虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの常設展示《Firmament(Mori)》は光のアーティスト、レオ・ビラリールが日本で初めて手がけたパブリックアートだ。人々の動きや車の流れ、気象状況といった周りのキネティックな活動にインスパイアされたパターンで人々を迎え入れる。作品に込めた意図、そして東京という街から得たインスピレーションを語ってもらった。
TEXT BY MIKA YOSHIDA
INTERVIEW BY DAVID G. IMBER
PHOTO BY NICHOLAS CALCOTT
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
illustration by Adrian Johnson
——作品タイトル《Firmament(Mori)》とは?
レオ 「Firmament」とは天空、ひいては「頭上にあるもの」を指します。「Mori」には、場所の特性、そして森ビルのアートに対する深いコミットメントと対話への私の想いを込めました。私は少年時代、メキシコやテキサスの広大な砂漠で大空を見上げながら育ちました。宇宙はどうなっているのだろう、そこにはどんな摂理があって、何で構成されているのだろう……? この好奇心が、やがてアーティストとして天体や粒子の輝きに似たシステムを生み出すに至ります。ただし空の再現ではなく、天空を「喚起させる」アートです。
また、メキシコシティで数多く見てきた壁画の影響もあるでしょう。特にディエゴ・リヴェラの壁画は、宇宙の起源という巨大なテーマを顕微鏡レベルの細密画で物語る。マクロとマイクロ、両方の視座を備えているのですね。そもそも作品を設置した場所の呼称が「スカイボックス」。いわば天空を引き下げ、新たな形で体験する作品なのです。
ドラマチックな「ポータル」を
——作品の配置がスカイボックスの軒天井に決まるまで、別の設置場所も検討されたとか。
レオ ステーションタワーのどの部分をアクティベート(起動)させるべきか? 森ビルや虎ノ門ヒルズ ステーションタワーの設計を手がけたOMA NYとの協議において建物頂部のライトアップなども提案しましたが、やはり重要なのは玄関口。スカイボックスの下部に迫力を備えた特別な作品を設置することで、存在感あふれるドラマチックな「ポータル(入り口)」を生み出すべく腐心しました。
——OMA NYの重松象平さんも、本インタビューにあたってこのようなコメントを寄せています。「ステーションタワー周辺の活動や営みに則しつつ、その一部ともなる《Firmament(Mori)》は変化し続けるマーキー(=劇場やホテルなどの立体看板)です。空気や光、人々のエナジーをより高みに引き上げる本作品は、スカイボックスの下部に設置されたダイナミックな門。また同時に人々が見上げ、内側へと誘いこまれるインターフェイスでもあるのです」。
重松さんも森ビルチームも、建築とアートがあまりにも見事に一体化しているので今となっては《Firmament(Mori)》のないステーションタワーなど想像できないくらい、と語っています。いかが思われますか?
レオ 感謝の一語に尽きますね。このプロジェクトには長い年月がかかりました。OMA NYから推薦された2017年、森ビルの辻社長がNYペース・ギャラリーでの私の個展を訪れ、スタジオにも足を運んでくれました。そこから長い協働が続くのですが、素晴らしい建築チームはじめ、これ以上望めないほど理想的な協働環境に恵まれました。照明の寿命や作品の保全などの重要事項について、早い時期から質問を寄せてくれるといったキメ細かな仕事ぶりは勿論ですが、何よりも自分に寄せられた信頼に打たれました。
——これまで森ビルは照明を照明デザイナーに依頼しており、外装照明をアートとしてインストールするのはこれが初めてです。レオさんがオリジナルで提案する作品という点でも他のパブリックアートとは大きく異なりますね。
レオ 今回は作品をただ設置するのではなく、私が現場でコーディングの作業を行うという点でも特別でした。アーティストにその場で制作させるのは大きな賭けなはず。よほど信頼がなければ下せない決断でしょう。去る9月に現地入りし、来る日も来る日も作品に向かって制作を続けました。光のテンポや強弱を細かく調整したりと、いわば楽器のチューニングに近い作業です。
——思いがけない発見や驚きはありましたか?
