開業から1年足らずでミシュランガイド タイの一つ星を獲得したバンコクの〈サーワーン〉、そのカジュアルダイニング〈サーワーンビストロ〉が麻布台ヒルズにオープンした。〈サーワーン〉について、「これまで日本になく、タイ本国でも新しいレストラン」と話すのは、同店の運営を手掛ける株式会社BOND CREATIONの雨宮龍氏だ。
TEXT BY KEI SASAKI
PHOTO BY SATOSHI NAGARE
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
illustration by Geoff McFetridge
——〈サーワーンビストロ〉は、タイのフードシーンにインパクトを与えたファインダイニング〈サーワーン〉の海外初出店で、数ある麻布台ヒルズのレストランの中でも話題を呼んでいます。
雨宮 バンコクを筆頭に、タイ国内のファインダイニングは、近年、世界のフーディーから注目を集めていますが、なかでも〈サーワーン〉は、非常に先進的なレストランです。だからこそ、オープンわずか7カ月でミシュランの星を取ることができました。
タイ本国でも新しい、宮廷料理の思想をベースにしたモダンタイ料理
雨宮 かいつまんでご説明しますと、〈サーワーン〉はフランス人がオーナーで、古の宮廷料理の食文化や思想をベースに、現代タイ料理を再構築した料理を供するレストランです。これまで我々日本人が親しんできたパッタイやグリーンカレーなどのタイ料理は、タイの家庭料理がベースにあり、またタイ国内をはじめ、世界にあるモダン・タイ・キュイジーヌは、その家庭料理を、上質な素材や新しい調理法を駆使して洗練させたものがほとんどです。どちらも軽やかかつモードな料理で、それぞれの魅力があると思いますが、成り立ちに違いがあるわけです。〈サーワーンビストロ〉は、かつての宮廷料理の思想をもとに作り上げられたファインダイニング〈サーワーン〉の味を、気軽に楽しんで頂けるカジュアルダイニングです。
——具体的には、どのような料理を提供されるのでしょうか。
雨宮 古の宮廷料理の思想とは、タイの五味を基本に、色味、調理法までさまざまな要素が美しく調和した料理であるといいます。五味の定義は地域によって異なり、日本では、甘味、酸味、塩味、苦味、旨味を指しますが、タイでは苦味ではなく辛味が加わって五味を形成します。我々日本人の間にも「タイ料理=辛い」というイメージがありますから、容易に理解できますよね。さまざまな要素を持つその思想の中でも、「五味の調和」は大切なキーワードです。辛さだけが突出していてはダメですし、甘味で辛さを、力技でマスキングしてもダメ。メニューには、シグニチャーの「塩漬け牛肉のココナッツスープ」をはじめとするバンコクの店の料理と、日本の店向けに作られた新しい料理が並びますが、どの料理からもそのエッセンスを感じて頂けると思います。本国はコース1本のファインダイニングですが、〈サーワーンビストロ〉では、アラカルトでカジュアルに楽しんで頂きたいと考えています。ディナーだけでなく、ランチタイムも営業します。
偶然か必然か、〈サーワーン〉オーナーとの出会い
——アジアンガストロノミーの最前線を、麻布台ヒルズで、カジュアルに楽しめる。とても稀有な店だと思います。なぜこの店の誘致、開業に至ったのでしょうか。
雨宮 ご説明するには、自分の経歴も交え、少々長い話になりますが(笑)。弊社(株式会社BOND CREATION)は、2021年に創業したばかりで、今回の出店は、私だけの意思や力ではなく、さまざまなご縁や、多くの方のご尽力が重なって実現したプロジェクトです。麻布台ヒルズの中でも、イレギュラーなケースだと思われます。
起業前、私はグループ企業の飲食部門の代表を務め、さまざまな飲食業態の誘致、店舗展開などに携わってきました。コロナ禍で、飲食事業の売り上げが冷え込んだときも、会社は攻めの姿勢を後押ししてくれたのですが、グループ企業である以上、自分の挑戦がほかの社員全体の不安や足かせになることが耐えられなかった。「今が潮時」と意を決し、自身の会社を立ち上げ、アメリカ発の熾火料理で初めてミシュランの星を獲得したサンフランシスコの〈セゾン〉のスーシェフを招き入れ、横浜にガストロノミックな熾火料理をカジュアルに楽しめるレストラン〈SMOKE DOOR〉を立ち上げたのです。「トップクオリティの料理を、カジュアルなスタイルで」というのはこの店とも共通する、弊社の店作りのコンセプトでもあります。
