特集麻布台ヒルズ

Between Two Food Enthusiasts

辻仁成×植野広生|だんちゅうでござる対談・番外編——“普通”のおいしさって何だろう?

作家、ミュージジャン、画家、演出家と多方面に活躍する辻仁成さん。そのクリエイティビティが料理へも大いに持ち込まれているのは、今や多くの人が知るところ。20年以上にわたって拠点とするパリや、各国への旅先のレストラン・市場などで得る料理の知識と腕前は、雑誌『dancyu』での連載や、多くの書籍などにいかんなく発揮されています。そんな辻さんがミュージシャン引退ライブツアー「終わりよければすべてよし」のために帰国中の今夏、元『dancyu』編集長の植野広生さんとが、麻布台ヒルズで会いました。「麻布台ヒルズ マーケット」で調達したシャンパンとフードを味わいながら、音楽のこと、最近の料理のことなど、知己の二人の話はあちらへこちらへ飛んでいきます。

TEXT BY Sawako Akune
PHOTO BY Mie Morimoto
styling (food) by Misa Nishizaki
illustration by Geoff McFetridge



——お二人揃われましたのでまずは乾杯から! 麻布台ヒルズ マーケットのワインと和酒の専門店「インタートワイン ケーエム 山仁」からシャンパンを届けていただきました。

おつまみラインナップに合わせた「インタートワイン ケーエム 山仁」からの提案はロゼのシャンパーニュ「モレル・ペール・エ・フィス シャンパーニュ ピュール ロゼ」。エレガントかつフルーティーなピノ・ノワールだ。

辻&植野 かんぱーい!

日本での音楽活動引退。ファイナルツアーを終えて

対談は「麻布台ヒルズ マーケット」内のイベントスペース「食堂」にて。

——日本での公式の音楽活動からの引退となるツアー『辻仁成 JAPAN ファイナル ツアー “終わりよければすべてよし”』の公演を終えられましたね。そのお話から始めましょうか。

 植野さんが、大阪のフェスティバルホールでやったファイナルのファイナルに来てくださって、とってもうれしかったですね。その前に東京で3日間やっているし、わざわざ大阪まで来てくださるのって本当の友達ですよ! 最後の最後、アンコールの2曲目辺りに、「これ以上のことは自分にはできない」って初めて思いました。10代から音楽を初めて、20代にECHOESとしてデビューして、海外へ拠点を移してオランピア劇場でもライブして……。引退はいろんな事情があって決めたことだけれど、今回のライブに備える間は、脂が乗っている時期にやめることを決断できない人間は何を始めたって終わりをよくできないんだって自分に言い聞かせているようなところがありました。体力づくりして、いろんな準備もしてさ。でも、最後のその時、「ああ、肉体的にも精神的にもこれ以上続けられないな」って初めて弱気になったんです。ここでやめるのでよかったんだって。だからその後のアンコールはどこか違う感じで歌いましたね。それまではいつも次のことを考えていたけれど、それを考えなくてよかった。それは初めての経験でした。

植野 最後のライブにお邪魔できてよかったです。僕ね、辻さんにライブの感想を「いいお湯でした」って送ったんです(笑)。ライブの間はもちろん圧倒されてわーっとなったんだけど、実はその後のほうがすごい。終わってからじわじわと感動が押し寄せてくる。辻さんの魂の破片のようなものが染み入ってくるというのか。それがいい温泉に入っているみたいなんですよ。入っているときももちろん気持ちいいのだけど、出た後に効果を実感するというのか。それにしても引退という決断をなさったのは、すごいことだなと思いました。

 もちろん音楽は続けるけれど、公式の興行をやめることで、逆にもう一度音楽を取り戻すことになる。そして新しい表現を始めることにもつながっていくと思っています。

植野 辻さんていろんな表現をするときに、力の抜き方がとても素晴らしいんですよ。ぐいぐいと押しすぎると重すぎて息苦しくなってしまいかねないところを、すっと抜く。真似のできない塩梅だと思います。ファイナルの場に立ち会うことができて、僕もとてもうれしかったです。

料理を通じて出会い、かたい友情を結んだ二人

世界中の”おいしい”の話になると二人の話の弾むこと!

——お二人のそもそもの出会いについて教えてもらえますか?

植野 最初にいきなり一緒に料理を作ったんですよ。『dancyu』で辻さんが料理をなさる撮影があって、僕は本番の現場には行かず、終わった頃に大きなマグロを担いでいったんですよね。それを二人で一緒に料理して皆で食べて! 

