Circulation of Life

糧|nourishing とは何か?—— 東京大学 memu earth labによる「再読」フィールドワーク ❶

東京大学の「memu earth lab」では、さまざまな分野の研究者とともに行うフィールドワークを通して、自分たちを取り巻くものたちとの関係性(relation)を再読する研究プロジェクトを進めています。その実践から得られる新たな「学び」に触れる連載(不定期)の第1回は、「糧|nourishing」をめぐって——。

TEXT BY Yu Morishita
video work by Ayako Mogi
photo by YOSHIE ITASAKA

糧|nourishing とは何か?

映像作品「nourishing」(10分 / 2022) 撮影・録音・編集:茂木綾子

 
北海道十勝平野の沿岸近くに位置する大樹町芽武(メム)においてフィールド研究の可能性を探る東京大学のmemu earth labでは、自分たちの目の前のものたちとの関係性(relation)を再読するフィールド研究活動『資源再読』の一環として、「糧」を、どのように目の前のものたちが自分たちの身体の一部となるのか、その場所における物質と情報の流れを捉えるための媒体として取り上げています。

糧としての繋がりに触れる

「糧」(かて)は、食糧の糧であると同時に精神や生活の支えであり、人の活動、その力の源である [1] という意味が一般的にはあります。英語では「nourishment」にあたり、食を含むも、それよりも幅の広い意味において我々を生かすものとして捉えられます。また哲学の分野では、糧という言葉を介し、その「我々」なるものを、人に限らず、この大地に生けるすべての共に生きるものたちと捉え、自然と人を二項対立させるのではない思考とその可能性が探られています [2]。

食べるという行為自体は、自分たちの身体が如何に作られるのかを考え、それを描きだす一つの機会に違いありません。しかしながら、糧としての繋がりは、「食べる」「食」という日々の行為におさまらず、自然という存在を、人と切り離されたものではなくどのように自分たちの内部を行き来する存在なのか、どのように自分の一部となり、お互いの中に生き、生かされているのか、自分はどのような流れの中に滞留しているのか、を探る機会を持っています。

memu earth labにおける研究では、この繋がりをフィールドに出ることで得られるリアリティから再読します。その場所の複雑な情報の繋がりを場所から無下に切り離すのではなく、自分たちが生きるための情報を押しつけ消してしまうのでもなく、その場所のものたちとともに情報を建築していくことを考えます。

「目の前にある存在」に聞き耳をたてる

メムでは、蝦夷鹿が目の前を頻繁に往来しますが、フィールド/現場から切り取られ、断片化された情報としては、害獣、ジビエなどの名前がその存在と紐づけられています。産業/農業という営みからみた害獣としては、駆除行為として撃たれたまま捨てられることが大半であり、かたやその絶たれた命をつなぐとされるジビエとしてみる営みにおいては、少数の人々を対象とした、稀有な嗜好品、食の特殊解として日本ではしばしば扱われています。そしてそれらは多くの場合、実際の生きた命ではなく、一人歩きした言葉によりその存在が語られているように感じます。

しかしフィールドに出ると、生きた蝦夷鹿のリアリティ、生きるものたちを理解するのに必要とされる生きた情報の複雑性に出逢います。自身でその場所の腐食していく土を踏み、手のひらでその柔らかさと冷たさを握り、まだ銃弾に倒れたばかりの温もりある蝦夷鹿の体内に手を入れることで、初めて、気付きに至ることが多くあります。

蝦夷鹿の第一の胃の中から湯気とともに溢れる鮮烈過ぎるほどの緑色、人にとっての腐敗臭がまだしないその香ばしさ、それは発酵をはじめたばかりの牧草地の草であり、そのものたちは、草を食し生きていたことが分かります。十勝に現在広がるその風景を成す牧草地、まさに農業という現在の枠組みにとって害獣と呼ばれる所以なのですが、その草が伝えること、それは、現在のメムにおいて蝦夷鹿と向き合うことは完全なる「野生」や「害」との対峙ではなく、自らがつくる牧草地が半放牧させた(状態を生きる)ものとの相互関係を考えると言うことであることに気付かされます。そこには切り離された言葉では読めない可能性が存在しています。

この蝦夷鹿たちは、薬物に依存しない、放し飼いされたグラスフェッドである存在として、今を生きていると捉えることができます。目の前を駆け巡る蝦夷鹿は、日本鹿や屋久鹿とは異なるものたちであり、これを食という行為につなげるのは、どこか遠い国のジビエ(gibier)という言葉の理解を重ね合わせ、その生けしものを翻訳し置き換えることではなく、蝦夷鹿(ezo/yezo deer)というこの場所固有の存在と向き合い、その可能性を探究することだと教えられます。