——なるほど、それで「次は新しいタイ料理で行こう」となったわけですね。
雨宮 実は、そんなにシンプルな話ではなく、もう少し長いストーリーがあり、話は前職時代、2018年に戻ります。当時、バンコクのフードシーンの盛り上がりは伝え聞いていたので、どこかのレストランとコラボレーションができないかと考え、現地での体験、リサーチを目的にタイ中の有名店を食べ歩いていました。その中で、ずば抜けて美味しく、何かが違うと感じた一軒が〈イッサーヤ・サイアミーズ・クラブ〉。辛みが突出せずバランスが取れていて、ワインにも合う。タイの超有名シェフが料理長をしていて、アジアのベストレストラン50にもランクインしていました。すぐにコラボレーションを打診したのですが、けんもほろろ、まったく取り合ってもらえなかったんですね。
ところが、奇跡のようなことが起こった。タイから帰国したちょうど翌日から、当時、社で手掛けていたフランスのパティスリーのオーナーパティシエの来日があり、彼の食材の産地訪問をアテンドする旅に出かけたんです。そこで、「昨日までタイに行っていて、〈イッサーヤ〉というレストランが素晴らしかったんだ」という話をしたところ、彼が「オーナーのフレッドはフランス人で、親友だよ!」と言うんです。すぐにフレッドことフレデリック・メイヤーを私に紹介してくれて、その後、フレッドとはすっかり意気投合し、来日のたびに一緒に食事をする関係になったんです。翌年の2019年に、フレッドが〈イッサーヤ・サイアミーズ・クラブ〉に続く2軒目のレストランとしてバンコクに開業し、7カ月で一つ星を取ったのが〈サーワーン〉なのです。
ガストロノミックな料理を、カジュアルなスタイルで多くの人へ
——なるほど、時間軸の整理ができました。その時の出会いから、今回の開業に至った、と。もはや単なる海外ブランドの誘致の話ではなく、個の繋がりが生んだ店ということになります。
雨宮 はい、その通りです。私は決して運が強いとか博才があるとかいう人間ではないのですが、なぜか人との縁には非常に恵まれる。感謝しかありません。その時に決めたのです。これからは自分の好きな人と、好きな場所で、好きな仕事をしようと。
当然ながら今回の出店は、私の力だけでは実現しませんでした。私は2021年に前職を退き、起業したばかりの新米社長ですから。ここでまたご縁を繋いで下さったのが、尊敬する飲食業界の大先輩、株式会社サイタブリアの石田聡さんです。私とタイのチームとの関係をご存じだった石田さんが、麻布台ヒルズにアジアのレストランの誘致をと、動いていた森ビルのご担当者に繋いで下さったわけです。自分としては時期尚早、フレッドとはいつか必ず仕事をするつもりでしたが、それは弊社がもう少し、実績を積み重ねてからだと思っていました。でも、憧れの先輩からいただいたビッグチャンス、自分を追い込んで勝負してもいいと思ったんです。とはいえ相手は森ビルさん、しかも麻布台ヒルズですから、こちらの意思が固まれば、という話でもなく。結果、株式会社サイタブリアの初のパートナーシップ事業として、出店させて頂くことになりました。
——「店は人」と、よく言いますが、それは規模の大小に関わらないということを示しています。企業運営でも商業施設内でも、人の営みであり続けることができる。ようやく〈サーワーンビストロ〉の話ができます。改めて「カジュアル」にこだわる理由をお聞かせ下さい。