 それからの長いお付き合い。『dancyu』での連載も、編集長時代からずっと担当いただいているし、日本に帰ってきたときは必ずお会いしています。イベントなどでご一緒したり、お笑い料理ユニット「だんちゅうでござる」を結成してゲストにフルコースをふるまって漫談するような企画も……(笑)

植野 僕たちの共通項は、そこにある食材を見て、その場でおいしいものを作るのが好きなところです。辻さんがパリジャンなのに対して僕はカタルーニャ地方の料理や気候や人が大好きな“カタルーニャ人”なのが違いますけどね!

 いつだか一緒に料理している時に、植野さんの作ったフィデウア(ショートパスタのパエリア)、おいしかったですよねえ。僕らパリジャンはあまり食べませんが……(笑)

麻布台ヒルズ マーケットのおつまみに舌鼓

「サバとアジをバランスよく食べたマグロの味わい!」と植野さん。

——さてお二人に、つまみがやってきました。本日召し上がっていただくのは、こちらも麻布台ヒルズ マーケットに入っている「やま幸」のマグロ、「鳥しき」の焼き串、「METZGEREI KUSUDA」のシャルキュトリーです。

 このマグロの“はがし”っていう部位は、僕は初めて食べますよ。おいしい! 本マグロの頭から背に至る筋が強い部分をはがし取る、その手間をかけることが素晴らしいですね。僕ね、これは醤油ではなくて塩でいただきたいな。

豊洲市場を代表する鮪・鮮魚の仲卸「やま幸」による「麻布台 やま幸鮮魚店」よりのマグロの刺し身。中トロ、赤身と並ぶ「はがし」は、マグロの脳天から背中にかけての筋と筋の間を剥がしてとる希少部位。脂ののり方が絶妙だ。

植野 「やま幸」さんは豊洲一の仲卸さん。“はがし”って手間がかかるから、最近はやる人が少なくなったんですよね。確かにおいしい! こっちの焼き串の「鳥しき」さんのお店は目黒なんですけど、予約がかなり難しい超人気店ですよ。

予約困難店でもある目黒の名店による味。可能な限り炭火に近づける”近火の強火”で目黒本店の味を再現した焼鳥は冷めてもやわらか。辻さんがお気に入りの「黒玉」は指名買いする人も多いそう。

 なんですかこの……「黒玉」は! おいしい! うずらの卵の燻製か。冷めてもやわらかいし、うわーこれは気に入りました。

植野 「METZGEREI KUSUDA」のこのパテ、奈良漬が入ってるんですね! 奈良漬とは思えない食感……、フォアグラによく合っています。うまい!

神戸・芦屋のシャルキュトリの名店「METZGEREI KUSUDA」による「クスダ シャルキュトリ メートル アルティザン」から届いたパテやローストビーフ。ヨーロッパ仕込みの技術を日本の食肉に合わせた味わいで展開。

 鴨とフォアグラのパテに奈良漬を入れるなんて素晴らしい発想ですね。パテといえば、植野さんをお連れしたいパテ屋がパリの家の近所にあるんですよ。あんなにおいしい「パテ・アン・クルート(パイ包みのパテ)」を僕はほかで食べたことがない。周りのパイがサクサクで中はしっとり。普段は絶対に行列なんかしないであろう裕福なパリジャンたちが並んでいる。最初はその様子を見て「これはおいしいに違いない」と入ってみたんです。

植野 本当、パリには“行く行く詐欺”で……!(笑) 辻さんがパリのいろんなレストランや食べ物の写真とか文章を送ってくださるんですけど、どこもおいしそう。そのパテ屋さんも、ものすごく行きたい一軒。早く行かないとなあ。辻さん、最近のパリの食事情ってどうですか?

日常の中に見つかる“ふつう”のおいしさの尊さ

 10年ほど前からの有機系のブームがすっかり定着しましたね。大手チェーンのスーパーでさえ有機コーナーがすぐに見つかるようになった。フランス人全体が、そういうことに気をつけて食に向き合うようになっていると思います。日本もそれは同じか。変わってきましたね。

植野 そうですね。それに伴って例えばワインでも、かつての「自然派だからおいしい」、っていうような頭で飲む人も少なくなってきた気がします。自然なつくりのものがごく普通に、身近なものになってきた。

