LIFESTYLE

連載コンラン卿からのメッセージ

Article 2

HOW TO LIVE CREATIVELY

コンラン卿が世界でいちばん大切にしている場所はどこですか?

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ロンドンから北東に1時間ほど。テレンス・コンラン卿が1970年代から暮らす「バートンコート」は、緑豊かなカントリーサイドにある。広い敷地内には菜園や家具工房もあり、〈クリエイティブな暮らし〉という、コンラン卿が生涯をかけて探求し続けてきたテーマを実践し、実験するために必要なすべてが備えられている——。

text by Megumi Yamashita
photo by Haruko Tomioka
(2018.2.1)

コンラン卿が見出した若く新しい才能は数知れず、世界的に活躍するデザインディレクターのトーマス・ヘザウィックもそのひとり。バートンコートの庭にはヘザウィックのRCAの卒業制作作品が置かれている。

コンラン卿が見出した若く新しい才能は数知れず、世界的に活躍するデザインディレクターのトーマス・ヘザウィックもそのひとり。バートンコートの庭にはヘザウィックのRCAの卒業制作作品が置かれている。


インスピレーションの源泉
Lifestyle Laboratory

屋敷との出会いは、建てられてから200年後のことだった。雑草に覆われた敷地内にある朽ちかけていた物件に、コンラン卿は「一目で恋に落ちた」という。「大々的な修復が必要でしたが、古い建物とモダンなデザインをミックスし、思い描いていた暮らしが営めると閃いたのです」。これまでに数多の古い物件をリノベーションしているが、その始まりが、この家だった。その出会いから半世紀近く、ここは彼の創作の実験場であり、インスピレーションの源にもなってきた。

リンゴの生垣の先に現れる赤レンガ作りの建物。その外壁の下半分には藤が伝い、赤と緑のコントラストが美しい。エントランスを入ると、建物の横幅いっぱいを開放した25メートルほどもあるスペースが現れた(中央写真)。廊下の両側にあった2部屋の壁を取り払って実現したコンラン卿自慢のスペースだ。インテリアも古いものと新しいものが絶妙にミックスされている。当時は相当斬新なものだったに違いない。暖炉を例に取っても、一つは18世紀のオリジナル、もう一つはモダンでミニマルなデザインといった具合。「高価なものよりプレーンで機能的なものに惹かれます」というが、園芸や実験用の大きなガラス製品が置かれているかと思えば、事務用キャビネットの中には18世紀の手作りグラスが並ぶ。家具も同様、国や時代にとらわれないコンラン・スタイルが心地よい。


家とは生活の宝石箱であるべきだ
Home is where the art is

イギリスは長らく食事の不味さで悪名高かったが、コンラン卿は食を重視したライフスタイルの発信やレストラン経営を通し、その劇的な向上を導いてきた。この家でも、生活と社交の中心は、大きなテーブルのあるオープンスタイルのキッチンだ。ずらりと並んだ道具類が、どんなデコレーションより美しく部屋を彩る。このほか、オフィス、図書室などにも、それぞれ美しく機能的なものや思い出の品が散りばめられている。「住宅は住むための機械である」とはル・コルビュジエの有名な言葉だが、彼は「家は生活の宝石箱であるべきだ」とも言っている。ここではその双方が実践されているように見える。

「ガーデンニングは人生の楽しみの一つ」というだけあり、広々としたガーデンもこの屋敷の延長となるものだ。ここでも食通のコンラン卿らしく、見ても食べても楽しいようにデザインされている。温室がある菜園と果樹園、その一角には蜂箱もあり、蜂が忙しそうに出入りする。奥には川があり、ここでは良質のマスなどが釣れるという。収穫物の一部はコンラン系のレストランに配給されているが、本格的な農場の経営を計画中だという。広々とした芝生のエリアにはアート作品などが点在する。ここに電気機器メーカー、ダイソンの社長がヘリコプターで降り立った時、トーマス・ヘザウィックがデザインした東屋が吹っ飛んだ、という壮大な話も伺った。

リビングに置かれていた年代物のテキスタイル・パターン集。コンラン卿の大学での専攻はテキスタイル・デザインだった。

リビングに置かれていた年代物のテキスタイル・パターン集。コンラン卿は1940年代後半、大学でテキスタイル・デザインを専攻した後、デザイナーとしての活動を始めている。

菜園だけでなく、邸宅まわりのあちらこちらに垣根としてリンゴの木が植えられていた。

菜園だけでなく、邸宅まわりのあちらこちらに垣根としてリンゴの木が植えられていた。

家具職人のショーン・サトクリフと共に創業した家具工房〈ベンチマーク〉では、「ザ・コンランショップ」以外にも、さまざまなデザイナーとのコラボレーションを通して多くの家具を作り出している。

家具職人のショーン・サトクリフと共に創業した家具工房〈ベンチマーク〉では、「ザ・コンランショップ」以外にも、さまざまなデザイナーとのコラボレーションを通して多くの家具を作り出している。


課題を創造し、クリエイティブに向き合う
Become a Creative Problem Solver

この屋敷がコンラン卿の創作の源になってきたもう一つの理由は、すぐ横に家具工房があることだ。農舎を改築したもので、80年代から、クラフト家具や什器の制作工房〈ベンチマーク〉として運営されてきた。試作品のほか、ザ・コンランショップなどで販売される家具、レストランなどの内装の制作などを行なっている。新しいテクノロジーを取り入れながら、手仕事を生かしたもの作りは高く評価され、世界中から注文が絶えないという。工員たちが忙しそうに作業をしている。デザインしたものをすぐに形にできる贅沢な設定であり、また地元の若者をはじめ、多くの職人が育つ教育的な環境でもある。こちらもさらに拡張し、宿舎の建設も計画中だと聞いた。