雨宮 大学を卒業してから約四半世紀、飲食業界でキャリアを重ねて、いわばこの業界に食べさせてもらってきたわけです。今後は、少しずつ業界に恩返しをしていきたい。世の中に新しい価値を生み出し、次の世代に何かを残すような店を仕掛けて。そう考えたとき、先にお話した「トップクオリティの料理を、カジュアルなスタイルで」というコンセプトが生まれたのです。1軒目にオープンした〈SMOKE DOOR〉の薪火料理も、〈サーワーンビストロ〉のタイ料理も、世界のトップガストロノミーのシーンで生まれた、これまで日本にはなかった美味しさ、料理のスタイルであると自負しています。それを、一部のフーディーではなく、誰もがアクセスできるオープンな店で提供したい。カジュアルな店は、ある程度席数がないと成立しないので、必然的に大箱になります。小さな店が増え、飲食店がどんどんパーソナルな場になりつつある今、パブリックな、大箱のレストランの賑わいは新しい景色を生むはず。チームでゲストをお迎えし、スタッフの中から未来の飲食業界を担う人材も育てて行きたいです。
最先端のスポットで、個の繋がりで成り立つ店、コミュニティを育てる
——レストラン自体も78席と大きいですが、加えてバーカウンターがあるのもユニークです。
雨宮 スタンディングが中心で、バー単体でもご利用頂けます。うちの店だけでなく、ほかの店の食事の待ち合わせやアペリティフに、食後の一杯にと、お客様に自由に使って頂きたい。タパス仕立てのタイ料理と、ハーブなどを使ったタイならではのカクテルを楽しめるのがウリですが、おそらくタイ本国にもまだない、新しいバーのスタイルだと思います。タパスももちろん、〈サーワーン〉のエッセンスを感じて頂けるものをご用意しています。施設の共有部分に面しているので、偶然に友人や知人に出会うこともあるでしょうし、行き交う人と会話が生まれることもあるかもしれない。バーがあることで、より多くの方々が〈サーワーン〉の世界観に触れる機会、接点も生まれる。「パブリック」な店の、シンボル的な空間になると思います。
——麻布台ヒルズは「グリーン&ウェルネス」を標榜する商業施設です。新しいと感じること、ここだからできると思われることはありますか。
雨宮 とても生意気なことを言うようですが、店は場所ではない、どこであっても人を呼べる店にしなくてはいけないと考えています。一方で、世界が注目する東京の最新スポットの、とりわけ素晴らしいロケーションの区画に店をオープンできることを、フレッドをはじめタイのチームがとても誇らしいと喜んでくれていて、そのことについては麻布台ヒルズというブランドに深く感謝しています。客観的な視点で見てみると、日本国内の名だたる飲食店を筆頭に、店のラインナップは非常にユニークかつ画期的です。また、一テナントとして、これまでの商業施設にはない自由な空気があると感じています。画一的なルールで管理するのではなく、テナントの個が尊重されている。我々飲食店側にとっての「ウェルネス」ですよね。また、飲食店同士の、横の繋がりを作ろうという森ビルさんの働きかけもあるように感じます。先にお話した通り、〈サーワーンビストロ〉もフレッドと私の、個の繋がりがベースにある店です。まずは彼が想いを込めて立ち上げた〈サーワーン〉というブランドを大事に育てながら、次にできること、すべきことを考えて行きたいです。
雨宮龍|Ryu Amemiya
1975年生まれ。神奈川県出身。商社勤務だった父親の駐在先のシカゴで1~8歳までを過ごす。大学時代はアイスホッケーに明け暮れ、バーでのアルバイトをきっかけに飲食業の楽しさを知る。在学中から株式会社グローバルダイニングにアルバイトとして勤め、卒業後、〈レストラン カシータ〉を運営する株式会社サニーテーブルに入社し12年勤務。マッシュホールディングスの飲食部門・マッシュフーズ代表取締役を8年務め、2021年に株式会社BOND CREATIONを設立。
佐々木ケイ|Kei Sasaki
フードライター・エディター出版社勤務を経て、2004年よりフリーランスとして活動。主な分野は食で、飲食店(東京、ローカル、ファインダイニングから大衆食堂まで)、生産者(農業、漁業、加工品)、酒類(ワイン、スピリッツ、ビール等)について幅広く取材、執筆する。連載はBRUTUS、dancyuほか。
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