 それはまさに『dancyu』の功績でもあると僕は思います。高いお金を出しておいしいものを買う、いわゆる美食もいいとは思うけれど、僕自身は、自分も作り手になって、いい食材に出会ったらそれを家で料理することがあくまで好きだし、それができることを目指してきました。植野さんもまさにそれを目指していて、だから仲良くなったんだと思うんですよね。だって大人の男が二人、普通に出会ったところで、そう簡単には友情は結ばれないですよ!(笑) 10万円出せばなんだっておいしい。じゃあ1,000円でどれだけおいしくできるの?っていうところの感覚がそっくりだった。

植野 そうですね、僕も個人的に“ふつう”はとても大切にしています。そもそも“ふつう”ってなんだろうと考えている。辻さんがの言う通りに、高いものがいいとか悪いとかではなく、今日食べておいしくて、明日も食べて、そして10年後も食べているであろう“ふつう”のもののすごみですよね。それはコロナ禍を経て今、多くの人が大切にするようになった感覚でもあると思います。

正確に味をとらえる二人の話にぐいぐい引き込まれてしまう。

 植野さんは“日常生活のプロ”を目指しているんだと思います。日々を淡々と生きる人々へのリスペクトを持って、その中で最高の食材を最高においしく食べることにこだわっている。植野さんは「こだわり」って言う言葉を褒め言葉で使うととっても怒りますけどね!(笑) 

植野 日常にこそ見つけることのできる“ふつう”のおいしさですよね。こんな不安定な時代だと“極端”へ振れた方が楽だったりしますけども。辻さんの料理の素晴らしさのひとつは、世界中を移動して知の探求をして、それを食卓に持ち込んでいるところ。いろんな国のレストランに行ってどんどんとキッチンまで入り込んだり、お客さんやシェフと話したり。実に自由にそれをやっている。音楽にも言えることだけど、伝え方と力の抜き方の匙加減が絶妙で、だから周囲の皆が引き込まれてしまう。

そして二人は今の東京らしいマーケットへ!

「おいしい」を人々へ伝えること、伝わること。

——辻さんはこの「麻布台ヒルズ マーケット」にいらっしゃるのは初めてとのこと。パリのマルシェと比べるといかがですか。

 パリのマルシェと似ているかというと、全然似てはいないです。むこうのマルシェは路面店よりずっと安い。たとえば(高級デパートの)ボンマルシェで1万円くらいするようなスズキが、千円くらいで手に入るようなことがあるわけです。安くて新鮮なものが手に入るから、マルシェのある日にカゴを持って出かけて1週間分の家族の食糧を買ってさ、それを料理して家族で食べる。今では、高級店で買い物できるような裕福な人たちもそういうことがわかってきて、マルシェに並んでいたりするのだけれど。

でもさっき説明を聞いていたら、この「麻布台ヒルズ マーケット」はさ、違うんですね。デパ地下はテナントの側から出店するのだけど、ここは直営なんですと。そこに驚きました。一品ずつは決して安くなくても、ここを歩くだけで、今の日本のすごい味が手に入るんでしょう? 今の東京らしいマーケットなんだなあと思います。

植野 生きているなかでおいしいものに巡り合う力というのは、その人がどう生きているか、どんな価値観を持って世界に向き合っているかによって変わってくると思います。「おいしい」は一言で言えるけれど、10万円のものも千円のものも、どっちもおいしいと思える力を持ちたいなって思うんです。辻さんも料理なさるとき、どういう相手に、なぜ、何を食べさせるかっていうところに合わせて作られますよね。

 うんうん、ストーリーをちゃんと作ります。それは料理だけじゃないけれど。

植野 そうそう、そのストーリーがとっても大切ですよね。そしてさらにそのストーリーが伝わることが。若い編集者たちにはよく、“伝える”ことで自己満足してないか、って言ったりします。どんな表現も、伝わらないと意味はないんですよね。僕はその共有の仕方にはこだわっていきたいな!

 こだわり!(笑) 植野さん、ちょっとマーケットを見て帰りましょうよ。

植野 そうですね、行ってみましょう!

麻布台ヒルズ マーケット


住所=麻布台ヒルズ ガーデンプラザC 1F、B1F 営業時間=10:00〜20:00(一部、営業時間の異なる店舗もあり) 電話=03-5544-9636(代表) ※サービスカウンター 

profile

辻仁成|Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、画家、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。

profile

植野広生|Kosei Ueno
1962年、栃木県生まれ。2017年から2024年まで食の雑誌「dancyu」編集長を務める。「日本一ふつうで美味しい植野食堂 by dancyu」(BSフジ)出演中。「土佐おきゃく大使」「宇都宮ブランドアンバサダー愉快市民」「栃木市ふるさと大使」として、地域の活性化にも着手。著書に『dancyu“食いしん坊”編集長の極上ひとりメシ』。