レオ これまで手がけてきた作品は、どれも四角など単純な形をした平面です。ところがスカイボックスの底部は変則的な形状で、私にとっては初の挑戦でした。工事中のタワーを実際目の当たりにすると、テンションが上がりましたね。横や下に鏡のように映り込むガラス壁があるという、またも自分にとっては初の設定だったからです。光のパターンをガラス壁が反射することで、アモルファス(不定形)で複雑な展開が生まれます。まるで周囲にあふれ出すような、かつてない作品が誕生したのです。
——コミッション作品という協働作業だからこそ生まれた新境地ですね。森ビルの街づくりで感じたことは?
レオ 森ビルの根底にあるのはジェネロシティ(持つものを広く分かち合う精神)です。ステーションタワーも、最上階に誰もが行ける施設があるという点にまず驚嘆させられます。セキュリティでがんじがらめのNYでは決して実現できません。制作で訪れた際も、庭園に音楽が流れ、ブランケットまで用意されて人々が寛いでいる風景を目の当たりにし、なんと美しいのかと。最高の建築家、そしてラリー・ベルはじめ最高のアーティスト達、あらゆる最上級が共に作り上げた場所だと感じます。
偶発的に生まれた、光の彫刻
——今のスタイルに至った経緯を教えて下さい。
レオ テキサス州エルパソで育ち、中学は東海岸のロードアイランド州にある寄宿学校に進み、イェール大学でセットデザインや美術史を学びました。彫刻家/インスタレーション作家のアリス・エイコックの元、初のインスタレーション立体作品を制作した際「これだ!」と開眼しました。舞台や劇場が無くても、照明やビデオで空間が創れると悟ったのです。
1990年代にはフォトショップが登場し、画像のデジタル編集や3D、没入空間にのめり込みます。NY大学でテレコミュニケーションを修め、マイクロソフト創業者の一人であるポール・アレンのリサーチラボにインターンとして入所。3カ月の予定が気づけば3年に(笑)。ただ、当時パソコン上で生み出される映像というのが余り好きではありませんでした。スクリーンそのものが嫌いでしたね。私は「コード」によって視覚的な表現をしたい。とても難しい課題でした。
原点はバーニング・マン
——そこに大きな転機が起こったのですね。
レオ ネバダの砂漠で催される巨大イベント「バーニング・マン」に初めて出かけたのが1994年。初期の「バーニング・マン」は設備らしい設備もなく、日没後は一面漆黒の闇となり、自分の居場所さえわからないという有り様です。そこで1997年に参加した際、16個のストロボでこしらえたのが自分用の「灯台」。ソフトウェアと光、空間とをつなぎあわせたのはこれが初めてでしたが、ほんのわずかな情報でこれほどパワフルな装置を生み出せるものなのか、と目から鱗の思いでした。アートではなく、あくまで実用品。しかしNYのスタジオに戻り、アクリルボックスの上にこのミニ灯台を置いたところ、これは「光の彫刻」に他ならないと気づいたのです。すべての始まりはここから。そして今なお変わらず、同じ探求を続けています。
東京という街の本質を、プログラムに
——常に砂漠や広大な荒れ地が背景に感じられる貴方ですが、世界の大都市で数多くの作品を手がけていますね。
レオ アーバンランドスケープ(都市景観)に限りない憧憬を抱いています。生まれて初めて、テキサスの砂漠とは真反対であるNYに来た時、なんと強い磁力をもつ土地なのか!と感激したものです。
——東京という街の感想を教えてください。
レオ NYと違い、東京は人が人間らしく住める「リビング・シティ」。超高層建築もあれば老舗の呉服屋もあったりと、町並みのテクスチャーも豊かです。新旧が共存し、流転し続ける、柔軟な順応性がここにある。しなやかに融和する人と自然、そして自然への畏敬の念は日本の特長ですが、虎ノ門ヒルズの周辺でも子どもが遊び、犬の散歩をする人の姿が目に入ります。未来そしてユートピアを示してくれるステーションタワーは、まさに「タワー」の再定義。今ほど、はるか先の展望をそなえた「ビジョナリー」が求められる時代はありませんが、森ビルのアプローチは、まさにビジョナリーのそれ。《Firmament(Mori)》のプログラムには人と自然とのふるまいも込められています。観る人に、こうした要素を感じ取って頂ければと願います。
サンフランシスコの《The Bay Lights》などもそうですが、私が作る「光の彫刻」は「デジタル・キャンプファイヤー」。知らない人同士が作品を見ながら言葉を交わしたり、観に来た人が次は家族連れでやってきたりと、人と人とをつなぎます。心に何かを呼び覚まし、つい誰かに話したくなるアートなのです。
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