目の前にある存在を再読すると、害獣駆除という枠組みや、その土地の産業のあり方、防風林などを植林する行為と生態系のあり方、輸入に依存した経済環の捉え方、多様な分野を横断することで、その生きた存在との付き合い方を改めて考え直すきっかけになります。

その場所の複雑性を生きる0.01%のリアリティ

知的生産(の)技術ということが1970年代に模索されていましたが [3]、フィールドワークを通して改めて感じることは、誰が何をしている、というSNS上で広がり交換される情報もネットワークづくりや相対的な観点を持つには必要なメディアとされるも、実際に手を動かし、ものを作ることで生まれるその場所固有の情報のあり方が、今日においてより重要とされているということです。デジタル化が多様な情報の流通を促し、幅広い伝達を可能にした今日だからこそ、再現性のないフィールドが生産する場所固有の情報が示す「目の前にある存在」に改めて聞き耳をたてる必要に駆られています。

又聞きにより満ち溢れた情報では理解しえない、現場、その土地、その場所の生きる情報はたくさんあります。これまでこれらの情報は発信されていないが故に、ないものとしてその存在を認知されてきませんでした。おそらく、情報が作るリレーションにその存在を依存しないものたちであるからこそ、情報の発信と交換に生存を委ねなかったのだと思います。しかしながら、多様性という言葉で危惧されるように、15分程度の間に生物が1種ずつ世の中から消えていっている中、情報がないことでその土地の生態系や、生きた現実が消えていくほど、消えるということの圧力に生きることが逼迫されてきているのが今日の現状だと思います。

自分たちが研究で訪問させていただく牧場は、放牧を主体とした70〜100頭前後の乳用牛を家族経営で飼育している酪農家ですが、それぞれの規模は、北海道の放牧牛頭数の割合では0.02〜0.03%、放牧以外の方法の道内飼育数も含めると0.009%の規模を見ていることになります。

各牧場においては、その育生に関わる信念や、個別の土地の地質などの特性条件に合わせた工夫、動物との付き合い方などによってうまれる味の違いが存在します。しかしながら、流通という仕組みの中に存在することで、点在する別々の農家の牛乳を大型のタンクローリーが回収に回り、タンクの中で物理的に混ざることで、固有の情報は均一化されます。

その場所の複雑性を生きる0.01%のリアリティと、全体性をシステム的に把握しようとするものの見え方の間に、大きな隔たりと、それらの情報を扱う仕組みの欠損が見られます。どのような規模でその地域を捉えるか、どのようなリアリティを生きる糧とするのか。0.01%が存在し得る知的生産がどのように日々形成されていくのか、それらを作り出す人々の営みが継続できる社会のあり方を考える必要があります。

日々その土地との関わりを持ち続ける

フィールドにおいては、その場所における糧の探究と実験を継続的に行う人たちが必要だと考えます。森に毎日入り続けること、地域内外の食材の循環とバランスを考えること、未来と過去をつなぐ情報をつくること、地域の土や木々が生む器を探求すること、「ケ」の日々において追いつかない糧への探究を請け負う役割が必要とされています。日々その土地との関わりを持ち続ける役割、その中において、糧という媒体による関わりあいを翻訳しつづける、リレーションを構築する役割が求められていると思います。

食べる行為の移り変わりを実験する人たちが、例えばアイヌの方々が実践されていたオオウバユリの鱗茎を用いた澱粉の生成を現在において実際に手を動かしなぞることで、古今の日々の生活を情報として対峙させ、今の食における繋がりや断絶に関して再読する機会を与えてくれます。

ガストロノミーは歴史的には「ハレ」の日を司り、食べる側のハレへの対価として生業を形成するイメージがあります。しかしながら、実際にそのハレを形成するのは、日々その場所とのリレーションを形成してきた探究の時間であり、地域循環に関する研究と実験的実践(プロトタイプ)の継続に対し、投資を行うと考えることが、そのような探究の断片を食することへの対価として妥当であると考えられます。

それは、その日の食事以上のものに投資をすることであり、そのようなプロトタイプの中から生まれる気付きや発見は、郷土料理や、食堂や給食も含む、毎日の食卓へと広がりを体現させることで、地域循環の規模、スケーラビリティが想像できます。その場所の日々の移り変わりとの関わりをもつ生きたレシピこそが、気候変動や産業構造の変化、持続可能性の定義の変容に応答していき、人の活動力の源(糧)を用意することにつながるのではと考えます。