このように、コンラン卿は草木や野菜の種だけでなく、インスピレーションの種を蒔き、多くの人を育て、生活を豊かにする提案を続けてきた。86歳の現在も、そのパッションが衰えずにいることにもインスパイアされる。たわわに実ったリンゴを一つ木からもいで、かじらせていただくことにした。「レインボーという絶滅しかけていた古い品種」だという。ジューシーで甘酸っぱく、なんと美味しいこと! 虹という名の小さな果実に、コンラン卿の人生の実りを味わう思いがした。

東側にはセントポール大聖堂と並び、シティ地区に建設が続く高層ビルを望む。ブリッジ全体が一つの生態系のようなデザインになっている。Image Courtesy of Garden Bridge Trust.

「考え抜かれたデザインが生活の質を高めていく。その喜びをもっともっと若い世代に伝えたい。そのために教育・啓蒙活動が果たす役割は大きい」と語るコンラン卿。ロンドンの移転オープンしたデザインミュージアムは、その実践の場となる。



コンラン卿とデザインの歩み

 

テキスタイル・デザインを学ぶ——1930s〜40s

1931年10月4日 イングランド南東部、サリー州イーシャーに生まれる / 10歳で初めての本づくりに挑戦し、押し花集をつくる / ブライアンストン・スクールの教師から「絵が得意でパターンや配色にセンスがあり、かつ有機化学にも興味があるならテキスタイル・デザイナーに向いているのでは」と薦められる。
1947〜49年 セントラル・スクール・オブ・アーツ&クラフツ(現ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン)でテキスタイル・デザインを学ぶ。
1949年 ロンドンのイーストエンドで、師であり友人でもあるエドゥアルド・パオロッツィとともに家具づくりのワークショップを開始。

デザイナーとして活動をはじめる——1950s

1952年 コンラン&カンパニーをノッティング・ヒルの地下室に開設、デザイナーとして活動をはじめる。
1953年 チャンドス・ブレースで〈スープ・キッチン〉をオープン。
1955年 コンラン・ファブリックスをスタート。
1956年 コンラン・デザイン・グループ立ち上げ。
1957年 自ら手がけたテキスタイル・デザインの中で今もお気に入りの〈リーフ〉をコンラン・ファブリックで製作。

〈ハビタ〉の1号店オープン——1960s

1962年 ノーフォーク州の新工場に拠点を移し、初の家庭用フラットパック(組み立て式)家具のブランド「スマ」立ち上げ。
1964年〈ハビタ(habitat)〉第1号店オープン。「〈ハビタ〉は単に物を売るだけの店ではなかった。人々が憧れを抱き、無理せず実現できるライフスタイルを売る場でもあった」

〈ザ・コンランショップ〉をはじめる——1970s

1971年 ニール・ストリート・レストランをコベント・ガーデンに開店。
1973年 「〈ザ・コンランショップ〉1号店がハビタ1号店敷地内に開店。「極上にして好奇心を刺激する雑貨・家具を世界中から集めることを信条とした。もちろん、私のめがねにかなったアイテム以外は置かない」
1974年 『The House Book』出版。「住宅関連のさまざまなハウツーをまとめたスタッフ向け研修マニュアルだったが、最終的に250 万部以上に達する世界的なベストセラーとなった」

ベンチマークを設立 / ナイト爵を授与——1980s

1981年 コンラン財団を設立、デザインの価値に関する一般向けやイギリス産業界向けの啓蒙活動を推進。
1983年 デザインにおける功績を認められ、ナイト爵を授けられる。
1986年 自宅バートンコートに併設されている廃屋の農舎に手を入れて工房にマーク・ファニチャーを設立し、高品質の木製品・金属製品の製造を開始。「材料選びやエネルギー使用に始まり、デザインや製品寿命に至るまで、サステナビリティを追求。家具自体も生涯使えるものを目指している」

レストラン事業を世界各地で展開する——1990s

1993年 セントジェームズでレストラン「クアグリーノス」をオープン。「食やレストランにめざめたのは、確か1953年に初めてフランスを訪れたときだ。燦々と降り注ぐ太陽の光、カラフルな色づかい、市場に並ぶ見事な食材、ゆったりと暮らす人々は実に印象的だった。長距離トラック運転手相手に営業しているロードサイドのカフェでも、安くておいしい食事が楽しめた。それをカラフェいっぱいに注がれた渋めの赤ワインで流し込む。それに比べて当時のイギリスの食ときたら……」
1994年 ザ・コンランショップの日本1号店をオープン。
1999年 ニューヨークでザ・コンランショップとレストラン「グアスタビーノス」をオープン。

デザインミュージアム移転オープン——2000s〜10s

2003年 ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの名誉学長に任命。コンラン・アンド・パートナーズが森ビルによる六本木ヒルズの一部デザインを監修。
2011年 80歳の誕生日を祝い、デザインミュージアムでデザイナーとしての功績を称える展覧会を開催。
2016年 ケンジントンの旧コモンウェルス・インスティテュートの建物にデザインミュージアムを移転オープン。
2017年 著書『テレンス・コンラン マイ・ライフ・イン・デザイン』を刊行。

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