見た人が、あの場所に行ってみようとか、あれを見てみたいと思ってくれたり、あるいは、一度行ったことのある人が、もう一度訪れてみたいと思ってくれたら嬉しい。映像は感情移入しやすいですから。長崎の橋とはまた違ったやり方で、感情移入する人が増えてくると、人は簡単にそのものを壊そうとしたりしないと思うんです。50年後も100年後も、ずっとそこにあってほしいと思えるような風景を、どうやったらつくっていけるのか。これからも考え続けたいと思っています」
渡邉竜一|Ryuichi Watanabe
1976年山梨県生まれ。2001年東北大学大学院工学研究科都市建築学専攻博士課程修了。ステュディオ・ハン・デザインを経て、2009〜12年ベルギーのNey & Partnersに勤務。2012年帰国してネイ&パートナーズジャパン設立、代表取締役に就任。主な仕事に「長崎出島表門橋」「新札幌アクティブリンク」「三角港キャノピー」「札幌路面電車停留所」ほか。
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