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石川善樹| 身につけよ! 人生100年時代における新しい「教養」_#1

膨大なデータから「問い」を見いだし、新たなる知見を提示し続けている気鋭の研究者・石川善樹。そんな石川による、来たるべき人生100年時代に必要とされるだろう「新しい教養」を巡る連載がスタート。第1回目となる今回は、「なぜこれから教養が必要なのか?」「そもそも教養とは何か?」について、石川が語る。

TEXT BY Tomonari Cotani
Photo(main) by Louis Charles Moeller/Fine Art Photographic/Getty Images

自分は何を知り、何を知らないのか

人類史において「ティーンエイジャー」や「退職者」といった概念が生まれたのは、20世紀に入ってからのことです。それまでは老いも若きもが、生涯にわたって一次産業で働くしかなかったわけで、そこでは地域のルールに従い、早く一人前になることが価値とされてきました。しかし20世紀(日本では昭和に入ったころ)になると、「学び、働き、休む」という人生3ステージモデルが生まれ、そこからは会社のルールに従い、会社で一人前になることがよしとされる時代へと移行しました。

しかしいまや、「50年と言われる職業寿命に対し、会社の平均寿命は30年」という時代に突入し、もはや地域も会社も自分を守ってくれはしません。では一体、何が自分を守ってくれるというのでしょうか? 僕は「教養」こそが、答えであると考えています。会社はおろか、業界自体がどんどん生まれては消えて行く時代においては、生涯にわたって学ぶ習慣を持つことが、じつは最大のリスクヘッジになると思っています。

ですから、ここに断言したいと思います。学びの習慣を身につけられない人は、今後ヤバいです! さらに言うなら、ひとつの専門性の上にあぐらをかいている人も、かなりヤバい! 大いなる知の体系、知の全領域に比べたら、たとえ専門領域を100個持っていても所詮は狭いわけです。むしろ、知の広大な大海原の中でわが身を位置づけられる人こそが、本当の意味での教養人だと言える時代が到来したのです。

そんな時代においては、「自分は何を知り、何を知らないのか」を認識することが、とても重要になってくるはずです。その手がかりとなるマトリックスを、あくまで一つの考え方にすぎませんが、ご紹介してみたいと思います。

リベラルアーツを再定義する

まず、教養とは一体何でしょうか? それはかつて、ギリシャ・ローマ時代には「自由七科」と呼ばれ、古代中国では「六芸」と呼ばれた学問領域が源流となっている、リベラルアーツと呼ばれるものだと言えるでしょう。しかしこれからの時代は、リベラルアーツの定義自体を変えていく必要があると、僕は考えます。

人生100年時代においては、自分は何のために生きているのかという「WHY(=問い)」をインプットとし、そこから「考える」というプロセスを発生させ、「知識」というアウトプットに結びつける……。このサイクルを、とにかく何度も回していくことが必要になると考えているからです。

インプットする問いは、小さなWHYでいいのです。しかし、いまはWHYという明確な課題が見えづらい時代でもあります。ですから自分なりの大きな問いを持っておかないと、小さな問い(=インプット)が次々生まれることはありません。実際のところ脳は小さな問いが大好きで、大きな問いの前では思考停止してしまいます。でも、普段から大きな問いを持つことで、無意識が小さな問いを引っかけてくれるわけです。

そして多かれ少なかれ、大きな問いというのは、「人類を支えるコンセプトは何か?」というより大きな問いにつながっていくはずです。それを1000年単位で考えるならば、「宗教(神)」が支えてきた時代があり、その後、「経済(自然)」が支えてきた時代が今日まで続き、そしてこの先の、まだ言葉が見つかっていないコンセプトをこれから見つけていく、ということになるかと思います。

……とはいえ、いきなりそう言われても途方に暮れてしまうと思いますので、まずは「プロセス=考える」と「アウトプット=知識」を構造化してみたいと思います。

「プロセス=考える」は、基本的に「直観」「論理」「大局観」の3つに分類できます(横軸)。まず「直観」とは、「誰も考えたことのないことを考える」ことを指します。前例のないことにチャレンジする、とも言えるでしょう。次に「論理」というのは、本質とデータを行ったり来たりする思考法を指します。そして「大局観」というのは、構造を大きくつかまえる思考法です。たとえば似顔絵は特徴を大きく捉えているから似ているわけで、ディテールの精緻さは関係ありません。

次に「アウトプット=知識」も、「理論」「実践」「芸術」の3つに分けてみたいと思います(縦軸)。「理論」とは、最小の情報で最大を説明する知識で、「実践」とはつくる/できるための知識を言うことができるでしょう。そして「芸術」とは、モノゴトの新しい見方を提示する知識だと捉えてください。

この3つの「プロセス=考える」×3つの「アウトプット=知識」による9マスが、現代における教養、つまりは新たなるリベラルアーツに該当するのではないかと僕は考えています。これを、自分の交友関係に当てはめてみると、たとえば物理学者の長沼伸一郎さんは直観を理論化することに長けた人で、ビジネスデザイナーの濱口秀司さんは大局観を実践化することが非常にうまい。個人的には存じ上げませんが、将棋の羽生善治さんの才能は、大局観と芸術がクロスするマスに当てはまると考えます。

この、プロセス(=考える)とアウトプット(=知識)の構造をまずは認識していただき、自分がどこに当てはまるのか、これからはどこが必要とされるのかという「重心」を、自分なりに見つけていただければと思います。なぜかというと、帰るべき場所を知っているからこそどこにでも出かけられるわけで、帰るべき港を持たず人生の大航海に出かけてしまうと、果てしない旅になってしまうからです。

自分がどこにいるのかを把握するというのは、どこにでも行って帰ってこられるという自由を手にすることでもあるんです。その自由の中から、人生をかけるに値する「大きな問い」を見つけていただければと思います。

次回からは、毎月1人ずつ、9マスのどこかに当てはまる賢人たちを訪ねてみたいと思います。まずは、ど真ん中(論理×実践)に当てはまると僕が考える、ヤフーのCSO・安宅和人さんにご登場いただけないかと考えています。まだご本人にアポは取っていないのですが……(笑)。

profile

石川善樹|YOSHIKI ISHIKAWA
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。近著に『仕事はうかつに始めるな』(プレジデント)、『ノーリバウンド・ダイエット』(法研社)など。