またそれは閉じた、個々の専門性による探究として体現するのではなく、それぞれが情報の繋ぎ方を実践し、広がりをもった探究となる必要があります。職種のつながりと情報の流れを考えるにあたり、各々が柔軟性・フレキシビリティを持つことではじめて情報の流れが生まれるということもフィールドを皆で回ることで目の当たりにしました。生産者と言われる生けるものを育てる立場、その命を割る、締める、ほふる、絶つ立場、食肉加工師と言われる余すことなく食糧につなげる立場(ドイツ語ではメツゲライ)、そしてシェフと言う食文化につなげる立場、それぞれが独立した立場をもちつつも、お互いのやりかたに対し柔軟になり、お互いの知見に聞き入り、知らないことを認め合うことが出来なければ情報はつながりません。それも頭で知識を比較し語るのではなく、目の前のものを食し、温度を感じ、手の甲で溶ける脂の状態に見入り、そのリアリティに対し、情報を交換する、食を一堂に介することでしか生まれない情報の作られ方があります。

目の前の複雑性の中を生き、生かされる

そもそも何を育て、何を加工し、何をプレートに載せているのかが分からなくなるのは、驚くほど簡単に起こりうることです。目の前に広がる風景が自身の細胞を作る、昨今のほとんどのプレート上の食にまつわる関係性は、そのつながりを既に失っているのではないでしょうか。

もともと、草でも牛でも豚でもなかったこの場所の過去、1900年前後に開拓が盛んになったとしても現在につながる100年程度の営み、そしてこの場所の未来をどのように考えるか。歴史を他の場所に見ても、自分たちの生きる場所、生かしてもらっていた場所を自ら壊し、生きることが出来なくなった事例は山のようにあります。どの程度、自分たちはこの生きる環境に介入しているのか、どのようにその場所を崩し切らず、生かさせてもらえる関係性を作るのか、この場所でともに生きるということを作り上げられるのか、という態度を真摯に考える必要があると感じます。

食することはそれらを自身の身体性の一部とさせることへの責任を問う機会でもあります。難しく考えすぎると食事が出来なくなると言われそうですが、実際には、考えても食事にありつけない人口は多すぎ、考えもせず食を廃棄物に転換させている人口も多すぎ、やはりこのことを難しく考える責任を負う時世なのであろうと思うのです。

昨今、多様な先進技術を用いた培養肉への移行など食生産における土地への依存からの脱却、あるいは、食という行為そのものへの依存からの脱却を図る流れが進んでいます。Food System(食システム)という言葉を良く耳にしますが、普段よりオーバーロードしたシステムに従属し、食という名の下、その存在の実態が言語に存在し、地につながりをもたないもの、システムの中で制御可能となり、閉じた環で存在するもの、これらは早々とこのような代替技術や代替プロダクトに置き換わることになると思います。しかしながら、糧として、既往の価値環を超えた可能性をもつものたち、場所のつながりの中に更新されながら存在するもの、そしてその複雑性により支えられているものは残っていくのだと思います。そのような0.01%の存在が重なりあうことで豊かな多様性を持った文化が育まれることが期待されます。

食と言うと、シェフによる仕立ての技術の素晴らしさが注目されやすいですが、その行為の裏に広がる、日々、幾たびと森に入る行為、幾たびと生けしものたちと向き合う時間、日々の糧を綴り続けることがその場所に生きる情報を生成する技術でもあり、0.01%のリアリティを作る技術のあり方だと思います。

フィールドから厨房に戻り調理をすることで、なお気付くことがあります。食のよろこびは、同じ物性の集合によって同じ経験を再現しようとすることではなく、日々少しずつ変化していく食材の季節性、その変化がもたらす再現性のない経験のリアリティにあるのだと思います。たとえ物性が再現出来ても、もたらされる経験はその度に異なります。実は、組み合わせの複雑性を楽しんでいる、それも組み合わせ自体ではなく、それが生み出す複雑性そのものを人は感じ、楽しみ、その複雑さを理解しようとすることで、目の前に広がる複雑性の中に生き、生かされようとしているのだと思います。

 

1. コトバンク「糧とは」(accessed Sep. 09, 2021)
2. コリーヌ・ぺリュション『糧:政治的身体の哲学』(翻訳:佐藤真人、樋口雄哉)萌書房, 2019.
3. 梅棹忠夫『知的生産の技術』岩波新書, 1969.

profile

森下有|Yu Morishita
東京大学生産技術研究所特任講師。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン(RISD)にて建築と芸術の学士を、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)にて建築理論・歴史の修士を、東京大学大学院 学際情報学府にて博士を取得。多様な場所が奏でる固有の情報に聴き入ることに関して模索中。「UTokyo Ushioda Memu Earth Lab」の研究インフラを試作している